人にはそれぞれフェチがある。身体、服装、シチュエーションなど、対象は様々である。その中でも「性別に深く根差しつつ後天的」なフェチが存在する。男性特有のフェチ「腋」、女性特有のフェチ「手」である。
それは異性から見た男(女)らしさという前時代的な価値観から起因するものでも、遺伝子的なものでもない。人類が口伝によって紡いできた歴史なのだ。
腋フェチの男性と手フェチの女性はよくよく思い出して欲しい。そのフェチは自らの内奥から生まれたのではなく、多感な同級生や年上の同性に「普段あまり見られないから」「清潔さが分かるから」好きだと聞かされ、「そんな理由でそんなものが好きになるのか」という衝撃と共に知覚したはずだ。そして、「次にもし見る機会があれば確認しよう」と心に決めたはずだ。それ以来、意識的に見るようになり、気づけば「普段あまり見られないから」「清潔さが分かるから」好きだと聞かせる立場になっているのである。罪の意識を感じつつ。
フェチとはそもそも宗教用語「フェティシズム」の俗称であり、古代社会にみられる呪物崇拝を指す。世界共通言語である「ヘンタイ」を生み出した日本において、フェチが単なる嗜好のひとつではなく、信仰の領域に分布されるのは当然なのかもしれない。神を先天的に信仰する人間が(恐らく)いないように、フェチを信仰するのは後天的なのである。
告解室のドアの立て付けの悪さに苛立ちを覚えたが、それも見透かされそうで静かにドアを閉めた。仕切りの向こうから感じた司祭の気配は穏やかなものだった。
笑った時の顔のシワが、目尻や頬や口元なんかに出るようなシワがフェチなのですが、加工アプリが流行して以来、プラスチックのようなツルツルとした不気味な肌しか拝められない時代になってしまいました。未だ外出するにもマスクが必須の社会のため、顔を直接合わせる機会すらままなりません。どういったお考えでしょうか。人間が笑った時にできる顔のシワは、笑い過ぎが死因になったあなた様の聖痕だそうですが、信仰心を試されているのでしょうか。レヴィナスをもっと精読すればなにか見えてくるでしょうか。

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