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お盆の思い出

今年は母の新盆だった。
お盆に先立ち湯河原へ墓参りに行き、我家に仏壇はないのでいわゆる盆飾りはせず、両親との対話スペースとしているサイドテーブルに普段通りに花を飾り、好きだった和菓子(虎屋の水羊羹とヒガシヤひとくち羊羹)をお供えした。

子供の頃、お盆が好きだった。
8畳ほどの茶の間には大きな仏壇があり、両親と盆飾りをするのが毎年の楽しみだった。
赤・緑・白・紫・黄色の5色の色紙を母が鋏で切り込みを入れて、それを二人で折り紙垂を作ると、ほおづきと一緒に仏壇に飾った。
当日の朝は、早い時間に家を出て車で10分くらいの所にある寺へ両親と私の三人で向かう。
墓には、父方の祖父母、生まれてすぐに亡くなってしまった父の二人の兄が埋葬されていた(さらに上のご先祖様もいらしたかもしれない)。 
墓参りをおえると、寺からすぐの和菓子屋でおはぎを買って帰るのがお決まりのコースだった。
つぶ、こし、きなこ。 
三人家族のわりに、何だかたくさん買っていたような気がする。
母は買いっぷりが良い人だった。
家に帰ると父と庭で迎火をした。
墓から持ってきた石ころを提灯の中にいれてたような気がするけれど、実際どんなことをしていたのか記憶が曖昧だ。
その間、母が朝食の支度をした。
仏壇に線香をあげ、手を合わせる。
おじいちゃん、おばあちゃん、お帰り
しばらくの間よろしくね
そして三人で買ってきたおはぎと素麺を食べた。

お盆の数日間は毎日のように朝から誰かがやってきた。
今日は〇〇が来るかな
父には姉が三人いて、本家である我家は埼玉県にあったが、近くに住んでいる一番上の伯母はもちろん、栃木、東京に住んでいる伯母たちも決まってお線香をあげにきた。
伯母たちの子供たち、その子供たち(とわたしは同世代だったので、従兄弟の子供が従兄弟のような感覚だった)も一緒に来るから、随分賑やかになった。
茶の間の隣は客間になっていて、襖をあけて両部屋で卓を囲んだ。
この街でいちばん美味しいものを頂戴、という伯母が来ると鰻をとった。
近所の手打ちうどんや美味しいカツカレー、買ってきたおはぎ、枝豆、すいか…
母は大変だったことと思う。
父は嬉しかったと思う。

お盆の時だけやってくる遠い親戚もいて、栃木でお菓子屋をやっているその人がお土産で持ってきてくれるサブレが私は大好きだった。
父と一緒に、普段あまり交流のない親戚の家にお線香をあげに行くこともあり、父の従兄弟なのか、祖父の従兄弟の子供なのか今となってはよく覚えていない親戚の家に私と同じ年頃の女の子がいて、年に1回会うのが楽しみだったこともこれを書いていたら急に思い出したりしている。

とにかくお盆は、私の子供時代の夏の良き思い出のひとつだ。

送り火の日、夕方になると庭に出て父と母と一緒に火を灯した。
おじいちゃん、おばあちゃん、またね
煙が空に静かに消えていくのを三人で見送った。
夏の夕空は、きっと美しかった。


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