【映画感想】胸騒ぎ【PG12…?】

こんにちは。割と自分の「第六感」は信じるタイプの日辻です。

今回は新宿シネマカリテさんで、話題の映画「胸騒ぎ」を見てきました。

旅先で出会った二組の夫婦。
デンマーク人夫婦のビャアンとルイーセ、娘のアウネス。
オランダ人夫婦のパトリックとカリン、
生まれつき舌がなく、言語障害を持っている息子のアーベル。
物語はビャアン夫妻がパトリック家に招待されるところから始まります。

■ところで この映画、ホラーなの……?

前情報に「胸糞」とだけ聞いていました。
なので下調べ一切なく「いったい何を見せられる?」と
震えながら地下への階段を下りました。

ネタバレ感想なので、いろんな意味で「閲覧注意」と前置きします。
本作はPG12なのですが、濡れ場子どもがひどい目にあう描写があるので
本当にPG12……?(そう主張されるのであればそうなのでしょう。)
面白いか面白くないかで問われれば、個人的には面白いほうです。
たしかにオススメはしません、心にトラウマや傷を抱く人は特に。

さっくりと説明するのであれば
「己の【第六感】【自己防衛本能】【ヤベー奴センサー】……
 すなわち【胸騒ぎ】を疑うな、信じろ」といった寓話風味な物語です。
たしかに人を選ぶ作品で、刺さる人と刺さらない人賛否両論な作品だと思います。
ところどころで小さな選択を迫られて、不穏ルートへと分岐していきます。

本作、前評判で「胸糞」やら「理不尽」やらいろいろ言われていますが
トレイラーでも述べられているように、本番はラスト15分です。

ラスト15分に至るまでの約1時間15分は、
ゆ~~……っくりとジェットコースターをのぼるような居心地の悪さ……
別に刃物が飛び交ったり血しぶきが飛んだりするスプラッタな描写はなく
「いつまでこの状態が続くの…?はやく終わってくれ~!」と思うほど
共感性の高い些細な「不愉快」な「違和感」が積み重ねられていきます。

そうですね……個人的には「胸糞」よりも「不愉快」の印象が強くて
ウワサのラスト15分は「えぇ……」と声が出そうになってしまいました。

こちらの映画、音の使い方がおもしろいんです。
日常シーンでも使われている厳かな音が、
なかなか「不安」にさせる音の使い方をしているのですけど……
音がうまいな、よりは、不安のゴリ押しだな~な印象でした。
「勢いに任せてゴリ押せば人は不安になる」…
そういう意図があったのでは?と思えるくらいのゴリ押しで、
ちゃんと心が不安になってソワソワしました。

■些細な「違和感」

― 異変を見つけたら、すぐに引き返すこと ―
某8番出口さんでも有名なこの言葉を、
まさかこの場で噛みしめることになろうとは……
生き残るために、たったひとつだけ守らないといけないルール。
わたしたちにとっても他人事ではない、処世術のひとつです。
そう、引き返さないといけない。
「胸騒ぎ」を感じたら。

しかし日常において「胸騒ぎ」を信じるのは、むずかしいことです。
最近、いろんなところで話題になっていますよね。
「子どもに道を尋ねる大人はまともじゃないから逃げなさい」
「空いている電車で、隣に座ってくる人間からは逃げなさい」
「逃げなさい、なるべく相手を刺激しないように……」
この映画はその些細な「違和感」を「刺激しないように」逃げられなかった一家の凄惨な末路をえがいています。

ビャアン夫婦を襲った、パトリック夫婦の謎の凶行
救いなんてないのです。なぜなら、逃げられなかったから。
惨殺の動機なんてわからないのです。なぜなら「ヤベーヤツ」だから。

普通の人は、まず荷物を退かせてまで隣に座ろうとしない。
普通の人は、旅先で出会っただけの家族を海を渡らせてまで招待しない。
普通の人は、普通の人は、普通の人は……。
「普通」とはなんなのか?「普通」がゲシュタルト崩壊するのだけど
あの凄惨な最期を迎えてしまうのであれば、少なくとも選択をまちがえたことはたしかでしょう。

パトリック家への招待に応じるか、応じないか。
そこを悩むのはやはり「違和感」だったのでしょう。
ですが「失礼になる」とか「せっかくだから」とか
他人に背中を押されていくことにしてしまったビャアン夫婦。
元々、押しに弱いタイプの性格だったのでしょうね。

面白いことに、積み重なっていく「違和感」たちは
どうやら日本人向け?に作られているように感じました。
食べられないものを勧められ、支払いをさせられ、TPOはわきまえず、パーソナルスペースが狭く、飲酒運転をされて……など。
絶妙な「あ~嫌だな、関わりたくないな」のラインをこすっていきます。
まさかこれをこじらせて最終的に惨殺されるなんて……的な
死亡フラグだと判断するには、ちょっとパンチが弱い「違和感」たち。

だってこれ、映画の外でリアルをいきるわたしたちにとっても
普通に遭遇しえる「違和感」なんですよね。
こういうのを拒絶しきれずにずるずると関係を続けてしまう人たちは
この世にたくさんいて……そういう人は見てる間、苦しかっただろうな。
ビシっと見切りをつけられる人は生き残れる。
そういう寓話的なメッセージ性を強く感じました。
わたしは、どちらの心も持っているはずなので
所々つらくなったり、所々「そうはならんやろw」ってなりました。

■「ニウス」に呪われたビャアン夫婦

今回、己の「胸騒ぎ」を信じ切ることができずに
惨殺されてしまったデンマーク人夫婦 夫ビャアンと妻ルイーセ。
娘のアウネスはウサギのぬいぐるみ「ニウス」を
とても大切にしていて……そのわりにはなぜかすぐに紛失する。
そのたびに、ビャアンが探し回って見つけてくるそうです。

このウサギのぬいぐるみ「ニウス」……。
これがなかなか厄介なキーワードになっている印象でした。

「パパ、ニウスがいないよ」……
ウサギといえば被食側………そんな考察は置いておいて、
この「ニウス」に振り回されてるのは娘アウネスではなく
夫であり父親ビャアンだったように思えます。

心優しい反面、優柔不断で頼りない……そんな性格のビャアン。
空気を読もうと空回ったり、
丸く収めようと立ち回るする場面が見受けられます。
それに対して妻ルイーセは、外面を保とうとする努力をする一方で
強気な態度をとってしまう場面が多々がありました。

内気な夫と、強気な一面を持つ妻。
一見、バランスがとれているように見えますが…
ルイーセも、体裁を整えるように努める一方でストレスをため
ビャアンもまた空気を読もうとすることで苦しんでいたのかもしれません。

アウネスがなぜかすぐ紛失するニウスをビャアンが回収する。
その行為がパトリックが褒めたように「英雄的」であり
父親としての体裁を保つ一つの方法だったのかもしれません。
だからあの絶対に逃げなきゃいけなかった場面において
なぜか「パトリック家に忘れてきたウサギを回収しに行く」という
致命的な選択肢ミスを犯したのかも……

(そもそも、ルイーセが「アウネスがパトリックに性的虐待を受けたかもしれない」との情報をビャアンに共有していたら、引き返すなんて選択を選ばなかったのでは?)
(子どもの前でそういう話をしたくなかったのかな……?)
(その肝心なことを話さないという関係性から察するに
 夫婦仲が元から歪んでいた可能性?)

■ビャアン夫妻にヘイトを向けてしまうような場面も…?

散々「パトリック家のおもてなしイヤな感じ~」という場面を繰り返しておきながら、なぜか他人の家で突然色っぽい雰囲気になるビャアン夫妻。
PG12も真っ青の絡み合いが始まって、
フーン……(なるほどね……)となりました。

この問題のシーンでは、別室で寝ていた娘アウネスが起きてきて
「一緒に寝たい」とドアの外から訴えても
その声を無視して情事に耽るふたり……という描写があります。
(個人的にはここが一番くるしくなりました)

このヘイトコントロールはなんだろう?
最後に惨殺されるビャアン夫婦に対して
「まぁ娘のことを無視したんだからこうなっても仕方ないよね」的な
心の余裕(?)を視聴者に与えるためなのでしょうか…(?)

(個人的には、無意識下のうちに生命の危機を感じていて
 最期に情愛を交わしてしまったという解釈が好みかもしれません…)
(人間、死の間際が一番盛り上がるといいますよね。いうよね?)

パトリック家の横暴な態度にキレ散らかしたルイーセが
心配して近寄ってきた娘アウネスを邪険に扱うシーンもあったので
子どもを犠牲にする=「きみが捧げたんだ」(後述)に繋げるための
わかりやすい死亡フラグだったのでしょうか?

結果的に……夫妻は惨殺されるという凄惨な最期を遂げるのですが
個人的には舌と声を奪われて生き長らえさせられる子供たちの行く末に想いを馳せてしまいます。

■舌と声と命を奪われた子どもたちをめぐるミステリー

この映画、不愉快ホラーだけじゃなくてミステリー要素もあるんです!
不愉快と児童虐待と不愉快と暴力と裸体とひとつまみのミステリー。
(ちょっと珍しいですよね、児童が害されれる描写がある映画…)

ビャアンが発見した、壁一面に貼られた写真に秘められた真実。

生まれつき舌がないとされているパトリック家の息子アーベルくん。
その正体はどこぞの家族から誘拐されて舌を切り落とされた少年でした。
個人的には、不愉快が積み重なる場面や殺戮スプラッタよりも
アーベルがいたぶられてる描写がいちばん苦しかったですね。

キャッチコピーの「だれにも言えない、届かない」
まさしくアーベルの境遇そのものを文字通り表していたと思います。
助けを求めることも、事実を訴えることも、命乞いだってできない。
そのうえで、最終的にはアーベルも命を奪われてしまって
まさしく「死人に口なし」といわんばかりの最期でした。

子どもが犠牲になる系は、その…… PG12くん…?
おかしいな、これ一応小学生(保護者付き)でも見れる映画のはず……。

■「Speak No Evil」

英題……「悪口を言わない」って意味らしいのです(英語できない民)
つまり「不満を口にしなかったら助かった」かもしれないのです。
えっ!?そういう話なの!?って思ったのですが
「ヤベーやつ」のことは「刺激するな」ということなのでしょう。
逃げ出そうとした言い訳を、オブラートに何重にも包んで、角が立たないように一生懸命説明しようとするビャアン……の気苦労を台無しにするかのように始まったルイーセの罵倒。
ビャアンとルイーセの抑圧された関係性が垣間見えるワンシーンですね。

「親戚に不幸が起きたと連絡があって気が動転したんだゴメンネ」
「謝りに戻ってきただけだから今日は帰るネ」的な
テンプレ言い訳がスッとでてこないあたり……
ビャアンは正直者でマジメな人物なのかもしれません。

「Speak No Evil」というからには、
この分岐がビャアン夫婦の命運を分けたのでしょう。

パトリック夫妻は、サイコパスなりにも「おもてなし」をしようとした…?
それとも「どんな扱いをしても従う奴隷的な友人」が欲しかった…?
(ところどころに出てきた謎のベビーシッターはそういう系でマインドコントロールして手中に収めた手駒のひとつ…?)

たとえば「どんな扱いをしても従う奴隷的な」友人が欲しかったと仮定するなら、パトリックにとってビャアンは理想の相手だったかもしれませんね。

ビャアンは心に秘めていた弱さをパトリックに打ち明けた。
パトリックはそれを受け止めて慰めた……。
ビャアンはパトリックに心を許したかもしれません。

ところで人間が不満を相手に伝える時は
「関係を続けていたいから」→「改善してほしいので」→「不満を言う」
……らしいですよね。(諸説あります。)
だけど残念ながら「ヤベーヤツ」に、その愛は通用しない。

なので、パトリックが息子アーベルに暴力を振るった途端
ビャアンは二人の間に割り言って「不満を言った」。
作中でビャアンがはっきりと不満を告げたのはここだけなんです。
(多分……)

あの瞬間、ビャアンとルイーセは殺されることが決まった。
そこから始まるウワサの「ラスト15分」は
「衝撃・理不尽・胸糞」と評判通り 納得のスピード感。
アウネスは夫婦の目の前で舌を切り落とされて攫われた。
夫婦は裸にされて、投石で殺された。もはや処刑。
(調べてみたけど投石ってもっとも苦痛が多い処刑らしい)
(なぜわざわざ投石で……?
 一説によると宗教的な意味合いがあるとかないとか……?)

でも、バッドエンドとはこういうものですよね。
だって選択肢を全てまちがえたのだから。
しかたないんです。「ヤベーヤツセンサー」が鈍っていたから。

「きみが差し出したんだ」……
間違った選択肢の代償に、娘を奪われた。
両親が殺され、舌を切り落とされたアウネスは
「文句を言わない奴隷的な」娘という役割を
パトリック夫妻の支配下で演じつづけることになった。

■「胸騒ぎ」を疑うな、信じろ

この映画には強いメッセージ性があります。
「己の【第六感】【自己防衛本能】【ヤベー奴センサー】……
 すなわち【胸騒ぎ】を疑うな、信じろ」といった寓話風味な物語です。
かなりの誇張が含まれた殺戮スリラー映画ではありましたが、
このヘルジャパンを生き残るために、他人に尊厳を奪われないため
教訓として、心にとどめておいてもいいのかなと思いました。
わたしはどちらかというというと自分の胸騒ぎを信じるタイプの人間なので、あまり他人事には思えなかったです。

この映画の「些細な違和感」は、日常生活であるあるな異変ですから。

明日は我が身、ということで。
油断せずに、命を大事に生きていきましょうね。

■映画「胸騒ぎ」の最悪で悪趣味なグッズ……?

事前情報で「グッズが悪趣味」とも聞いていたのですが
映画の公開終了がちかいせいか、売ってませんでした。
しかたないので、ネットで画像を検索しようと思います。

帰り道、一緒に映画を見たお友だちとグッズ予想をしてみました。
やれ「パトリックお手製の牛タン」だの
「子どもたちの写真詰め合わせポストカードブック」だの
楽しく(?)言い合いながら帰りました。

「あー 切られた舌付きか~」……
なんて一瞬でも思ってしまった自分のこと
わたし そんなに嫌いじゃないんです。

おもしろかったです、映画「胸騒ぎ」
みんなも死亡フラグは積極的に折っていこうな!

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