【学びからの刺激が原動力になる】

日常的スピリチュアル、安田です。

私たちは良くも悪くも
刺激を求めているのですが
学ぶことで刺激を感じる
ことができるのです。

刺激を感じることで
原動力が強化され
歩み、努力の基準を
上げることができます。

歩み、努力の基準を上げるには
学びの努力の継続が必要であり
学び続けることによって
原動力が強化されるのです。

学びの努力というのは
単に知識を覚えることだけではなく
言葉を身につけることでもあるのです。

言葉を身につけることで
原動力が強化され
基準高く歩めるようになります。

学んでばかりでは
頭でっかちになるという
無駄な心配をする人がいますが

どんなに学び続けても
頭でっかちになることは
絶対にないのです。

頭でっかちになるほど
学んでいないし
学ぶことはできないのです。

学びの基準を上げることで
原動力が強化され
実行することができるのです。

実行力が弱いというのは
学びの基準が低いということです。

常に学び続けている人は
学びの基準を立てているので
自然に実行することができ

実行することで
前に進むことができます。

どんな時代、環境になっても
学びの努力は必要なのです。

効率よく学ぶことが
開発されていますが

努力というのは負荷をかけて
力を身につけて、強化させる
ことが必要なのです。

効率よく学ぶことも必要なのですが
負荷をかけることで
刺激を感じることができ

身につけることができ
強化させることができるのです。

年々、文字離れして
いるようなのですが

本を読む、文字を読むことから
負荷をかけることができ
言葉を身につけることができます。

効率よく身につけたことは
長く維持することはできません。

時間をかけて身につけたことが
いつまでも残っていくし
活かすことができるのです。

なので、一時的に文字離れが進んでも
結局は本を読む、文字を読むことを
求めるようになるのです。

今の時代は多くのことを
知っていることには
価値がないのです。

知っていることを活かして
経験、体験をしていくことで
価値を見いだすことができます。

知っていることを
活かしていくには
できていないことを
学び続けることが必要なのです。

学びというのは
できていることを
学ぶのではなく

できていないことを
学ぶことで刺激を
感じることができます。

できていないこと
できる気がしないことを
学んでいくことで

違和感、居心地の悪さを
感じるようになるのですが
その感じている境地が
刺激になるのです。

できていないことを
学び続けることによって
できるようになり

成長していることを
感じることができるのです。

私たちは無意識に、反射的に
違和感、居心地の悪さを
避けようとしてしまうのですが

成長するのに必要なことに
違和感、居心地の悪さを
感じるようになっています。

必要ないことは
何も感じないのです。

できる気がしないことでも
学び続けることによって
悟りの境地に至ることができ
できるようになるのです。

私たちに必要な学びは
既にできていることではなく
できていないことなのです。

できていることを学び続けても
何の刺激も感じることもできないし
成長につながる歩みができないのです。

違和感、居心地の悪さを
感じる学びを継続することで
良い刺激を感じることができ
原動力が強化されます。

負荷がかかる学びから
成長していることを
感じることができ

歩み、努力の基準を
上げることができるのです。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌

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