退職日記3
お礼のお菓子を用意するため、お世話になった人の名前を書き出した。人の名前がポロポロと頭に浮かぶ。こんなにもたくさんの人と関わっていたのか。その人と交わした会話、一緒にした仕事も思い出される。
添える程度に、と始めたメッセージカードの文はスルスルと浮かぶ。
母が亡くなってから、「なぜこんなにも悲しくて寂しいのに、それを母へ伝えられないのか」だなんて子どもじみた想いをずっと抱えていた。でも就職してから、知らなかった世界に出会ったことや同僚に優しくしてもらったことなど、そういう「嬉しかったことを共有出来ないのが寂しい」と感じるようになった。
そう思わせてくれたのは間違いなく職場の人たちのお陰だ。今でも仕事は好きなんだと思う。
田舎で育ったので、盆暮正月と茶摘みの季節はたくさんの親戚に会う環境で幼少期を過ごした。
大叔母たちがやいのやいの“くっちゃべり”ながら手際よく作業する姿が私の記憶にある。
研修を終えて配属された場所はまさしく、そんな原風景に近いところだった。
年齢層はバラバラで、くだらない小競り合いをしつつも互いを認め、協力しあって日々を過ごす。この上なくありがたい職場だった。
だからこそ、社員を大切にしない方針に心がついて行けなくなってしまった。
私に対してだけでなく、他のスタッフが邪険にされるのが辛かった。
世間でも親族経営が故のブラックボックスの中、力を持たない人々を虐げていたことが問題になっている。
あそこまで影響力がある業界ではないけれど、企業理念にたち戻ってくれるようになったらいいな、と思う。
退職日記はこれで終わり。次を考えよう。
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