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消極的なキッカケからアントラーズサポーターになったら

執筆:LOVIN
編集・写真提供:タケゴラ
サムネイル:AKIRA

サッカーとの邂逅

自分にとって「サッカー」は物心ついた頃から「自然に周りにあるもの」だ。地元には当時としては珍しく天然芝の公立サッカー場(現在は人工芝化したらしい)が存在したし、近くの河川敷には数面の土のサッカー場があった。そんな地元で育ったので、サッカーに触れる機会は少なくなかったが、自分にはサッカーの才能が欠片も無く、サッカーは好きだが「殆ど観るだけ」の少年時代を過ごす。

時代は移ろい、Jリーグ開幕が決定して世の中が沸き立つ中「こと」は起こった。

アンチ読売

Jリーグ開幕を控えたある日、開幕前の特番で各チーム紹介をやっていた。

一緒に見ていた幼馴染が一言。

「まあ、しょうがないから俺達は地元の鹿島アントラーズを応援してやろうぜ」

“読売ヴェルディ、横浜マリノスばかりが特集されてるけど、地元だし《かわいそうな》アントラーズを応援しよう“と言うニュアンスだ。

そこで「そう言えば地元・茨城にもJリーグのチームができるんだったな」と改めて自覚した自分は、持ち前の天邪鬼な性格を発揮し「周囲が読売・日産とばかり言ってるから」と言うかなり失礼なモチベーションでアントラーズの試合を見始める事になる。

そうして始まった93年1stステージ。アントラーズは快進撃を続ける。特徴的な髪型でゴールを量産するアルシンド、すっぽんマークの本田、長髪をなびかせながら潰しまくる大野、圧倒的技巧だけど殆ど走らないジーコなど、選手の色が豊富で「ああ、アントラーズのサッカーって観てて面白いな」と、気付けば毎節楽しみに観戦していた。

そして…圧倒的優勝候補と目されたヴェルディやマリノスをよそに、アントラーズが1stステージ優勝を遂げる。地元のアントラーズが優勝したのだ。いやがうえにも気持ちは昂る。ヴェルディ監督の松木安太郎さんがインタビューで「想定よりも鹿島(の勝つペース)が速かった」と苦虫を噛み潰したような表情で言っていたのが何とも痛快だった。

2ndステージはヴェルディが制し、チャンピオンシップでアントラーズと対戦する。そこで見たのは露骨な偏向判定。(当時の印象でそのように記憶しているが、改めて今見たら違うかもしれない)残念ながらアントラーズは負けてしまい、偏向判定に憤慨した自分は「明確なアンチ読売」となった。(ちなみに今は別にアンチではない)

それ故に「何が何でもアントラーズに勝って欲しい」と思う様になったので、ここが自分はアントラーズサポーターだと認識した起点だ。幼馴染が放った何気ない一言は、結果として自分をアントラーズサポーターへと導く事となったのだ。

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アントラーズに傾倒させてくれた本山雅志

そうしてアントラーズにハマったが、現地に試合を見に行くことはなかった。住んでいた場所はカシマからは遠かったし、当時Jリーグのチケットはプラチナチケットと呼ばれ、取るのすら難しかった。

さらに他に趣味でやっていた楽器の事だったり、受験だったり、女の子にかまけたり、大学に入るとお酒を飲みまくったり、バイトで働くことの充実感を覚えたり、どうしてもそんな事にばかり熱を上げてしまっていた。

残念ながら、自分はそうしてアントラーズサポーターではありつつも所謂「ライト層」として過ごすことになる。

そんな状況が変わったのは1999年のワールドユース。躍動する一人の選手に目を奪われた。スイスイとドリブルでピッチを切り裂き、決定的なパス・クロスを何本も供給する。ついには現地ナイジェリアの観客達も彼がボールを持つと歓声を上げるようになる。

その選手こそが本山雅志。その後、長く愛する事となる選手だ。

「すげー、どこの選手だろう?」と思ったが、ライト層な自分は本山選手がアントラーズの選手である事をその時まで知らなかった。「本山選手が見たい」と言う強い動機が加わり、以前にも増してアントラーズに傾倒していく。試合は欠かさず見る、アントラーズの情報をかき集める、サッカーマガジンを毎号買う様になったのもこの頃。

それでも現地観戦はできずにいたが、2000年にはアントラーズが三冠を達成し、次々とタイトルを獲得していくチームを目にして居ても立ってもいられなくなり「もうこれは現地に行くしかない」との思いが強くなったある試合で現地参戦する事に。初めて訪れたスタジアム。耳をつんざく程の応援と歓声。躍動する本山選手。「知ってしまった。これはもう戻れない」と心の中で呟いた。(そんなドラマチックではないけど、また来たいと思ったのは事実です…)

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それまでグッズなど買ったことない自分が初めて買ったユニフォームは勿論本山選手。ちょうど背番号が10番へと変更になった時に購入した。(あんなにも愛おしく大切にしていたユニフォームが今どこにあるのか分からないのは内緒)

ユニフォームを買わない時期もあったが、久々に購入したのはそのプレイスタイルに本山選手の面影を見た安部裕葵選手。彼も10番に変更した年に購入したが、半年で移籍してしまった。2020年は名古新太郎選手。そして今は荒木遼太郎選手に強烈な魅力を感じていて、2021年はおそらく彼のユニフォームを買うだろう。彼には本山選手の面影をかなり感じる。

そして伝説へ…

※言うまでもないかもですが、この見出しはドラ〇エへのオマージュです。

そんな訳で気付いたらドップリとアントラーズサポーターになり、今では「仕事を休んででも現地観戦する」「無理ならリアルタイム観戦」「それも無理なら血の涙を流しながらタイムシフト観戦」と言った生活になっている。(要お財布との相談)

さらに独り観戦がメインだった自分が、思いがけず多くのアントラーズサポーターに出会い、縁あって今はANTLOVERSの皆さんと親しくさせて頂いている。共に観戦に出掛けたり、試合後にあーだこーだ話し合ったり、ソロ観戦していた頃には思いもしなかった楽しみを経験させてもらっている。

伝説にはならないかもしれないけれど、同じチームを応援する仲間がいるということはそれに匹敵する位に素晴らしいことだと思う。迷ってる人がいたら一歩踏み出して、是非仲間に加わって欲しいと思う。

以上、キッカケはとても失礼で消極的なモチベーションから、今はここまでアントラーズにハマってしまった自分の話でした。

書いた人

LOVIN
茨城県出身。ANTLOVERS MAGAZINEのライター兼読者兼賑やかし役(?)。Jリーグ開幕からのアントラーズサポ。無類の酒好きだが平日は飲まない。週末飲む為に仕事をしていると言う噂も。実は結構なオッサンだが頑張って若作りしている。アルコール度数は正義。
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