『鶯は暁に鳴く。』
魔法のiらんどで行われた「魔法のiらんど2021 コミック原作大賞」に応募した作品です。
最終選考にまで残りながらも受賞には至りませんでしたが、中華風の異世界ファンタジー&王道少女成長物語として面白い作品となっています。ぜひお読み下さい。
1.あらすじ
何処の地か、世か。
東の果ての大陸に皇帝を頂く国があった。
その名を安という。
古からの習慣が色濃く残るこの国では、女子と男子の役割は明確に分けられ、決してその領分を犯さないことが美徳であると考えられていた。
そんな安国に彗星の如く現れ歴史に名を残した女性がいる。
名を楊明鈴。
地方の貴族の出身である明鈴は、女性として初めての官僚となり、周囲から激しい批判を浴びながらも、常識にとらわれず、自らの意思を貫き生きた。
遠い昔、安国に生きた一人の少女の自立と恋の物語である。
2.キャッチコピー
私はこの世界を全力で駆け抜ける。
そして。
あなたと共に未来を紡ぐ。
3.テーマ
『逆風の中で生きる姿は、女性であるだけでなく、一人の人間としても素晴らしい』生命はかくも尊く美しい。
この作品は中国の唐代(7〜10世紀)に書かれた物語『鶯鴬伝』(作:元稹)からインスピレーションを受けました。
『鴬鴬伝』とは女性主人公・崔鶯鶯と学生・張生の悲恋の物語です。
若い二人は激しい恋に落ちますが、様々な事情が重なり実る事なく破局してしまいます。
主人公・鶯鶯はこの恋で大きな傷を受け他家を嫁ぐことになりました。対して相手の男性・張生は何の咎もなく順調に人生を歩んでいきます。
同じ恋をしたというのに男性に比べ女性の罪が重く思えますが、男尊女卑であることに加えジェンダーが明確に区別されていた当時、別段おかしい話ではありません。
ここで私は「もしも主人公が現代的な感覚を持ち、その時代を自由に生きていたら、どのような選択をするのだろうか?」と考えました。
主人公の女性がジェンダーにとらわれることがなければ、また違う物語になったのでは、と。
舞台は中国の各時代の制度や文化をミックスした架空の国です。
短期間ではありますが、実際に行われていた女性版科挙(官僚登用試験)を物語にも取り入れます。
主人公は科挙合格を目指し奮闘、後に女性官僚として国と共に生きる“自立した女性“となります。
成人した女性読者を想定し、並行して恋愛も描きます。
現代の読者と近い感覚を持つ女性の活躍は読者も楽しめるのではないかと考えます。
4.用語説明
安国
皇帝をいただく大帝国。優れた政治体制を持ち、周辺各国から宗主国的地位にある。広大な領地を治めるために領地を州に分け、中央から官僚を送り支配している。都は永楽。
イメージとして中国の唐代・明代をミックスしたもの。
科挙
官僚を採用するための試験制度。科は進士科(上級官僚)と明書科(一般官僚)の二つ。合格すれば富と地位が保証されている。合格率は1〜10%。狭き門である。
合格するために専門的な教育が必要となる。私塾に通う(予備校のようなもの)か、国が運営する受験専門機関である国立学院に入学するかを選ぶ。
合格までに10年、20年とかかるのも珍しくない。
物語の2年前に女性版の科挙の開始が告示された。
閨房
女性が住む家屋のこと。大抵は中庭を囲むように棟の配された四合院形式をとる。安国においては上流階級の女性は夫・家族以外の男性と顔を合わすことは許されず、1日の大半を閨房で過ごした。
5.登場人物
楊明鈴
女性主人公。16歳。
楊信大の次女。楊信大の妾の子だが、公式には正妻の子として戸籍には登録してある。
艶やかな黒髪と、猫のようにくるくる変わる表情が愛らしい。
家族からは「阿鈴」もしくは「鈴」と呼ばれている。
父親が老境に入ってから生まれた子であるので、両親や周りから溺愛されて育つ。
趣味は乗馬や武芸、狩り(男装して行う)
10歳を超えた頃から良家の子息からの縁談も絶えないが、明鈴自身に親の決めた結婚を受け入れる気がないために全部断っている。
我がままとも取れる行動も多く、頻繁にトラブルを引き起こす。常識にとらわれることを嫌う。
仮の婚約者・江梁から一昨年より女子にも科挙受験が許されたという事を聞き、女官僚を目指す。
江梁
男性主人公。20歳。
安国の英雄である大将軍・江永桂の三男。字は叔跳。
武人である父親とは容姿も性格も似ておらず、出生には秘密があるのではと噂されている。
男性とは思えないほどの美貌の持ち主。常に笑顔で腹に何を抱えているのかわからない。
父とは異なり文官の道を志す。現在は科挙受験生であり国立学院の生徒(後、24歳で史上最年少で合格する)。
楊信大と父親の盟約により、明鈴との見合いのため楊家へやってくる。仮の婚約者となった明鈴に馴染むにつれ、明鈴にだけは感情を露わにする。
楊信大
明鈴の父。55歳。
荊州の大地主であり貴族。権力者。三男二女の父。どっぷりと太った体。末娘の結婚相手として江梁を都から呼び寄せる。女の幸せは結婚だということを信じて止まないが、末娘を溺愛しているので明鈴の要望を断りきれないでいる。安国の常識(男性側)を体現した存在。
夏蘭玉
楊信大の正妻。明鈴の戸籍上の母。46歳。
貴族のお嬢様であるので温厚で横柄。明鈴と実子を分け隔てなく育てる。明鈴の我儘に手を焼いている。安国の常識(女性側)を体現した存在。
釈祥雲
楊信大の妾。明鈴の実母。33歳。
没落した貧乏貴族の子。借金返済のために楊家に奉公に出されていたが、美貌を見出され妾となる。常に控えめで表に出ない。安国の常識(被支配層)を体現した存在。
晴児
楊家の奴婢。17歳。
本名:李晴風。背が高く肉付きも良い。顔に大きなアザがある。奴隷として売られてきた娘だが、非常に聡明であることが評価され侍女としての役割を得た。明鈴付き。常にそばに控え、明鈴の我がままを窘めつつも許す。卑しい身分でありながら読み書きができる。狂言回し的立ち位置。
朱雪梅
朱家の娘。14歳。江梁の親戚。小柄で華奢な学者肌の娘。人見知りがあるが打ち解けると人懐っこい。
朱家は代々科挙専門の私塾を経営しており、父親が塾長であることから、女でありながら講義を受けている。本好き。
明鈴の親友となる。
陸嶺華
豪商陸家の娘。16歳。華やかな美人。涼しげな目元がチャームポイント。気が強い。
女性の科挙試験が行われると知り、野心家の父に勧められて官僚を目指す。朱塾の塾生。
明鈴をライバル視し、事あるごとにぶつかる。
時折、朱家を訪れる江梁に一目惚れし、淡い恋心を抱いている。
6.第6話までのあらすじ
かつて東の大陸に広大な領土を持つ安という国があった。
安が滅び数百年が経つ現代でも残る伝承がある。
「おてんば娘が女進士(官僚)となり皇帝に仕えた」
男尊女卑の激しい時代にあろうはずがないその伝説は、真実なのか、それとも……。
安国。
建孝三年。春。
楊家の娘、楊明鈴は、贅沢だが息苦しい暮らしに飽き飽きしていた。
闊達な明鈴にとって「女は男に従い、刺繍や詩歌を楽しみ、そして子を産む」という、安国で当たり前の“女の人生“は退屈でしかなかった。
女の当たり前の人生、この道から逃れる術はないかと思い悩む日々。
ある日“女の仕事“の押し付けに嫌気がさした明鈴は、一人狩りに出かける。
何匹かの獲物を射止めたとき、明鈴の前に薄汚れた旅装の男が現れた。
叔跳と名のったその男は、男装をした明鈴の姿も語られる望みも嗤うこともせず、むしろ望みを叶えたいのならば知識をつけないといけないと説くのだった。
「因習から逃れる術を見つけるために知識をつけなければならない」
明鈴は、自由に生きるためには自らを高めないとならないと決意する。
そして叔跳と出会った日から、女子は許可なく入ることができない「表(母家)」に忍び込んでは、書庫の本を貪り読み始めたのだった。
数ヶ月が経ち……。
家の「表(母家)」に呼ばれた明鈴は、1人の眉目秀麗な男性を紹介される。
「明鈴の結婚相手」だという。
男性の名は江梁。
科挙試験を控えた学生であり、安の将軍の息子だという。
見事な経歴と何よりも江梁の美貌に圧倒される明鈴。
だが、江梁の容姿に心惹かれながらも、両親の申し出に激怒した明鈴は憤り反発する。
激情に流されるまま家を飛び出した明鈴は女の姿のままいつもの狩場に向かう。
陽が傾き始め夕焼けに染められた狩場でぼんやりと座り込む明鈴。
自分の思うようにはならない人生に苛立つばかりだ。本を読み新しい世界を知っても、自分の力ではどうにもならない世の中に虚しさを感じる。
その時、背後から無頼者が明鈴に襲いかかった。
必死に逃げる明鈴。
あわやのところを駆けつけた江梁(とその護衛たち)に助けられる。
自分の不甲斐なさと弱さに泣き崩れる明鈴をそっと馬に乗せ江梁は優しく慰めた。
そして「今すぐに結婚しなくてもいい。しばらく私の許嫁として過ごし、あなたが納得した上で私の妻となればいい」と優しく語る。思いもよらない提案に明鈴は二つ返事で同意した。
さらに「あなたが学びたいと思うのであれば、できないことはない」と江梁は続ける。
江梁が言うには、2年前に女性の科挙が開始されたという。自立したいのならば受けてみてはどうかと誘う。
科挙は国に勤める官僚を選抜する試験のこと。
合格すれば女進士となることができる。
男と女が完全に同じであるということはないが、将来が保障されることには間違いない。
自由、そして自立。明鈴の目指すところだ。
明鈴は迷う事なく提案を受け入れた。
科挙は試験を通れば将来の成功が保証されているため、受験者も多く合格率はとても低い。
試験が難関なこともあり明鈴は強辯に反対する両親を、江梁とともに説得し、女性も学べる私塾に入学することを決めたのだった。
私塾のある安国の都・永楽。
地方の荊州から私塾へ通うことは不可能であるために、明鈴は侍女である晴児だけを連れ、私塾の経営者である朱家に下宿することになった。
朱家の閨房にて明鈴の上京生活が始まる。
女塾生は塾の経営者の娘・朱雪梅、富豪出身の陸嶺華の二人。
新しい環境(しかも親の目がない自由な環境)、進歩的な考えは田舎暮らしだった明鈴にとってとても刺激的。全てが新鮮で、胸が高まり、今までにない価値観に驚きながらも馴染んて行く。
朱塾での学問はレベルも高く、ついていくのがやっとであったが、それすらも楽しくて仕方がない。
さらに同じ科挙受験者として、教場内だけという限定付きではあるが男性の塾生とも交流する機会もあり、明鈴の世界は大きく広がっていく。
ライバルとの駆け引きや勉強の苛烈さに挫けそうになる明鈴の支えになったのが仮の婚約者である江梁であった。
密かに閨房を抜け出し、江梁に会いにいく明鈴。
いつの間にか江梁に恋心を抱くようになっていく。
7.第1話シナリオ
■場面説明 <>モノローグ ()キャラクターの心情
■プロローグ的展開。
青空が広がる。春が浅い草原。
長い冬が終わり、ようやく木々が芽吹き始めている。
<何処の地か、世か。>
草原を風が吹き冬の名残の枯葉が舞う。
かつて栄えた都市の廃墟が広がる。
<東の果ての大陸に皇帝を頂く安という国があった。>
<広大な領土を持ち栄華を極めたが、盛者必衰は世の理というもの。北方より現れた異民族の侵攻により滅ぼされた。>
異民族を防ぐための防御壁(長城)の廃墟。
劣化し崩れかけている。かろうじて壁であったと認識できる。
<だが、現代にも語り継がれる安の時代の伝説がある。>
■ここからプロローグと同じ場所の過去に戻ります。
再び風が吹き木の枝を揺らす。
騎馬が二騎ゆっくりとこちらへ向かってくる。
先を行く一騎は若い男性(男主人公・江梁)。
後ろに続くもう一騎には、少年かと見まごうほどに凛々しい女性(女主人公・楊明鈴)だ。
<「おてんばな娘が女進士(官僚)となり安国の孝賢帝の臣下となった」>
いつの間にか長城がありし日の姿に戻っている。
長城に沿って騎馬は進む。
<その娘の名は楊明鈴>
騎乗の影……楊明鈴は空を見上げ眩しそうに目を細める。
大空には鷹が飛んでいた。
<果たしてそれは真実なのだろうか?>
■場面変わります。楊家邸宅・閨房(女性の住まい)
安国の荊州、州都・寧。
城郭に囲まれた大きな都市。
太陽の光を反射し艶やかに輝く瓦が波濤のように連なる。
中華風の大小の屋敷がぎっしりと立ち並ぶ。
<建孝三年。春。安国東部 荊州の州都・寧《ねい》>
安国の東部にある荊州の州都・寧は春の盛りだ。
色あざかやかな花が咲き乱れ、民の顔からも自然と笑みがこぼれる、麗かな日。
寧の中心からわずかに外れた貴族の住む地区。
周囲を圧倒するほどの大邸宅に、穏やかざる空気が流れていた。
夏蘭玉「お待ちなさい!阿鈴、あなたどこへ行くの? その格好……まさか馬場に行くつもりではないでしょうね」
四合院形式の閨房に金切声が響き渡る。
声の主は夏蘭玉。この屋敷の女主人である。
黒髪を上品に結い上げ、絹の着物は長い裾をひいている。
老境に入っているはずだが若々しい。
楊明鈴「あ、蘭玉お母様」
綿地の男物の衣をまとった明鈴は、気まずそうに振り返った。
化粧っ気のない顔立ちだが、黒目がちで意志の強そうな眼差しが印象的だ。
夏蘭玉「今日はお父様のお祝いの沓の刺繍を仕上げなければならない日でしょう?まだ終わってなかったわよね」
楊明鈴「はい。ごめんなさい」
小首を傾げ素直に謝る明鈴(だが内心では気にもしていない)。
夏蘭玉は明鈴の口ぶりにため息をつく。
夏蘭玉「……謝って済むものじゃないのよ。明鈴。あなたも年頃なんだから、刺繍くらいできておかないといけないわ」
楊明鈴「お嫁に行けなくなるから?」
夏蘭玉「その通りよ。あなたはもう16なのよ。結婚していてもおかしくないのに……(こめかみをほぐしながら)このまま行き遅れたらどうするの」
楊明鈴「……」
楊明鈴(適齢期ってのは分かってるけど。顔を見たら皆、結婚しろ!お嫁に行け!ってことしか言わないんだから……。)
安国において結婚の適齢期は10代半ば。
さらに女性は結婚をしたら閨房という女性だけが暮らす部屋で暮らさねばならないという習慣がある。
閨房に入る=嫁に行くこと。
つまりは家族以外の異性と会うことも、気楽に外出することもできなくなると同意だ。
楊明鈴(うんざりする。自由がなくなるなんてごめんだわ。)
楊明鈴「刺繍なんてできなくてもいいもの。私はお嫁に行かないから」
夏蘭玉「阿鈴?!」
楊明鈴「好きなことができなくなるのなら、結婚なんてしないわ。楊の家は私一人くらい余裕で養えるでしょう?」
夏蘭玉「そういう問題ではありませんよ!女が結婚もしないでどうやって生きていくつもりなの!」
楊明鈴「市井に下りて、暮らすわ。狩りが得意だから猟師にでもなる。放っておいてください」
夏蘭玉「なんて我がまま言ってるの!女は……」
明鈴は言葉を遮るように、
楊明鈴「狩りに行ってきますね。夕方には戻ります」
丁寧に礼をし、身を翻す。
夏蘭玉「楊明鈴!」
蘭玉の制止もきかず明鈴は素早く外へ出る。
いつものこととはいえ、蘭玉は忌々しげに眉間にシワを寄せた。
■場面変わります。寧の郊外。
草原と林が広がる背景。
葦毛の馬に乗る明鈴(狩りをしやすいように男装をしている)。腰には短めの剣と背には弓。獲物がはいって膨らんだ袋を鞍の背に吊している。
離れたところに山鳥が現れる。
明鈴、馬を止め。騎乗したまま弓を構える。
ゆっくりと慎重に弦を引く。
矢が放たれ山鳥を射抜く。
山鳥が音を立てて地面に落ちるのと同時に、近くの林から旅装をした男性が現れた。
背が高く立派な体躯をしているが、長旅を経たのか全体的に薄汚い。
髭も鬢も乱れ放題だ。見た目は年齢不詳。だが、身のこなしから若い男性であるとわかる。
若い男(実は江梁)「あの距離をしかも騎上から射止めるとは。お見事ですね」
楊明鈴「……!」
楊明鈴(こんなところに人が??いつから?気づかなかった)
慌てふためく明鈴。
明鈴が女だと気づき、若い男(江梁)の眉が上がる。
好奇心が抑えられないのか、表情は明るい。
男は地面に落ちた山鳥を拾い上げ、明鈴に差し出した。
若い男(江梁)「女性でしたか。遠目では少年かと思いましたが」
楊明鈴「……」
明鈴、驚きのあまり、声も出ない。
無言で山鳥を若い男性の手から奪いとり、睨みつける。
若い男(江梁)「恥じることはないですよ。女性が狩りをすることは悪いことではないのですから」
楊明鈴「は??」
楊明鈴(この人、何を言ってるの?)
若い男(江梁)「あなたには類まれな狩りの才能があるようだ。才能に男女は関係ない。むしろ能力を使わないのは損失でしょう。堂々となさっておられればいいのです」
楊明鈴「そんなこと初めて言われたわ。今まで奇異な眼で見られることはあっても褒められたことはなかったの」
若い男は顔いっぱいに笑みを浮かべる。
若い男(江梁)「周りの見る目が無かったということでしょう。残念なことだ。……それよりも随分可愛らしい声をしているのですね。この荊州に都の貴婦人にも劣らない女人がいるとは。驚きました」
明鈴、赤面し顔を背ける。
男の格好をしているということが何よりも恥ずかしく、そして自分が女性だということを意識せざるを得なかった。
楊明鈴「……ありがとう」
若い男(江梁)「これも縁というものでしょう。せっかくですので、少し話をしませんか?この辺りのことを聞きたいのです」
楊明鈴「名も知らない旅の方と話すことなどありません」
若い男(江梁)「では、私の方から名乗りま……」
明鈴は男の口を押さえる。
楊明鈴「仰らないでください。結構です。知りたくありません」
明鈴は袋を取り出し、山鳥を入れる。獲物の量が多いせいか、袋を鞍に固定しようとするがうまく行かない。
男が横入りし手際よく括り付ける。
若い男(江梁)「私は近しい者からは叔跳と呼ばれています。所用で都からはるばる寧にやってきました。あなたのことは“お嬢さん“……でよろしいですか?」
明鈴は男の手元を見つめ、渋々うなずく。
楊明鈴(楊家の娘が男の格好をして狩りをしているなどと噂が立てば、お父様に恥をかかせる事になるわ。ここは言う通りにしておこう……)
楊家は名門だ。
“奇怪な娘“がいるとなれば、名が落ちてしまうだろう。女性が敷地の外に出ることすら好ましく思われない世間で、男装をして狩りをすることは狂人でしかない。
叔跳は明鈴の馬の手綱を引き、近くの木に結ぶ。
背中の荷袋から毛布を取り出すと地面に引き、明鈴を座らせた。
若い男(江梁)「本当に狩りがお上手だ。男の狩人でもここまで獲物を仕留められる者はいないでしょう」
楊明鈴「私、子供の頃から狩りが好きなの。自然と腕があがっただけよ」
若い男(江梁)「修練の賜物ですね」
楊明鈴「……周りからは変わり者って思われてるけどね」
明鈴は苦笑する。
叔跳は不躾にも明鈴を上から下まで眺め、一人納得したようだ。
若い男(江梁)「確かに。あなたは身分のある方とお見受けする。平民ならいざ知らず、貴族で、しかも女人で狩りがお好きとなると風当たりは強いでしょうね」
楊明鈴「……ええ。とても。でも仕方ないわ。家で静かに過ごすよりも、こうして馬を駆る方が好きなの。誰になんと言われようともね。ごめんなさい。初対面の人に話すことではなかったかも」
男は目を細める。
薄汚れ髭だらけではあるが、その頬を緩ませると、どこか優雅な趣が漂う。
若い男(江梁)「私は好ましいと思いますよ。閨房に籠るだけの女人よりもずっといい。自らの力で輝けるということは素晴らしいではありませんか」
楊明鈴「そう言ってもらえると嬉しいわ。……世の中の人が皆あなたみたいな人だったらいいのに」
楊明鈴(きっと私はもっと楽に生きていけたのに、ね。結婚なんて気にすることもなく)
明鈴の脳裏に母親と女性のあるべき姿に関して言い争う姿が浮かぶ。
男は荷物から茶器を取り出し、湯を沸かす。
慣れた手つきで白湯を茶碗に注ぐと、明鈴に差し出した。
若い男(江梁)「悔しいのならば、周りをねじ伏せるほどの力をあなたが身につければいいのですよ」
楊明鈴「ねじ伏せる力?女の私にそんなことできるはずがないわ」
若い男(江梁)「この力に性別は関係ありません。成すか成さないかだけですよ」
楊明鈴「その力ってなに?」
若い男(江梁)「“学問“です。学び習い、知力をつけるのです。自分自身のため、世を渡る力をつけるためにも知識は必要です」
楊明鈴「知識……?古典とか詩歌なら学んだわ」
古典や詩歌は貴族女性の嗜み。
明鈴も幼い頃から仕込まれている。
男は首を振る。
若い男(江梁)「古典や詩歌も大切ですが、それだけでは足りません。歴史、法、政治、医学……実学を学ぶといいでしょう。あなたの行く末を決める道標となるはずです」
明鈴の瞳が煌めく。
楊明鈴「私、学んでみたいわ。好きなことをして生きていきたい。力が欲しいの」
若い男(江梁)「あなたにはその力も資格もあると思いますよ。選ぶのも成すのもあなた次第です」
未来への希望が一筋、暗闇の中に浮かび上がった。
■場面変わります。深夜、楊家の屋敷。
新月の夜(月明かりがなく真っ暗)。
閨房の戸が開き、小さな行燈を下げた明鈴が出てくる。足音を立てないように、細心の注意を払いながら「表(母家)」に向かう。
明鈴は中庭に通じる裏口からそっと「表(母家)」へ入り、さらに奥へ進む。
書庫の前まで来ると、あたりを警戒しながら忍び込んだ。
行燈の光が漏れないように気をつけながら、本を開く明鈴。
楊明鈴(知識をつけて、私は強くなる。自分の足で人生を歩いていけるように)
ページを捲る音だけが、書庫に響いた。
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