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ひとのアンテナのはなし②


ラオスから2年ぶりに帰国して、
行きたかった場所は、本屋さん。

書物や情報に飢えていた。
と、思い込んでいた。
焦っていたから。
2年間の空白に。

ラオスから帰国したら、
もうラオス人のような日本人ではなくて、
日本人としか見られないし、
日本人として生活していかなければならなかったから。

だから、なんでもある渋谷の大きな本屋さんに行った。
そしたら、道すがら、なんだかふらふら、ひととぶつかる。
おっと!
おっと!
そんなことばかり。
まっすぐ歩けてないのか、まっすぐしか歩けないから、よけられないのか。
くらくらしてしまう。

ようやくたどり着いた本屋さん。
あれやこれやと棚を見回したら、吐き気。。。
文字や情報に酔ってしまう。

アンテナ全開で、色も、音も、絵も、文字も、
全部が雪崩のように入ってくることに、
即オーバーヒート。
ベンチで休憩。

日本人としてやっていかなきゃという焦りと、
日本人として立つことができていない自分に衝撃。

しばらく、そんな状態がつづいた。

でも、あっという間に、戻った。
にんげんってすごい。
アンテナがしゅーって閉じていく。
自分を守るために。
ちょっともったいないな、とも思ったけれども、ここは日本。しかも都会。
閉じなきゃ、そんな全部は受け切れない。
すごい勢いと量の情報が望まずとも流れてくる。すでに溢れてる。

ラオスにいたときは、自然界の情報だって自分で取りにいかなきゃ受け取れなかったけれども、
日本にいたら、押売りみたいにいっぱい溢れていて、欲しいものが見つからない。
波に揉まれる海の中で、欲しい貝殻を探すようなもの。


あ。だったら、探さなければいいのか。
ラオスでも日本でも、受け取るのは自分なのは変わらない。
自分を研ぎ澄ましていることは変わりなく、
「なんでも」ではなくて「必要なもの」だけを受け取ればいいのか。
なるほど。
アンテナの張り方を自分で調整したらいいんだね。

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