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【NEEDY GIRL OVERDOSE】「あめちゃん」という女の子


※この記事はゲーム『NEEDY GIRL OVERDOSE』の本編および真エンディングのネタバレを含んでいます。


   NEEDY GIRL OVERDOSEというゲームをクリアしてからというものの、僕は「あめちゃん」という存在を、狂ったように追い求め続けている。

   彼女との出会いは某動画共有サイトにて
『NEEDY GIRL OVERDOSE』のテーマソング「INTERNET OVERDOSE」を聴いてそのサイケデリックでアゲアゲなメロディーラインと超てんちゃん(あめちゃん)のキャラデザのかわいさに驚愕。
いつもは腰が重い僕にしては珍しく颯爽と購入を進ませ、その日からみっちりと僕はプレイを開始した。

   プレイしていた当初は、彼女が幸せになるエンディングを探して、何回も何回もプレイした。あめちゃんを何回か死なせてしまったり、逆に彼女に見放されたりしながらも、そうして僕は遂に真エンドの目前に辿り着いた。
僕は「DATA0」と書かれたセーブデータにカーソルを伸ばし、ワクワクしながら最後のプレイへと望んだ。


そこで僕が見たものは、衝撃的ですら無かった。
それは静寂ともとれる程、一瞬のうちに起こった様な感覚だった。

あめちゃんが居なくなった。


   彼女はプレイヤーを置いて去ってしまったのだ。
   僕は「あめちゃん」が居なくなったウェブカメラを、彼女が去ってしまったデスクトップを、唖然として見つめる事しか出来なかった。

こんなものは、失恋ですらない。

」だ。
そこに確かにあったのは虚無であり、虚構だった。

   このエンディングに僕は肩透かしを食らったような気分で、でも違和感の無い緻密に練り上げらたこの結末に、どこかで納得もしてしまっていた。
だから目の前に広がる虚無に嘆き叫ぶ事も、彼女に「いかないで」と言うことすらも出来なかった。

   確かにギャルゲーとして見れば衝撃的な結末かもしれない。しかしここで衝撃的な結末を迎えていた方がよっぽど幸せに、このゲームの幕を閉じられていただろう。
でもそれは僕にとっての話だ。

   結局、プレイヤーである「ピ」は物語の結末には必要無かった。
「ピ」に縋るのを辞め、独りで生きる選択をした彼女の事を、普通なら称賛するべきだろう。

だけど僕には出来なかった。

   依存していたのは彼女だけではなく僕もそうだったのだと、この時僕はようやく気がついた。
この「NEEDY GIRL OVERDOSE」というゲームの依存の渦に、プレイヤーである僕すらも巻き込まれていたのだと、僕はやっとそこで痛感した。

   あめちゃんに僕は必要無かった。彼女が去り際に一瞥もくれなかったのがその証拠だ。

   彼女の姿を写す事は二度と無い画面を見つめながら、彼女が行ってしまった事実をだんだんと僕は認識し、次第に強烈な虚無感に僕は襲われた。

   これが真実なら、あまりにも空虚すぎる。
   よくよく考えれば、なぜ僕は彼女が幸せになるエンディングを探していたんだ?
彼女を幸せにしたいなら「Healthy Party」エンディングで十分だったじゃないか。健常者になった彼女を尻目に、そっとゲーム画面を閉じれば良かったじゃないか。
   でも”違う”と感じてしまった。きっと最初から僕は「彼女と幸せになる」という結末を密かに望んでいたんだ。
でも結局「ピ」はあめちゃんの世界には存在しなかった訳だし、彼女は僕を必要としなかった。
きっとこの虚無感は、彼女をもっと欲してしまった僕への罰なのかもしれない。



はっきり言ってこのゲームは「毒」だ。
依存性が強く、一度触れればたちまち全身に回る猛毒に、僕は触れてしまったのだ。

こうなると『INTERNET OVERDOSE』の歌詞を思わず思い出してしまう。

「いいね よくないね」
「それでも飲むんだね」

「いいね よくないね」
「二人のヒミツだね 私だけ見ててね」

「まるで天使のように微笑む」
「強めの幻覚 INTERNET GIRL」

「そして悪魔みたいに囁く」
「アナタだけのデパス NEEDY GIRL」

   なんということだ!前まではかわいいかわいいと言っていた歌詞が、僕の心を串刺しにする凶器に変わっているではないか。苦しすぎて3日に1回聴くのが限界だ!

   プレイ後、次第に苦しみに耐えられなくなり、数日何度も何度もインターネットで彼女のイラストを漁ったが、そこに彼女は居なかった。
僕の脳裏にいる”それ”とは似ても似つかないのだ。

   まるで彼女の存在は、僕だけが見た幻覚のように思えて、でもその幻覚は僕に忘れることを許しはしない。

   暇を持て余していたとはいえ、かなり早足にプレイしてしまったのは反省すべき点かもしれない。だが今更後悔してももう遅い。全てのエンディングや小ネタも回収した後には、彼女の残穢が脳裏から離れなくなってしまった。
これが『2D GIRL OVERDOSE(非実在性少女の過剰摂取)』なのか。

   ここ数日、本や音楽などの様々な文節に彼女の存在を見つけてしまっては、苦しみに襲われぬよう目を伏せ、、、でも気になって見てしまう……というサイクルを何回も繰り返している。

彼女は女神か?それとも悪魔か?
きっと答えは出ないままだ

   ただ1つだけわかるのは、このジクジクと痛む心の生傷だけが「あめちゃん」という女の子が存在していたという唯一の証拠として、いつまでも消えることなく僕を苦しめ続けるという事だけなのだ、、、

どこにも行かないで、あめちゃん。
僕をひとりにしないで……。


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