反出生主義とは何でないか よくある誤解
Twitterという限られた文字数で意見を発信しなければならず、かつ文脈を無視したコミュニケーションが発生しやすい場において、比較的に馴染みがなく社会通念から逸脱していると認識されやすい思想等は誤解されやすい傾向にあると思います。これは反出生主義に限らず、フェミニズムや、より資本主義の強い国における社会主義なども同様の扱いであると推察されます。誤解のプロセスとして、同思想を提唱する集団の一部の過激派、もしくはそもそも自分自身でその思想を理解していない部分的な集団、が大衆に晒されて、一般化されるということは最早特定の思想に限らず日常的な光景となっています。今回は反出生主義という、特に現在の社会規範と不一致激しい思想に関するよくある誤解について解説し、とりわけ「反出生主義は何でないのか」を解説したいと思います。
対象とする人:反出生主義という名前は知っているがよく知らない人、反出生主義を自称しているが同時に他の類似点がある思想を持っている人
この記事で扱わないこと:反出生主義が正しいのかどうかの議論、どのように正当化されうるのかという議論
(反出生主義の主張が正しいかどうかではなく、「それは反出生主義の主張ではない」「それは反出生主義の正当性と関係がない」という指摘をするためのnoteだからです)
免責事項:(a)個人の意見です (b)校正してないので誤字脱字や日本語が不自由な部分が多々あると思いますが大目に見てください (c)後々修正・加筆をすることがあるかもしれません (d)自分にも当てはまる批判をしている部分も多々ある(ないしは間接的に批判が自分に該当する部分)と思うのですが、それはそれで反省したいと思いますが、それと独立にこの文章を読んでいただければ幸いです
0反出生主義とは何なのか
「出生は非道徳的行為である」という思想です。
1よくある誤解
1.1 「反出生主義の人って死にたいだけの自殺志願者なんでしょ?勝手に一人で死ねばいいじゃん」
これは3つ誤謬があります。
(a)反出生主義は出生、つまり存在を開始することの不道徳性に関する主義であって、「既に生まれてしまった存在の命に価値があるか/終わらせるべきかどうか」は別の議論です。一般的に何かを始めることと終わらせることが(特にそれが道徳的地位が付与される存在であるならば特に)常に対称であるとは言えないと思います。身近な例でいえば(これは道徳的な問題ではなく効率性の問題を示す例なのですが)、「この会社に入るべきではなかった」と「この会社を辞めるべき」が違う言説であるという事です。前者の場合は「この会社に入る世界」と「この会社に入らない世界」を中立的に比較するわけですが、後者の場合、既にその会社に勤めているため、辞職や転職することの負担がかかってしまうので「(そもそも)この会社に入らない世界」に移行することはできません。例を存在に置き換えても同じであり、一度存在を付与されたあとどうするのが(道徳的に)良いのかというセカンドベストの話は、反出生主義の範疇ではないです。
(b)反出生主義は、全人類が子供を産むべきではないという主張であって「個人的に産まれたくなかった」という思想ではないです。
(c)反出生主義は、存在を始めることが問題であるという主張であって、「人生には意味や効用がない」という思想ではありません。仮説的には、全人類が充実した人生を送り、生きることで「総合的」に大きな効用を得るとしても「出生をするべきではない」と主張することは全く矛盾しません。 たまにある反応として、「私は人生楽しいし産まれてよかった」と言って反出生主義を退けようとする人がいますが、それはそもそも反出生主義の主張と反しません。
ここで同意しておきたいのは、実際に反出生主義を持つ人の中には「全人類を加害したいという思想」や「希死念慮」を持った人が多いという事です。実際にどの程度の相関があるのか定量的に測ることはできませんが、体感では「反出生主義者は破滅願望を抱えた自殺志願者」というステレオタイプは正しいと言わざるを得ません。それは、反出生主義に至る経路としてそもそも社会や自身の生命に対する嫌悪があったり、又は反出生主義を自称しているが自分自身上記のような誤解を持っておりその誤解に基づいて発信をしているという理由によるものです。
ただしここで重要なのは、反出生主義者がどのような理由で反出生主義を持つに至ったのか、とか反出生主義以外にどの様な思想を持っているか、といったことと反出生主義の主張自体は独立であるという事です。仮に殺人犯が仮初の反省を表明するためという動機で「殺人は許される行為ではない」と言ったとしてもその言説自体の正しさや主張の内容はその動機や発言者の属性に依存しないのと同様です。
1.2 「反出生主義を信じるのは自由だけど、他人にそれを押し付けるなよ」
これは所謂、「反出生主義」を「チャイルドフリー」、つまり「規範的言説」を「ライフスタイルの提言」と混同していることから生じる反応だと思います。以下の誤謬を含んでいます。
(a)反出生主義は「全人類が子供を持つべきではない」という主張であって、「(個人として)私は子供を持たないという」チャイルドフリーの思想ではないです。
(b)反出生主義は「出生をするべきではない」という規範的(normative)な主張であって、「どのライフスタイルがいいのかという提言」ではありません。「押し付ける」も何も、出生が道徳的に許されない行為であればしてはいけないので、あなたが産みたいかどうかはありません。「殺人はいけない」という主張に対して、「別に個人の勝手なのでから殺人をしないというライフスタイルを押し付けるな」という返答が成立しないのは明白だと思います。あなたが出生を道徳的に問題と認識するかどうかは問題でなく、そもそも如何なる規範的な言説(それが正当化されるかは別として)に対しても「押し付けるな」という反応をすること自体が間違っています。これはリベラリズムに反対しているという話ではなく、出生が道徳的に問題であるならば個人の自由の行使が他者危害の原則に抵触しているだろうという話です(当然、出生が子供にとって害なのかという議論はまた別です(一応言っておきますが、ここでいう害というのは存在の効用の総量が負であるという意味ではないです。詳しくはnegative utilitarianismで調べてください))
また、反出生主義を主張する人の中にも稀にチャイルドフリーと混同している方が散見され、あまつさえ「他人に反出生を押し付けない」と公言している方もいます。反出生主義に身を投じて他人の出生を阻止しろ、とは言いませんが(too demandingであるので)、少なくともの「出生をする人を許容する」といった旨の言説をしてしまう人はもはや反出生主義ではないと思います。「私はレイプに反対だが、レイピストにレイプをするなということを強要はしない」と言い出したら「?」となるのと同様です。
1.3 「反出生主義って妊婦叩いてるしミソジニストなんでしょ?」
これも明言したいのですが、「性別にかかわらず自発的に出生に直接的に携わった人間」が批判の対象です(行為だけでなくその行為の責任を問って行為者を非難するのであれば)。仮に異性愛者間において妊娠を意図した性行為をして、結果として出産に至ったとした場合、両者ともアウトです。女性は、出生の選択の結果である妊娠や出産を(人口胎盤が存在せず代理母などを使わない限り)せざるを得ないというだけであって、男性に責任がないということはありません。
望まざる妊娠・出産が多いということや、女性が性的な関係性において極めて不利な状況に置かれていること等は理解しています。つまり、責任というものが自由意志の行使が可能であった範囲というものに比例するとすれば、むしろ出生という行為に対して女性の責任を取れないケースもあるとは思います。最も極端な例では、強姦されて妊娠し、かつ堕胎も合法ではないなどが考えられます。しかし、
(a)一般的な命題として出生に問題があるかどうかは個別具体的な出生の過程に依存しない
例えば、仮に殺人を生まれつきの精神疾患によって実行した人がいるとして、当該人物の責任に関係なく、「殺人は悪い」と言えると思います。これは女性が妊娠出産の負担を生物学的理由で負わなければいけないということに対応しています。また、正当防衛における殺人が正当化される局面もあると思いますが、それは殺人という行為自体が一般的に許されるということを意味しないと思います。これは強姦による出産などの例に対応しています。
(b)反出生主義は出生の責任の所在を問う主張ではない
仮に出生が問題であり、犯罪化などされた世界を考えると、確かに比例原則に基づいた罰則を実行するために責任の所在や度合いは問題になってきます。しかし、それは最早法律の運用の問題であって厳密には純粋な倫理学の問題ではありません(当然倫理的に悪いものの大半が法律で罰せられるわけですからオーバーラップする面は多いですが、同値ではありません)
ですので、実際に反出生主義を自称する人間の内にミソジニストが多かったとしても、それ自体は問題ですが、反出生主義の主張自体を棄却する理由にはなりません。
1.4 「反出生主義って男性叩いてたりただの性嫌悪のミサンドリストなんでしょ?」
これも、性嫌悪やミサンドリーを同時に持っている或いはそれらが動機で反出生主義になった人もいるということについては同意します。しかし、繰り返しになるので省略しますが、動機と言説の真偽は関係ありません。
1.5 「反出生主義ってすべての命が生きるに値しないといってるようなもんだし、優生学じゃん」
(a)(繰り返しになりますが)反出生主義は「出生することが問題である」という主義であって、「生命や人生、存在の価値に関する言説ではありません」
(b)反出生主義は、全ての出生が問題であるという主張であるので、「能力等に基づいて生きるに値する命・しない命を選択する」ものではありません。よって優生学ではありません。
ここで、所謂designer babyやparental licenseについて述べておきます。仮に反出生主義者がこのような概念を支持する場合は、「(出生はしてはいけない行為だが、出生がなくならないと仮定した場合)産まれてくる子供の苦痛を最小化したい」という思想によるものであると推察されます(少なくとも私はそうです)。designer babyやparental licenseの具体的な実行方法や個別な正当性の議論は論旨とずれるので省きますが、所謂「親は子供の最善の人生を提供するべきというliberal eugenics」を、ナチスドイツに代表される優生学の最も歪んだ実行方法と混同するのも誤謬です。
1.6 「反出生主義って少子高齢化を加速させて人類を滅亡させる危険な思想だよね?」
(a)はい。人類がこれ以上生まれてこず、恒久的に存在の強制がなくなる世界が理想です。
(b)少子高齢化に伴う諸問題は認めるものの、出生が悪であるとした場合、「少子高齢化を減速させるために出生という不道徳行為を行う事」自体が正当化できないと思います。厳密には、そのトレードオフを正当化できるとしても、一般論として出生が悪かどうかという事には関係がないという事です。例えば、究極的に戦争が不可避な局面を考えれば、結果的な生存人数を増やすために敵兵士を殺すことは正当化されるかもしれません(まあ仮に救える人数を最大化できるからと言っても民間人を殺してはいけないように単純に救える人数の数の大きさで全ての人権侵害が正当化されるわけではないのですが)。だとしても、一般論として「殺人はよくない」という主張は正しいはずであり、出生に関しても同様です。
というか、出生の是非を語るときに「少子高齢化が~」という話をするのであれば、むしろ人口爆発で苦しんでいる国(特に最貧国)では出生率を減らすことが文字通り人命を救うのであって、最も都合のいい文脈を持ち出して反出生主義を危険視するのはナンセンスだと思います。
2 反出生界隈(そんなものがあるのか?)について
これはいずれの界隈に関してもそうですが、「過度な一般化をしない」「属性と主張を分離して判断する」「主張を吟味するときに主張の意図を勘繰って、主張と意図を混同しない」「対人批判をしない」などは最早当然のことだと思います(それらの誤謬を自覚しており、自覚した上で「そういう仕草」としてやるのであれば別にいいと思いますが)。
とはいえ、これもずっと言っているのですが、反出生を名乗る人の大半は、皆さんが持っているような偏見・ステレオタイプに合致する人も山ほどいて、界隈外部と同様に内部でも反出生主義を誤解している人がいます。界隈の人に言いたいのは、反出生主義は鬱病や破滅的な願望や性嫌悪や性差別的思考の隠れ蓑でもumbrella termでもないので、反出生主義以外の思想を露呈する場合は反出生主義と独立の文脈で表明するべきだと思います(これは自分にも当てはまることだと自覚はしていますが)。もしくは、今まで見てきたように反出生でないものを信奉してるだけの方は反出生を名乗るのをやめてほしいです。今まで見てきたような誤謬の一部(特にチャイルドフリーと混同している方など)は、フェミニズムにおける2nd wave/3rd waveのような派閥争いとか、宗教における分派のような、思想の分岐と形容できるレベルではなく、思想の前提が違うからです。
3 あとがき
このnoteで言いたかったのは、「反出生主義が正しい」という事ではないです。そもそも現時点では社会は「反出生主義が正しいかどうか」とか「信じるかどうか」というステージにすら達しておらず、その前段階として「正しい認知」を必要とする段階にあると思います。今反出生の人もそうでない人も、一度反出生主義が何であり、何出ないのかを整理していただけると幸いです。
まあ正直Twitterとかいう空間で議論なんて成立しないし、元々説得する気なんてないんですけどね。カスが。
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