タバコを吸うということ
数ヶ月くらい前からタバコを吸うようになった。元々何か口に咥えてみたかったというのもあるが、タバコを吸うという文脈の中で生まれる会話や、アルバイトが増えて心労でやりきれなくなっていたというのもあった。
最初はタール1mgのものを吸っていたが、強いものを一本だけ吸った方が精神には良いのではないかと考え、今はハイライトを吸っている。タール17mg。2週間に一本程度で吸うため、1日平均で1ミリを超える。
確かに身体には良くない香りがする。昔の自分は酒は飲んでもタバコは絶対に吸わないと決めていたのもあって、1本吸うごとに一回嘘をついているような気がしてくる。気がするだけで、恥ずかしくて死にたいとか思うことはないから、そこの罪悪感や信念の弱さというものを毎度のこと受け止めなければならない。逃避する気がないため火をつける度に真っ向から悩まなければならない。これでは本当にストレスが消えているのかいないのかよく分からない。
吸う理由はもう一つあり、赤の他人の副流煙を吸いたくないからというものである。
タバコを持った者は、喫煙室にいれば親戚とか気の置けない友人とか、そういう類のものに感じられる。火がついている間だけ見られる実家や親戚宅の幻影。マッチ売りの少女が見ていたものは決してでたらめではないということがわかる。
一方で吸っていない時の副流煙ほど腹が立つものもない。ただ身体に悪い。体に纏わる煙は、都会の鬱陶しさとか探し物が見つからない時の諦観に似たものを思い起こさせるだけだ。そんなことを思うくらいなら自分もタバコを吸おう。そして幻は映写室だけで見ようと考えるに至った。
あまり一人で吸うのは好きでない。知人がいる時に一緒に吸いたい。そしてそういう時、私はとても将来のことについて話してみたくなるのだ。
タバコを吸いながら将来の話をする。いつのこととも知れぬことを、次第に短くなり数分で消えてしまうタバコを吸いながら話す。ミッシェル・ガン・エレファントのバードランド・シンディーでは消えていく流れ星に憧れることを野蛮人の祈りと形容していたが、まさしく友人と吸っている時の私は野蛮なのである。刹那主義的。
しかしセンチメンタルな気持ちになりたいとかではない。タバコを吸う度に起こる嘘や火が消えていく絶望を、全部受け止めて受容できるようになりたいだけだ。ハイライトは喉を蹴るから私はすぐ声を出すことができない。声も感覚も失った状態で、どうなるか分からない将来に怯えながら必死に言葉を探している。私がやりたいのはそういうことだ。
これだけ悩んで吸っても何もいいことはない。しかし身体を悪くしてまで悩み続けているんだから、私の無意識が余程魅了されている宝のような観念があるのではないか。こういう幻にも取り憑かれながら私は心労を癒やすために心をより暗い所に追いやってタバコを吸うのだ。
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