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いつもなんどでも

いつも、なにか、ふとしたときに、
口からこぼれてくる歌。
「いつも何度でも」

「千と千尋の神隠し」の主題歌となった歌。
木村弓さんがライアーという楽器を奏でながら歌われていた。

この歌には、思い出がある。
今から10年前。
娘がまだお腹にいた。
つわりがはじまる春まで、満月の日に、
満月の瞑想会に参加していた。
主催は、友人。
その友人は、わたしよりもひとまわり以上、年上で、
でも少女のようで、
わたしにたくさんのことを教えてくれた。

数々の非日常的な経験をともにした。
濃い時間をたくさん過ごした。

瞑想や祈りの場・時間もたくさんともにした。
魂に触れるような深い学びもともにした。
たくさんおしゃべりもした。
たくさん笑った。涙も流した。
これから、お互いに、たくさんのことをともにやっていける、
やっていこう、
そんな風が吹いていた。
そう信じていたし、歩む道にわくわくした。

新しい命を授かり、
わたしはつわりのために、瞑想会に参加できないことが続いた。
あえて、しっかり連絡を取り合わなくても、
お互いの存在がそこにある、というだけで繋がれる同志だった。

夏が過ぎて、秋が来た。
お腹は少しずつ大きくなっていった。

友人の体調が優れないことは何度となく耳にした。

そんなある朝。早く。
これまで電話がかかってくることなどなかった
共通の知人からの着信。
耳を疑った。

現実がよくわからないまま、
友人の自宅に向かった。
そこには、憔悴しきったご主人と、
信じきれない思いで訪れる知人友人たち。

布団に眠ったように横になっている、友人。

最後に会ってから半年も経っていなかった。
これからたくさんのことを一緒にやっていけると思っていた。
何がなんだかわからなかった。
若いからだに病魔の進行は速かった。

ご主人が語ってくれた友人の最期。
もうまもなく、というとき。
仕事を切り上げることができずに、必死の思いで向かった夜の病院。
意識はもうなかったけれども、
ご主人の到着を待っていた。
病室のベッドに駆け込み、手を取って、なまえを呼んだ。
すると、ひとすじの涙を流し、そのまま息を引き取った。


それからしばらくして。
テレビで流れていた「いつも何度でも」。
旅立った友人のことが、なぜかありありと浮かび、
涙が止まらなかった。

その歌詞が胸にうずまいた。
生きている不思議。
死んでいく不思議。

それからまたしばらくして。
夢に出てきた。
再会を喜んだけれども、時間はとても限られていた。
わたしは悲しみのぶつけ方がおかしくなって、
なんでもう!ご主人がどれだけ悲しんでいると思っているの!というような
理不尽な言い方をした。
理不尽なのはよくよくわかっていた。
こんな道半ばで旅立たなきゃならなかった友人のほうが、残念だったと思う。

友人は、「もう行かなくちゃ!」と向こうの大きな柱の向こうへ小走りに駆けていった。
でも、わたしたちは確実に約束をした。
「またね」と。また会おう。また会える。
それは、とてもリアルだった。

友人がわたしに残してくれたものは大きい。
目には見えないたくさんの気づきを与えてくれた。
まだ、解明できないメッセージもあるけれども、
それもいつかわかるときがくるのだと思う。

それからわたしは、
いつかライアーで「いつも何度でも」を弾けるようになろう、と決めた。
歌を聴くと、今だに泣けてしまうけれども、
でも、わたしにちからをくれる。
励ましちからをくれる友人がそこにはいる。




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