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この世の中に確かなものなんて何1つない

最近ちょっと思うことがあって、

思うままに書いてみようと思います。

最近、さまざまなことを勉強していて、ある1つの結論にたどり着いて、、

それは、この世の中に確かなものなんて何1つないんだな

ということです。

歴史や、芸術、子育て、脳科学、心理学、

たくさんの本を読んだり、論文を見てみたり、、色々してみました。

でも何1つ腑に落ちないというか、結局なにも解明されてないというか、

ただただ人は「自分が信じるもの」を信じているだけで、

それが絶対的に正しいと証明されたわけではないんですよね。

歴史とか、特に。

逆をいうと、信じたいものを信じてる人は、皆正しい。

でも人間って自分が正しいと思いたいんでしょうね。

だから争いも起こるわけで。

歴史も科学も芸術も必ず逆説っていうのはあって、

論文に書いてあるからこうですっていう論拠はもうすでに破綻してて、
科学者ですらなんもわかってないじゃん?っていうのが私の結論です。

あれってただ書面で討論してるようなもんです。

だから実は科学者と一般人ってやってることあんま変わらないのかもね、って。

私はもともと「根拠のないことしか信じない」タイプですが、
要は勘だけで生きてる超危ないやつなんですが、
大学の勉強して色んなものに触れてますます、
あれ?やっぱり確かなものって何もなくない?ってことを改めて感じています。
(もともと勉強の目的が視野を広げるためなので、確かなものを求めてるわけではないのですが、、、)

この次元ではもはや、

「信じるか信じないかは、あなた次第です」

どーーーーん!的な、

もはや全部都市伝説なんじゃないかなっていうくらいの

どうでもいいことばっかりなんですね。

いや、どうでもよくはないのか。

確かに、人間には知能があるので動物とは反応が違うわけで、

ただここに大きな落とし穴があって、

これはまだ自分のなかの仮説なんですが

「知識量」が増えすぎると、反応が動物に戻るのでは、、、

ということなんです。

コップに水注ぎすぎたら上澄みが溢れて流れていくのと一緒で。

知能っていうのは自分で考えて答えを導き出さないといけないわけですが、

知識っていうのは詰め込めるだけ詰め込めるんですよね。

でも詰め込んだところで脳はなんの刺激も受けておらず、ただ溢れて流れていく。
ただそれだけで。

その先を予測したり試行錯誤するから刺激されるんですよね

要は知識得た時点では勉強する前となんら変わっていないっていう、、、


そんで私のなかでやはり知能というのは見て体験して考えて自分なりに失敗したりちょっと成功したりっていう、そんな中でしか得られないっていうか、、

これは子供から大人までずっと一緒で、これだけは変わらぬ事実だと思ってます。

これは「疑似体験」では到底得られない刺激です。

「疑似体験」これはネットでいくらでも得られますね。

疑似体験が増えすぎて、たぶん人間って動物に戻っちゃってきちゃったのかもって

なんとなく思ったんです。


攻撃されないように群れをなす とか、
獲物を収穫したものにあやかる とか、
とりあえず何も考えずにリツイートする とか(笑)
そういうやつです。


例えば絵画だったら、「作品」と「作者の意図」って全くの別物で、
我々は「作品」に対してあーだこーだ言うわけですが、
ここで「作者の意図」を紐解いていったところで、
「なるほど、そういう見解もあるわね」程度のことなんです。

「作者の意図」は作者の中にしかないわけで、
逆を言えば、作者が作品を出した時点で「なんで私の意図に気づいてくれないの?」っていうのは傲慢にも程があるっていうのが私の考えです。

本人の心の中でも覗かない限り到底理解できるわけがないわけで。

それと同じように、作品を見る庶民が「作者の意図を紐解くこと」はこれまた傲慢にも程がある気がしてきます。

ただこの「見えない部分を見ようとする」ことこそに意義があるのもまた事実で。

作者の意図を考察したり憶測するのは、見えないものを見ようとする行為ですよね。


例えば私たちは空を見上げて、それが空だと認識はできるけれど、
その空がどこまで続いているのか、未知を全て知ることは何百年何千年もってしてでも不可能で、

一生かけても自分自身のことですら解明することはできないからこそ、
人生は有限であると知っているからこそ、
人々は思考し、創造してきたのだろうなと思うのです。

なにで?
頭や心で、です。


で、この話の結論なんだよってなると、
すべては「自分の内側の信じる心」に委ねられているっていうことなんです。

目の前で起こる出来事も、
絵画を見て何を感じ取るかも、
子育てにこれがいい!って思うのも、

全てにおいて正解は自分の中にしかないわけで、
周囲の反応や結果にフォーカスすると軸がブレます。

その考える過程こそが人間たらしめる知能というものなのではないかと私は思うのです。


この世の中に確かなものなんて1つもない。

見えないところにしか大事なものは存在しない。


その想いを表に出した時に1歩ずつ進んでいくんだろうな~。

見えてる部分の話ってなんか飽きてきちゃう。

やっぱり見えない部分で話がしたい。

そんな感じで

本日もそのまんま生きてます。

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