家具の多い部屋
いちいち手順を確かめなくても、本棚くらいは組み立てられる。そう思っていたのだが、通販サイトの段ボールからサイコロみたいな木の箱が転がり出てきて、どうにも何をすればいいのか分からなかったので、同梱の説明書を取り出した。
最初は何かの手違いかとも思ったけれど、表紙のイラストを見ても間違いなく私の注文した本棚のようだった。この立方体は最終的には小さめの本棚に変形するはずである。他には丸シールと、なぜか広葉樹らしき葉っぱがそれぞれ小袋に分けて入っている。
組み立て手順のページを開くと、まずは金槌を用意すべしとのことだった。普通プラスドライバーではないのだろうかと訝しみながらも工具箱を開け、次の指示を見てみると、それでAを叩いてくださいと書いてある。
Aはどこだろう。作業する上ではこの箱の六面を厳密に区別する必要があるらしい。箱には穴の空いている面が二つあったりするのだが、どうもこういう立体的な把握は苦手だ。図によれば、色が他よりもやや暗い面を下にして置いたとき上にくる面の中央がAとのこと。軽く叩くと側面の一つが横に開いた。
この蓋になっていた面がBだという。付属のシールでBの穴を全て塞いでくださいと書いてあるので、黒い丸シール四枚を台紙から剥がしていく。先にBの穴を塞いでからAを叩くと本棚内の空気の行き先が変わりB’が開いてしまうのでご注意ください、とあった。
Bの穴を塞ぎ終わって次の図を見るとCDEFが現れた。数学の授業を思い出す。CDEFとはBの開いている面を上にしたときの側面の四枚を指しているらしい。蓋の開いている角度を図と揃えるよう回すとさっき叩いたAはEになった。Eの向かいの面Cの中央Gを金槌の柄で何度も叩く。最初は大きな音がしていたが、叩き続けるうち次第に小さくなってきた。反応が鈍くなっていく様はまるで生き物を殴っているみたいだなあと思う。
音が変わらなくなるまで叩き続けてから箱を持ち上げると、その下から白いムカデのような虫が三匹這い出してくる。先に説明を見ていなければ悲鳴を上げているところだが、これがH1、H2、H3だ。素手で捕まえたくなかったので、ちりとりのように開いた面へ追い込む形で全て箱の中に入れた。そこに小袋内の葉っぱも一緒に入れて、Bを閉じてしまう。
その状態で何日か放置しろと書いてあるので、仕方なく床に置いたまま生活に戻った。
五日してから開けてみたら、葉っぱが細かい屑を残して食べ尽くされている。そして、H1から3が死んでいた。ここからどうするんだと説明書のページをめくると、本棚が完成している。落丁かと思ったが、各工程に振られた番号を見てみても、ムカデを入れて放置→完成で正しいらしい。
しかし私の目の前の木箱はまだ蓋が開いただけである。
どうすればいいか、さっぱり分からない。
金曜の夜ですでに窓口が終了していたので、次の日の昼まで待ってカスタマーサポートに電話をかけた。女の声が応対した。
『はい、こちらアイリスオーヤマお客様サポートセンターです』
「そちらで買った組み立て式の本棚についてなんですが」製品の型番を読み上げ、「指示書きに従って作っても完成しなかったので。どうすればいいですかね」
『大変申し訳ございません。それではいくつか質問をさせていただきたいのですが』
訊かれたことに答える形で作業内容を伝えると、少々お待ちくださいと断りが入り、しばらく何か調べるような間があってから、
『お待たせいたしましたお客様。まずそちらの製品なのですが、同梱しておりますHのムカデには顎で木を削って巣を作るという習性がありまして、その巣が本棚のような形になることを利用した組み立てキットとなっております』
「はあ」
『それでですね、おそらくお客様はH1、H2およびH3と餌の葉をキット内に入れたあと、Cの面を下にして置いておかれたのではないでしょうか。Cの穴はHが呼吸をするための穴となっておりまして、こちらを塞いでしまったためにHが死んでしまい巣を作らず本棚が完成しなかったものと思われます』
箱を見ると、確かに穴の開いた面が下になっている。
そんなこと説明書に書いてないじゃないかと言うと、女は若干こわばったような声色になって、図を見れば底面がCではないことは明らかだし、そもそも空気穴のない密閉空間で生き物が呼吸できないことは教えられるまでもなく分かるはずだ、というようなことをビジネスの言葉遣いで言う。
「ムカデに巣を作らせるなんて知らなかったんだよ。書かなきゃ普通分からないだろ」
『大変失礼いたしました。その点に関しましては、Hのムカデは扱いとして工具のようなものでして、たとえばビスを打ち込むことについて、これによって部品を固定するといった説明はわざわざ記載する必要がない、とそういう判断で省略させていただいております。おっしゃるとおり、ムカデは通常そのように木を削ったりする生物ではありません。このたびは私どもの至らなさゆえにお客様にご迷惑をおかけしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。しかしお言葉ですがお客様、家具の組み立て作業におきまして虫を窒息させ死なせるなどという工程は、常識的に考えてありえないものと存じます。つまり私どもといたしましては、お客様がねじ穴を潰してしまわれたとしても、ねじ穴を潰すなとは書かれていなかったからという理由での交換対応には応じかねますわけでして、同様にムカデを殺してしまわ』
意気消沈して電話を切った。
本棚になれるはずだった木箱は、部屋の真ん中で今や単なる虫の棺桶と化していた。
死産した子供の姿を見ているかのような生理的嫌悪感。最初は腹が立っていたが、この箱と一対一で向き合っていると、だんだんこちらの気力が奪われていくような気がした。冷静に考えてみると、先のことを何も考えずに作業していた自分の浅はかさ、短慮のせいでこうなってしまったのかもしれない……という思いまでもがわき起こってくるのだ。
私の部屋にはこういうものがたくさんある。
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