翻訳

“春夏秋冬は、1枚のピザを均等に4等分したよとこっちを見てくるが、全然そんなことはない。夏と冬が無神経にチーズを取るせいで、春のピザは擦りむいた皮膚みたいにトマトソースが剥き出しになり、痛々しい様相を呈している。毛布を取られて寒そうに寝ている奴みたいでもある。春は痛くて寒い。この際、秋は忘れたままにしよう。
少年漫画の三原則「友情、努力、勝利」は、人間が何かを成し遂げるために必要な「中毒」をマイルドに変換している。中毒とは「習慣」の重症化であり、非喫煙者から見た喫煙者のように、その欲望は他者にとっては狂気じみている。例外なく少年漫画の主人公は狂人である。
春には「期間」と「季節」がある。期間とは、人の一生を80年として四季に当てはめた場合の20歳までを指す。「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクション」や、「音楽の好みは14歳のときに聴いた音楽で形成される」ように、人格形成において重要とされている。しかし、自分は該当していないため、懐疑的である。常識も音楽の好みも春が過ぎてから常に更新されている。
「季節」としての春は物語において重要である。多くの少年漫画の主人公が中高生である理由は、同じ年頃の読者層をターゲットにしている以上に、春に始まり春で終わる物語を描くためだ。人間が中毒化する何かに出会い狂人になるのは、季節としての春なのだ。そして狂気と別れるのも春なのだ。勝利のその先にある狂気との別れは漫画では描かれない。狂気と別れた人間は退屈だ。
出会いの喜びを大事そうにひとつひとつ数えている場合ではない。期間としての春が過ぎようとも、季節としての春は毎年訪れる。狂気と別れた人も、季節が春になれば再び何かに中毒化する機会を得る。その機会を放棄し、喪失を誤魔化す物語を誰も読みたいと思わない。”

ナツニムケテノダイエットセンゲン/ヤッムカイリ語(『ホンヤクできないセカイのことば』より)
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