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不足感。

いつもいつも。
足りなくて。届かなくて。
欲しいのに、欲しくてしょうがないのに
あきらめてきた。

みじめで。悔しくて。
私のせいじゃないのに って。
私は精一杯やってるのに って。

他の人は手に入れられるものが
私の手には入らない。

ずるいずるい。
そして そんな惨めなカッコ悪いの
見たくない。見せたくない。

「別に欲しくない」
「私には必要ない」
「私にはカンケーない」
最初からそうやって、自分で圏外にして
惨めな自分には触れないように
そんな風に してきたんだ。

お金も 実力も 実績も 経験も。
足りない。届かない。
いつも自分についてまわる『不足感』

そのうちに
「まぁ大体、私はこのくらいでしょ」って

自分を低めに見積もって
本気出さずにやれることだけを選んでた。

だって。
本気出してまた足りなかったら。
また届かなかったら。ダサい。カッコ悪い。
また惨めな気持ちを味わうことになる。

そしてまた「足りない」現実のループ。
本気の出し方まで、もう分からなくなってた。



「ねぇ。本当に欲しいモノは
 与えられなかったのかな?」
「本当に必要なモノは
 与えられてきたんじゃない?」

『必要なモノは寸分の狂いなく与えられる』
ことを、私は知っているのに。
それは絶対にそうなのだと 知っているのに。

足りない現実を嘆いて
本気になることから逃げて
自分の価値と「不足感」を結びつけて
勝手にがんじがらめになって苦しくしてた。

「欲しいモノは与えられる」なら。
本当に欲しいモノを 願える私になろう。
肚と 心と 思考が捻れるから
本当に欲しいモノがわからなくなる。

自分のど真ん中 真っ直ぐの願いがわかればいい。
(それが一番難しい)

いつもいつも
足りなくて届かない ということは

いつもいつも
満たされ 手に入る という現実が
同時に存在している ということ。
知るべきは 見るべきは いつだってそっちだ。

本気で願って 本気で叶える。
満たされて 欲しいモノに届く。
もう二度と 誰かのせいにしたりしない。

#私との対話

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