こころの変化
あけましておめでとうございます。
…というには少し日にちが経ち過ぎている気もしますね。
近頃はTwitterを見るのになんだか疲れてしまい、アプリを起動することもあまりなくなっております。
Twitter上でDMのやりとりをする際や、気になるニュースなど検索する時くらいしか、TLを覗くことも無くなりました。
僕は特に、劣等感が強いので、ああいうSNSと言うものに向いていないのかもしれません。
人の投稿を見ていると、その人がとても立派な人物に見えるんです。
自分よりも優れた人に見えてしまう。
そしてそれが、単なる思い込みだという事も同時に分かっている。
そういう、自らの感情と思考のせめぎ合いとでもいんでしょうか。すごくめんどくさくなってしまいました。
自分と向き合う事が大事なのであって、自分とTwitter上の世界を照らし合わせる必要なんてないわけです。
でも僕は無意識にそうしてしまうので、めんどくさくなる。
それを乗り越えてまで使うツールではないです。
そんなことを考えていると、ある時、自分が音楽を作るという事に価値を見出せなくなりました。
自分の内面と向き合って、絞り出す作業を孤独にこなす事ほど無意味なことはありません。
まぁ、本来趣味に意味なんて見出しては元も子もないんですが。
こんな事考え始めていた頃に、レコーディングをしました。
とてもいいものが出来たと思います。
幸い、この音源を僕の代わりにU_Ray Recordの三浦くんが拡散してくれることになっています。
これはとても幸運な事です。
今の状態で音源だけ出来上がって来ても、僕はきっと誰に届けるでもなく、フォルダの奥にしまったままにしていたと思います。
感謝しかありません。
今は、自分が演者として能動的に何かを起こすという事に、イメージが及びません。
それよりも、ムテの音楽鑑賞会に携わることで人にスポットライトを当てる事や、イベントを運営している事の方が、アイデアも湧くし、そうしてる自分を具体的にイメージ出来るのです。
そもそもで言うと、去年10月に行ったムテの音楽鑑賞会から、色んなものがアホらしく感じるようになりました。
小池喬さんと堀嵜菜那さんの削ぎ落とされたシンプルな演奏は、江岩寺というロケーションや、何ヶ月もかけて開催した自分の経験や思い入れと相まって、完璧なものとして僕の心に今なお鳴り響いています。
(あのイベントが完璧だったと言うわけではありません。未完成な部分も含めて完璧だったと言う事です。)
あの日、あの場所にいた誰よりも心を動かされたのは、他ならぬ僕だったのでした。
この虚無感や無力感を乗り越えたらば、きっと一皮剥けているはずです。
もしくは、そう言うものとの同居が成功して、なにやら達観した男になっているやもしれません。
アフター江岩寺なのか。
ウィズ江岩寺なのか。
今年はどんな年になります事やら。
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