長い休み

長い休みの日の抽象的な記録

ある日①
長い休みになる。休みにおいて「長い」というのは、どのくらいから言えるのだろうか。わたしは3週間の休みだった。転職をきっかけとする有給消化と、入社日までちょっと間がある3週間。フランスでは3週間よりももっと長くバカンスで休暇だと聞くけれど、3週間は長くないってことはないだろう。長い休みのはじまり。でかい教会で歌う。気持ちが良かった。

ある日②
どんなに仕事にやり甲斐があろうが、わたしにとってそもそも労働というものは、やりたいものではない。働かなくても生きていけるならそれがいいし、働かなくちゃ生きていけないとしても、なるべく働きたくない。じゃあ何するの?というと、特にこれといった趣味がないのでぼんやりぼーっとするだけである。
いや、この「ぼーっと」というのはね、「浪費しています」の意味なんですよ。体育座りで口を薄ら開けて斜め上を見ながらぼーーっ、じゃないんです。サブスクで映画を観たり、本を読んだり、ドラマを観たり、そういう時間のことをまとめて「ぼーっとしてます」っていうことなんです。だって、正直にいったら「何の映画みてるの?」とか「どんな本?」とか聞かれるじゃん。それがヤなんですよ。
翻って、労働の何がいやって、ぼーっとできないことである。意味と責任に塗れた仕事をしないと出られない部屋に自ら入っては、何とか日々達成して脱出していく。その繰り返しに耐えているのって本当に大変なことなんだ。

ある日③
4月から甥が保育園に通い始めた。先生の連絡帳に「はじめはみんな緊張してしまいがちだけれど、[甥っ子]くんだけはおやつを全部平らげました!」と、食いしん坊家系の頭角を早くも現している。
負けじと(?)、春のうちにたけのこの炊き込みご飯をたくさんつくってたべた。

ある日④
長い休み、特に平日の休みを利用して友達と会う。こっちが土日休みだから会いづらい人って意外といるよね。いつもこちらに合わせてくれているから、こういうときはこちらが合わせなければいけない。どうせ暇なんだから。
友達にパートナーができはじめる。直近で2組。わたしは異性の友達が多いので、一般にいう「結婚して誘いづらい」よりも早い段階で誘いづらさが襲ってくる。基本的に友達に委ねるようにして、誘われたら食事に行くんだが、時折友達のパートナーが「会いすぎ」と釘を刺すイベントが発生する。わたしにはこれが、世界で最も悲しいことのひとつかもしれない。交際の排他性が自分との交友の優先度を相対的にぐぐっと下げる、あの、姿勢。誰かを一番好きでいることを理由に、他の誰かとの交友を妨げないくれよ……。これについては、このルールをつくった人とぜひ話し合いたい。

ちょっといい醤油を買います。