「私の音楽のルーツ」/ダイゴ

今回は、以前登場していただいた おとぎの森レーベル主宰のダイゴさんにお願いをして、自分自身の音楽のルーツについて語っていただきました。

「私の音楽のルーツ」

文 ダイゴ

音楽のルーツ

 今回、自分の音楽のルーツについて語ってくれということで、改めて自分の音楽がどこから来たのか、少しばかり考えてみた。

「あなたの音楽のルーツはなんですか?」

 「ルーツ」という言葉、つまり「根源」。自分の音楽の根源を探すというのはなかなか難しい。なぜなら辿っていくにつれて今現在の自分の音楽に近いものを無意識で自分の音楽史のなかから探してしまい、それをこじつけてそれっぽくまとめようとしてしまいがちだからだ。

 例えばパンクバンドやってる人が、「プログレがルーツだ。」とは言わないだろうし、エレクトロニカの作家が「実はメロディックデスメタルが私の音楽のルーツです」とは言わないだろう。もちろん、もしかしたら本当かもしれないしそういう人もいるかもしれない。でも普通にそんなこと言ったら話の通じない人だと思われるし、まず説明を求めらる。(パンクはプログレのカウンターカルチャーだからそんな人いたらよくわからないけど笑)

 質問するほうも、その人の表現に興味があって、どのような音楽を聴いてその表現に至ったのかというところが気になるからそういう質問をするわけで、きっかけに当たる部分というよりは、現在のその人の表現がどのような音楽的影響下によって成り立っているのかを聞きたいのであろう。

 この質問には大きく分けて二つの解答が存在すると思う。まず、僕たちのような作曲したり演奏したり、音楽を遊んでる人、かっこよく言うと表現する人と、音楽を聴く人ではその質問の趣旨が変わる。

 僕らのような音楽を使って表現をやっている人にとっての「音楽のルーツは何?」という質問は「どのような音楽に影響を受けて現在のあなたの音楽があるのか?」というような内容で、音楽を聴く人にとっては「どのような音楽を通過してきて、今の好みになったのか?」というような内容であると思う。

 今回は僕自身がどのような音楽を通過し、そして影響をうけたか、その根源を探ってみた。

 今現在、僕はバンドに所属して音楽をしている傍ら、個人的な作品を自分の扱える範囲の楽器で作っている。

 バンドの方の音楽はジャンル的にはオルタナティブ、エモ、インディロックやポストロックといわれる音楽に近いサウンドで、完全なインスト曲と歌モノとを半々くらいの曲数でやっている。

 個人の方では大体はピアノとガットギターを主に、ティンホイッスルやコンサティーナ、ジャンベ等の民族楽器を使って、親しみやすい旋律のアコースティカルな楽曲を作っている(時々電子音などを用いてエレクトロニカのようなアプローチもする)。

 この二つの手法の表現はまるで別で、バンドの音楽は演奏面でも曲作りでも、音楽そのものを純粋に楽しむ為に、音楽を遊ぶ為にやっていて、理論的な部分やテクニカルな要素にも目をむけているが、個人作品は日常のできごとを書き留めたような、雑記のような感覚で、時たまつぶやく独り言のように気の向くままに適当に曲を書いている。

 つまり僕の音楽には大きく分けて二つのルーツが存在している。

 僕の両親は熱心な音楽好きで、特に父親はギターを趣味にしていて、書斎にはたくさんのジャズやロックのレコード、CDがあり、休みの日には1日中、とまではいかないが、音楽が流れていた。

 僕は幼少のころから中学生になるくらいまでピアノを習っていて、そりゃもうドップリクラシックばかり聴いていた。バロック音楽やロマン派の音楽に魅了されていたが、自分で弾きたい曲を弾けるようになってきてからは近代の作家を中心に取り組んでいた。

 特にお気に入りの作家はグラナドスやアルベニスといったスペインの作家で、中でも舞曲ばかり弾いていた気がする。

 のちに民族音楽に魅せられたのもこのころ聴いていたスペイン舞曲がケルティッシュやヨーロッパの様々な民族音楽をルーツに持っていたからかもしれない。


 ピアノと言えば当時はもっぱら伴奏ばかりしていた。校歌からはじまって、童謡だったり、民謡だったり、合唱曲の伴奏で卒業式、合唱祭と思い返すといろいろやっていた。

 童謡や合唱曲での伴奏は当時ピアノを一人で黙々と弾いていた自分にとって新鮮でとても楽しい印象があった。

 今でもそのコード感や童謡のようなメロディは染みついていて、ピアノを演奏している時にふと登場することがある。そういう意味では個人作品におけるコードやメロディの構築のルーツにはこういった日本の合唱曲や童謡のような音楽、そして舞曲のようなリズムであるのかもしれない。

 そして、二つ目のルーツ、バンドの音楽のルーツとなっているのはもちろんのこと「ロック」である。

 しかし厄介なことにこのロックという言葉はとても広義であり、こと現代においてはジャンルの細分化によってより抽象性を増し、もはや特定の音楽を指すために「ロック」という言葉を用いることが不可能なレベルになっている。

 では、どのような「ロック」に影響を受けたのか、自分の音楽史を改めて振り返ってみたい。

 僕が初めて聞いたロックはビートルズだ。なんて言ったらこれを読んでる人は「あ〜はいはい。」みたいになるだろう。実際僕も音楽雑誌のインタビューで「小さい頃はビートルをよく聴いていましたね」的な文章を見た瞬間にまず読む気がなくなる。しかしながら、「初めて聞いた」という点では本当にUKロックが最初なのだからこればっかりはしかたがない。

 結論から言えば僕の母親が好きだったのだ。ポリスやスティング、ビートルズ、ザフーやストーンズ。その手のバンドが車内BGMの定番だった。

 それこそまだ小学生だった僕はそれらの曲をどのバンドのどの曲かなんて認識していないので、「自分で聴いた」という感覚ではもちろんない。なのでこれらの音楽をルーツとするのはちょっと違うかなと思っている。無意識下での影響はあったかもしれないが。

 自分で初めてCDを手にとって聴いたバンド音楽はたしかポルノグラフティやオレンジレンジだったはずだ。中学一年のころに地元にTSUTAYAができて、そこでCDをレンタルしまくった。ここで聴いていた音楽がたぶんもう一つの「ルーツ」に当たる音楽たちであると思う。

 例えばそれは邦楽ロックだ。その中でもバンプとアジカンがは特に思い出深い。エルレやハイスタなどのメロディアスなパンクロックも聴いていた。

 そして、僕はそれらの音楽を咀嚼した後、中二病も相まって洋楽を好んで聴くようになっていった。初めは流行りや周りが聴いていたもの、ランキングなんかを見て、せいぜいカラオケで歌おう程度に音楽を聴いていたが、そのうち「人と違う音楽を聴いてる俺かっけー」を発症して洋楽コーナーを漁りまくった。基準はバンド名とジャケット。あとはお店の説明文いわゆる「ポップ」を見て5枚千円セールを利用し借り狂っていた。

 中でも琴線に触れたのはradiohead、oasis、blur、travis、などのUKロック。多分それまで耳にしていた音楽が影響していると思う。そしてnirvana、blink182、sum41、simple plan、newfoundgloly等のアメリカのメロディックなパンクバンド、そしてヘヴィメタルである。

 何が基準で音楽を聴いていたのか。その基準そのものがなかったから自由に音楽を聴いた結果なのか。とにかく様々な音楽を聴いていた。周りの数人の友達にもそれはほんのすこしだけ伝播して、時には一緒に聴いたり、聞かなかったりした。少なくとも刺激の少ない中学時代は部活に打ち込むでもなく、恋愛をするでもなく、音楽を聴くか、アニメを見るか、誰が一番バカになれるかを日々競い合う。それだけだった。

 高校に入ると音楽の趣味はそれはもう悪化した。ディスクユニオンの存在を知ってからは早かった。簡単に人生が狂った。言い過ぎか。

 まず高校に入ってすぐに中学の友達に誘われてバンドを始めた。バンプオブチキンのコピーだった。僕はそれまでやっていたピアノをやめてなけなしのお金でギターを買った。なぜならギターのほうがモテると思ったからだ。

 残念ながらそのバンドは結成してすぐに解散した。まぁ冗談半分に言い始めたからである。

 一方ギターを手にした僕は、今まで以上に音楽欲が高まっていた。とにかくバンドやりてぇってそんな感じだった。何か新しいことを始めることにワクワクしていた、高校の夏。

 一番初めに組んだバンドは青春パンク。全然青春してなかったけど。ほとんどパワーコードとオクターブ奏法とブリッジミュートだけで作れる曲を作って、地元のライブハウスの学生イベントにたまに出て、本当に自己満足でその都度その都度コンセプトなど決めずにやりたいようにのびのびと音楽をやってた。そして、そのメンバーでは大学一年の半分くらいまでやってて、いろいろあってメンバーが抜けて解散した。パンクバンドとしてスタートして、アメリカや日本のアンダーグラウンドなパンクシーンやハードコアの音楽を聴くようになり、まんまと影響されて、解散間際はハードコアのような音楽性をやっていたけど、結局は自分の芯の部分には全然反社会的な気持ちとか主張とかはなくて、ただ単純にサウンドが好きでそういう音楽をやっていたからどのみち長続きはしなかっただろうし、その時にはすでに半ば飽きていたしよかったかなって思ってる。

 そしてそのハードコアバンドを解散して、もっとゆるくやりながら、音楽的な追及がじっくりできるバンドを組みたいなって思って今の前身バンドを組んだ。そのころによく聞いていたのは、owen、americanfootball、ghost and vodka、totoiseなどの90’sのポストロック、そしてエレクトロニカやシューゲ等のような実験音楽的なものを好んで聴いていた。

 それから二年ほど経って、「御伽の森レーベル」というネットレーベルを立ち上げることになるのだけど、そのきっかけがDTMとの出会いとこのころ聴いてた音楽、そして電子音楽を布教してくれた悪い友達のせい。笑

 と、ここまで振り返ってみて思うのはロックにおいて自分には特定のルーツが存在していないことだ。ただ、共通して言えることは好きになった音楽は大抵、実験的な部分と親しみやすさの両方が同居している音楽が多いということ。わかりやすすぎても飽きてしまうし、逆に分かりにくすぎても面白いは面白いけれど心地よくなくなってしまう。音楽的な探求を楽しみながらも親しみやすさ、歌心だったり、ポップネス、キャッチー、のような部分を大切にしている作家やバンドの音楽に惚れやすいということみたいだ。

 一つの物事を深く探求すると、最終的には普遍的な回答に行き着くというのはよくある話で、あらゆる音楽を聴くにつれて、背景にある文化や社会等に目を向けることの重要性に気づくまでもなく自然とそういう要素に目を向けるようになる。自分の「音楽のルーツ」たりえる音楽というのは、サウンドそのものもそうだけど、その背景にあるもの、思想とか価値観とか、そういうものに強く印象付けられて、そういう音楽っていいな。とか自分のやりたいことってこれだな。とか、つまり共感するわけで、それは少なからずただ興味で聴いたり、参考にするために聴くのとは全く別ものな気がする。

 ちなみに今ハマってるのは70’s~80’sのA.O.Rや細野晴臣周辺の音楽。そしてファンクやソウルのようなブラックミュージック。ある意味僕はルーツを探しながら音楽を聴いているのかもしれない。

 ここまで読んでくれた人ありがとう。そして是非「ルーツを探す」ということを言い訳にして、今一度自分の音楽史をふりかえってみてほしい。けっこう面白いから。


■プロフィール■

ダイゴ(twitter @NobutakaDaigo

soundcloud→soundcloud.com/fumizukidaigo

御伽の森レーベル(twitter @otogi_no_mori_

HP otoginomori.com

おぼれる馬としゃべる沼(うまぬま)(twitter @uma_numa_

HP uma-numa.com