自分の利き手が分からなかった話

「左利きみたいなことしてるね。」
そう言われてひどく腹が立ったことがある。

確かそれは高校の時、左手で黒板に文字を書いている最中で、書きにくさに苦戦していた時だったと思う(横書きをする場合、右手だと左から右へチョークを引きながら書くのに対して、左手で書こうとすると、押して書くことになるので黒板にチョークがひっかりやすい。)


 勝手な憶測になるけれど、自分が左利きだという自覚がある人は、多少なりともそれをアイデンティティにしていると思う。かくいう私も、冒頭の台詞を言われた当時は自分が左利きだと思っており、左利きみたい、というところに過剰に反応してしまった。

調べてみると、日本では11%が左利きと言われているらしいから、約10人に1人の割合で左利きがいることになる。そう思えば特別珍しいわけではないな、と思う。

私自身は、鉛筆を持つのは左、お箸は右、投げるのは左。蹴るのは右、雑巾で拭くのは左、歯ブラシは右、というなんとも言えないバランスで成り立っている。どうでも良いがジャガイモの皮剥きは左右どちらでもできる。


 ここで問題になってくるのは、やはり自分は左利きなのか?ということだと思う。左利きの定義がわからない。

一般的には文字を書く手、箸を持つ手、スポーツでボールを投げる手で判断するらしいということが分かった。だとしても自分は左、右、左なのでどちらかわからない。過半数を占めているから左利き、というわけでもないだろう。


 そんなことを考えていると、あるTwitterの投稿で、交差利き(クロスドミナンス)という表現の仕方があることが分かった。

これは用途によって使い勝手が良い手が異なることを指す言葉らしい。左右どちらでも使えるというわけではないから、両利きとは違う。


なるほど!自分はこれか!!と思った。交差利きっていうのかー、それにしても、クロスドミナンスってかっこいいな、語感が良いわ。

これから、左利きなんだね、と言われたときに「えっと、文字は左なんだけど箸は右で~…」とめんどくさい説明をする必要がなくなる。そう思っていたのだけれど、

交差利き(クロスドミナンス)という言葉が覚えられない。

咄嗟の時に出てこないのだ。しかも、出てきたとしても、なにそれ?と言われるのがオチなので、また「文字は左、箸は右」の説明をしなくてはいけない。要するに知名度がまだまだ足りないのではないかと思う。

 

 それにしても、左手を多く使う人にとって、右利き社会は少し使いづらい。電車の改札では毎回腕をクロスさせているし、横一列で並んで受ける授業では隣の人に腕が当たるので、一番左が定位置になる。慣れてしまえば何てことないけれど、たまに感じる不便さが嫌になることがある。

さらにしんどいのは、それを分かってくれる人があまりいないということ。それだから、自分と同じような人を見つけると勝手に親近感が湧く。こんなことを書くとまた 左利きみたいなこと言って~といわれてしまいそうだが、事実だからしょうがない。

 ただ、右手を全く使わない純粋な左利きの人はとても少ないのではないかと思う。逆に、基本的に右利きだけど、場合によっては左手を使っている、という人がいても全くおかしくない。こうなると、右利き、左利きの境界線がどんどんぼやけてくる。


 結局のところ、「文字は左、箸は右」の説明をする機会はまだまだありそうだということはわかる。交差利き(クロスドミナンス)という言葉がもっと浸透して、その煩わしさから解放される日が早く来れば良いなーと思う。


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