春になると大きくなるガソスタ
大阪に越してもうすぐ2年が経つ。ライブ出番が終わって帰ろうとしたら間違えて上手から舞台に出ていきそうになるほどの方向音痴の俺でも、地図を見ずに自転車でなんば、心斎橋、梅田、天王寺などの繁華街には行けるようになった。コンビニ、スーパー、喫煙可の喫茶店、公園、映画館、本屋、TSUTAYA、雀荘、美味い飲食店。通い慣れた道が別の通い慣れた道と繋がって、街が脳内で構築されていく。車の窓ガラスに流れる雨粒の跡がアメーバ状に拡がるような気持ち良さ。まあ、それよりも好きな感覚があるよという話。
今朝、家の近くのガソリンスタンドの前を通って、越したばかりのとき角を曲がる目印にしたことを思い出した。この、「街をある程度把握したタイミングで、越したばかりのときを思い出す」のが、人生でもトップ10くらいに好きだ。信号が変わるタイミング、交通量、坂道の傾斜、スーパーの売場の配置、今とほとんど変わらないはずなのに、当時と比較するとズレが生じる。信号が変わるタイミングは不規則で交通量は多く、坂は急で売場の配置はマーケティング的に失敗している、そんな気がする。このズレの実感が気持ち良い。
越してきた季節にするのが理想なので、今朝は完璧ではなかった。それでもこの言い表せない快感は十分得られる。しばらく営業時間前の閑散としたガソリンスタンドをぼーっと眺めていた。もっと広かったような。春が待ち遠しい。
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