【目指すべき基準を曖昧にしない】

日常的スピリチュアル、安田です。

目指すことというのは
より大きなことであったり
漠然としたことなのですが
曖昧にしてはいけないのです。

目指すべき基準を
曖昧にしてしまうと
向かうべき方向を
見失ってしまうのです。

目指すべき基準というのは
理想論、綺麗事であり
この基準を曖昧にしないことで

自己基準を上げる歩みが
できるようになります。

今の時代には
目指すことが必要なのです。

より大きなことを
目指していかないと
歩み、努力の原動力が
弱くなってしまうのです。

成熟を目指していた時代には
より大きなことを目指す
余裕がなかったので

理想論、綺麗事を
曖昧にするしかなかったのですが

成熟した今の時代で
曖昧にしてしまうと
軸、基準が無くなり
原動力が弱くなります。

生きていくだけであれば
わざわざ苦しい思いをする
努力は必要ないのです。

いくらでも無難に
生きることができるので
生みの苦しみを
避けることができるのですが

何の刺激も感じられないし
成長することもできないし
基準も上げられないので
ただ空しくなるだけなのです。

今の時代の環境は
精神的に病みやすくなっています。

何も目指すことがなく
歩み続けているだけで
精神的に病みやすいのです。

漠然とでもより大きなことを
目指していくことで
自分で自分に刺激を
与えることができるので

今よりも成長することができ
基準を上げることができるのです。

今の時代に
何となく行き詰まりを
感じてしまうのは

目指すことがなく
ただ惰性的に
歩んでいるからなのです。

今まで何も目指すことがなかった人が
目指すことを決めるとなると
非常に面倒に感じるのですが

目指すことがないと
行き詰まりを感じてしまい
前に進めなくなってしまうのです。

より大きなことを
目指すのが目的であり
達成したいことを
目指していくのが目標になります。

目的と目標の違いを
明確にしていかないと
目指すことが
曖昧になってしまうのです。

目標を決めることが
できないのであれば
目的だけでも
決めてください。

目的というのは
理想論、綺麗事であり
より大きなことを
目指すことをいいます。

目的を決めていくことで
自分がどこまで目指すのかの
目標を決めることができるのです。

目的を決めないで
目標だけを決める
ことはできないのです。

過去の時代は
自分の目標だけでも
良かったのですが

今の時代は
目的と目標を決めないと
歩み、努力を続けることが
できなくなってしまうのです。

習慣にする方法
体質にする方法は
明確になっているのですが

何も目指すことがなければ
習慣、体質にする必要性が
感じられないのです。

私たちはより大きなことを
目指していかないと
行き詰まってしまうのです。

目指すことの大きさと
原動力の強さは
正比例するのです。

漠然とでも
より大きなことを
目指している人は
原動力が強いので

より高い基準で
歩むことができるのです。

目指していることと
自分の基準を一致させようとするので
歩み、努力の基準が上がるのです。

目指す基準を曖昧にしないで
明確にしていくことで
成長欲求を満たす歩みが
できるようになるのです。

自分次元の基準を
越えたことを目指さないと
成長することができないし
基準を上げることはできないのです。

より大きなことを目指すことで
歩み、努力の原動力を
強化させることができます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌

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