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18歳の高校生が考える理想の大人

皆さん、こんばんわ蒼葉レイです。

今回は18歳の自分が大切にしたい価値観や悩み、葛藤について皆さんと共有してみようと思います。

一身独立して一国独立する

この言葉は明治維新の時代を生きた福澤諭吉先生の考える「個人主義時代」において、国や今までの権威に囚われず、自分達から新しい価値を作り出す集団がいて初めて成熟した国家が出来るという意味の言葉。

私はここから少し拡大解釈した上で、現在においてもこうした「独立志向」は大切だと思っています。

特に価値観の独立性は僕たち10代~20代のSNSが身近にある世代にとって重要。

SNSを見ると様々な分野で人と比較し、より高い水準の人間を理想とする傾向がありますが、人間はそんなすべての分野で完璧になる必要はない。

私は逆に一つの価値観で人の評価を見定めることこそ、それぞれが違う特性を持ち、違う環境を生きる人類への思考の浅はかさであり、対立の根源だと思っています。

なので、特定の性質や条件を持つ人に対する差別的・攻撃的発言をする人からはすぐに距離を置いた方が良い。

人生において何を幸福とするのかは、他人ではなく、自分と向き合う中で自己決定した道を信じてゆきたいし、自分にとっての正解を他者に押し付ける事がだけはしたくないと思います。

短気は損気

僕は不登校やそれに関係する鬱により、平常心を保つ事がずっと難しかった。

ただ、その経験から言える事は他者に対する日常的なイライラした感情の多くは今の自分が考える必要のないことであり、大切な事は「今の自分がやるべき事に集中する事」。

常に物事の関心は漠然とした悪意ではなく、自分や自分の周りにいて自分の可能性を信じてくれる人に向けるべき。

怒りの前に深呼吸をし、最後は理不尽で残酷なこの世界を受け入れる。

「ああ、自分の人生こういうものか」と受け入れたら、後はそんな自分の人生を楽しむ。

過度に自分に期待もせず、希望や可能性も見失わない。

タフだけど、きっと大丈夫。

この漠然とした落ち着きが明日への活力を生む。

人生でずっと向き合っている僕の敵

これは偉人の言葉からは少し離れるが、最近私の人生で私をずっと苦しめてきた悪意の解像度があがってきたので、それについて書き残しておきたい。

それは「自分の価値観を押し付け、無理を強要し、相手の苦しみが何たるかを相手の目線に立ってみて考えようとしない愚か者」だ。

彼らは自分達が出来る事を出来ない人間を愚弄し、無理にでも自分に合わせようとさせる。

これは個人の愚かさというより、社会の悪意に近い。

この無理を強要する連中は自分が悪い事をしているとは考えず、正論をぶつけることこそ正義だと考えている。

しかし、正論は一つではない。

先ほどもふれたとおり、社会には様々な人がいて、それを一つの評価軸で見定めるほど、人間としての愚かさに相違ない。

私は母を小学生の時に亡くしている。

今思えば、母親としての過度な責任感や頑張りたいけど頑張り切れない孤独な辛さ、周りの私を含めた理解の無さ。

これらは私のせいであり、私を含む社会の悪意が母を苦しめ、殺した根源でないかと私は思う。

小学生の時はそんな社会の悪意が何なのか、特徴が掴めなかったが、今はその解像度が少し向上したのでここに書き留めておきたい。

自分を過信せず、他者に配慮し、なるべく理解に努め、独立した自分の理性を悪意に支配されるな

最後の言葉は自分の言葉。

昨今、SNSを見ていると、「論破ブーム」があるが、これは本来の日本人が持つ寛容さや相手の尊厳を重んじる日本人としての美徳を失わせる危険性があると思う。

現代の日本人は異教徒にも寛容的で様々な人種の壁を乗り越えて、理解しようとする理性があるはず。

日本人は昔から相手の面子を潰さず、相手とそれを支持する人との対話の中で、日本としての統一感やまとまりを大切にしてきた。

だからこそ、18歳の私はそんな本来の日本人の美しさを大切にしながら、「自分を過信せず、他者に配慮し、なるべく理解に努め、独立した自分の理性を悪意に支配されない」ことを守って生きてゆきたい。

今日も最後までお読み頂きありがとうございました。



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