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心より 2

ーお披露目ー

 部会が終わったあとすぐに、お披露目のグループ分けになった。自分はどの楽器もペーペーなので、とりあえずキーボードを選んでおいたんだけど、結果的にベースになった。
 一緒に組んだのはりょうきちと、もものえ。りょうきちは実質共同生活していた時期だったから、よく知ってる人だった。一方もものえはよく知らない人。聞いてみれば高校が同じで、3年の時のクラスも担任も一緒だった。接しずらいだろうと思っていたけれど、今思えば杞憂だったなと。

 前期の授業は全てオンラインだったので、適当な日に実家に帰った。大学のことを話しているうちに、当然サークルの話にもなるわけで、とても気まづい。

 「軽音サークルに入ったよ」

 そう言うのがやっとだった、最後の共通テストより緊張していたと思う。
 
 ぼくの親がどうして音楽を勧めないって?
それは簡単な話で、父親も母親も、音楽にのめり込んで大学を中退しているからだ。
 2人とも高卒なのに、自分の子供は大学生だから言えることはないけれど、音楽が危ないってことは誰よりも分かっていた。

 そうして親の顔を伺っていたんだけど、困った顔で喜んでいた。

 父親はベースが趣味だ。自分がベース係になったのも何かの縁で、軽音でバンドやり始めたのもきっと何かの縁だろう。
 1970年代のしまってあったベースを楽器室から自慢顔して持ってきた父親と、行きつけの楽器屋で調整をしてもらったりした。
 楽器屋に集まるおじさん達はみんな人生狂っててとても面白いし、これから狂うだろうバイト生も大学生だったので仲良くなった。
 そんな感じでお披露目の練習を始めましたとさ。

お披露目の曲はヒバナだった。ちょうどDECO*27を聞いてた時期だったからモチベもあったりした。
 だけど音取りは全部耳コピだった。譜面なんてないし、ベースの先輩に連絡してもあまりいい返事はない。今となってわかるけど、譜面のない打ち込みの曲なんて教える方が無理があるなぁと。
 当時の自分はマジでめっちゃ頑張った。夜10時に部室に行って、朝8時まで、五線譜に譜面を書いては弾いてを一生反復してた。
 しかも半音下げチューニングだと後々気づく。4弦の0フレット、お前だけは許せない。

 おかげさまで音取り耐性がつきましたとさ。

 8時まで練習して、寝て、初回のバン練はしっかり寝過ごした。他の1年2人も来なくて、不覚にもストライキを起こした。心の底からごめんなさい。
 お披露目はぼちぼちな感じでこなすことが出来た。自分は日程的に選考と同じタイミングでちょろっとやったので、あんまりお披露目感なかったけども。なんなら9月だった。
 前期は大学がコロナに感染してたから本当にサークルの同期とは会ったことがないし、名前は自分のバンドしか知らなかった。

 お披露目が終わって、次のイベントが3月になることなど、われわれは知る由もない。
 引退して改めて、1年生と2年生が少し羨ましく感じる。だって今の2年生と自分たちの代はサークル活動してる時間の差なんて、3ヶ月くらいしかないんだもの。
 音楽にやっと手が届いた自分にとって、こんな贅沢な時間が1年半しかないなんて、足りないよね。


つづく

 執筆したのは1か月前くらいですね、公開は年末になっちまいました。
 ちなみに学祭から同期とはれいくんと、もものえと、さくらいにしか会ってませんね...
 一方的になつねとゆいこし見たくらい😇
みんな、サークル楽しんでくれ!
サークルがサークルじゃなくなるまで一瞬です。

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