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VR技術の進化は,人類のあり方を変える

はじめに

みなさんこんばんは. なんでも研究所です〜

この記事はバーチャル美少女ねむさんの投稿企画

に参加しています. 超直前です.これが楽しい…
あと遅れすぎたアドカレも兼ねてます.

ででで.「仮想現実での生き方」を考えよう というテーマについて考えていくわけですね.
ここでは,まずVR技術のあり方が何を引き起こすのかから考えて,そこから仮想現実での生き方がどう変化するかを考えることにしました.

VR技術の終着点

VR技術は日々進化を遂げています.そしてその進化の方向はいつも没入感の向上にあります.

例えば,没入感が向上するフルトラはその代表例でしょう.
どうやら多くのVRユーザーは没入感の向上を求めているようで,だからこのように進化するというわけです.僕もフルトラしたい…(笑)

殆どがフルトラに興味があるとの分析.
個人的には機材があるのに使わない人がどういう考えか気になる.面倒だから?

我々がVR世界への接地を求める限りはこれは続くでしょう.ということは,究極のVRはフルダイブで十分なのです(後に否定).

…あれ,そもそもなんで私達ってVR世界に接地したいんでしたっけ?
自己連続性を断ち切りたいからですよね.物理現実では様々な制約を受けている自分から解き放たれたいという.

現実からの解放? いや,逆では?

私達は現実から離れたいと言いながら,現実らしさを求めて日々VRHMDをつけています.とても奇妙な構図です.

つまり私達の求めるものは自分で編集できる現実なのですね.

自分の認知を自分で編集

私はタルパ保持者なので,これはよく行います.普通はこのことを思い込みとかいうのですが.
普通これは結構面倒です(僕の過去記事を読むとわかるかも,ご参考に)

そこでVRです.これを使えば,自分の感覚を書き換え出来ますから(HMDで全く物理現実と違う視界をみたりするのがそれ),認知の書き換えが容易になります.やった!

認知それ自体が自己になる

自分が認知するもの自体が自分で簡単に編集できるようになったとき,私たちはどう生きるのでしょうか?
そうですね,今は理想的なものを考えて,まるで自分の体のように自分の認知を操るようになるとしたらどうでしょう.

自分の体のように?

そうです.究極のVRができたとき,現実は外であることをやめて自己になるのです.

これこそが仮想現実の生き方,あり方だ!

おわりに

時間がなかったのでかなり僕の思考ダイジェストになってしまい,かなり突飛に見えると思います… 読者の皆さんすみません.
ちゃんと解説版も近いうちに上げます.お楽しみに〜


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