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2024春

お久しぶりです。


この春、4年住んだ大好きな土地を離れて、北国の実家に出戻りしました。

一人暮らしの間は一度もホームシックにならず、本当に一人暮らし最高でした。心地よかったです。
一人暮らしの家にホームシックですね。
もう帰れないけど……
当たり前ですが、実家以外は「戻る」や「帰る」ことができないんだなぁと。

とはいえ、実家も以前と全く同じ様ではありませんでした。
実家の家は変わらずにそこにあるけど、そこにある家も人間も老いてて、様々な時間の経過を感じました。
「戻って」「帰って」も「同じ」ではないんですよね。刻々と変化していることも、過去に戻れないことも、現状を維持することができないことも、頭でわかっているのに、経験しないと実感として身に染みないものですね。
世の中、当然だとわかっているつもりのものがまだまだ多いようです。
沙羅双樹の花が美しいのは当たり前だと思ってしまいます。いつかは枯れると知っているのに。

何事も留まることはない。時間は流れているし、選択を迫られる。

子どもの頃は何もかも思い通りにしたくてジタバタしていたけれど、大人になってからは徐々にジタバタしなくなりました。
無理なく自然体でいられる場所や人へ流れていくことが、その人らしさと、その人が本来得るべき幸せを守るのではないかと。
人生の潮の中で肩の力を抜いていくことが要のような気がしています。
流れるままに、自然体でと意識してみても、何が自分にとって自然体なのかは、自分をよく観察しないとわからないものです。気がつけば他人の作った枠組みに囚われたり、自我を意識しすぎて身勝手と履き違えたり。難しいですよね。
(強固な自分の考えに固執して偏ってしまう人が多いため、多角的な視点を持つ意識はより一層必要になる)

落ち着いたら、新しい場所で、新しい思い出をたくさんつくれたらいいなぁと思います。
でもしばらくは荷解きと実家の片付け(なるべく親孝行……)を頑張ります。

あとは会いたい友達がたくさんいるので、友人行脚もします。
地元は友達がたくさんいて嬉しいです。

文学フリマについて、今回は申し込み忘れてしまい本当に申し訳ありませんでした……
ただ、もし申し込んでいたらキャンセルするか、引っ越せなかったと思うので、それはそれでよかったのかもしれません。
状況がどうなろうと、いちばん良い方向に進んでいると思い込むことにします。
落ち着いたら札幌文学フリマには出ようかと思います!
まだ何もかも未定ですが!
通販も考え中です!

(既刊はAmazonでも買えます↓)



新刊、待っててくださいね!今年こそは!
マジで途中まで出来てるの!!本当に!!本当!!


早く何か書きたいです。

書きたいとき“今の私じゃないと書けないもの”が体の中にあります。霧みたいに、掴めなくて、実体はないけれど、予感というよりは実感としてそこにある何か。

よく目を凝らして、耳を澄ませ、綺麗な空間に浸り、誰かの創作を眺める。外界の何かに共鳴して、心が揺れたとき、それは小さく乱反射する。
それを指差し「あれだよ」「これなんだよ」と人に伝えていると、ありがたいことに、ときどき「それいいですね」と言ってくれる人が現れます。

何をどう書いても、全部は伝わらない。
人はそれぞれ共有できない自分だけの世界があって、その窓から外を眺めている。
その中には誰も立ち入れない。
どれほど詳細に伝えても、全ての認識を体感として完全に一致させることはできない。

それでも人は時間も場所も越えて、自分の孤独な宇宙を誰かに伝えるために、文字をつくったと思うんです。

浪漫ですね。
浪漫好きです。





地元に戻るかどうするか、考えるべきときに、何も考えられず、ただひたすら泣いて寝込んで一週間を過ごしました。(在宅の仕事なので、ずっと泣けてある意味よかったかもしれない。)
いよいよとなって、ほぼ着の身着のまま、その日の夜の飛行機に乗って実家へ一時避難しました。

混乱したまま翌朝になり、わけもわからないまま近所を散歩しました。そこで見つけたお花を貼っておきます。
このとき穏やかに過ごせたので、ようやく引っ越す覚悟ができました。

芽吹く季節は嬉しいですね。

私は植物が好きです。
“命に意味はなく、それでも尊く美しい”と教えてくれるので。

みんな、一緒に助かりましょうね。

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