【建設意識で歩む時代】

日常的スピリチュアル、安田です。


建設意識で歩むことで
希望や可能性を感じることができ
投入する歩みができるのです。

私たちの歩みには
希望や可能性が必要なのです。

ただ漠然と歩んでいても
何のために歩んでいて
どこに向かっているのかが
分からなくなり

希望も可能性も
感じられなくなってしまうのです。

今の時代には
歩む動機、目的が必要であり
建設意識が必要なのです。

なぜなら
時代が成熟しているからです。

無理に頑張る必要がないので
動機、目的がないと
歩み続けることができなくなるのです。

「何のために歩むのか」ということを
今まで考えてこなかった人は
非常に面倒に感じるのですが

動機、目的がない歩みでは
惰性的な歩みになってしまうのです。

そして、今の時代は
頑張る時代ではなく
努力を積み重ねていく
時代でもあるのです。

頑張るというのは
その場限りの頑張りなのですが

努力というのは
積み重ねることができ
建設することができるのです。

投入する歩みというのは
建設することに
連結されていくのです。

投入することで
歩む基準を上げることができ
基準高く歩むことができるのです。

頑張るというのは
環境の制限によって
それ以上やりようがない
場合がありますが

努力というのは
基準を上げ続けることが
できるのです。

無限に基準を上げ続けることは
できないのですが
今までの常識基準以上に
上げ続けることができます。

常識基準の限界というのは
その時代では低い基準なのです。

過去の時代の基準よりも
上がってはいくのですが
その時代の基準では低いので
常識基準に合わせてはいけないのです。

今は成熟時代なのですが
成熟時代というのは
プラスマイナスゼロの
時代ということです。

ようやくスタート時点に
立つことができ
穴埋めを終えたということです。

現実的に穴埋めは残っていますが
建設をしていくことで
同時に穴埋めができるのです。

なので、今の時代は
建設することに集中
投入していけばいいのです。

建設と穴埋めが同時にできるので
建設することだけを
意識していけばいいのです。

建設していくには
目指すことが必要であり
積み上げている感覚が
必要なのです。

現実の私たちの歩みは
どんなに最善を尽くしても
大したことはできないのです。

ごく小さな歩みしかできないので
積み上げている感覚が必要なのです。

積み上げている感覚で
歩み続けることができれば
建設的に歩めているということです。

建設というのは
一気にはできません。

地道な歩みの
積み重ねであり
当たり前のことを
当たり前に歩むことなのです。

奇跡的なことを
願うのではなく

地道な歩みが
続けられることを
願ってください。

奇跡を願って
たとえ導かれたとしても
その場だけで終わるのです。

私たちの歩みは
一発勝負の歩みではなく
長期的な歩みなのです。

勝負の世界では
勝つことだけに
フォーカスするしか
ないのですが

建設する歩みは
着実に積み上げる
歩みになるのです。

何をするにしても
建設意識で歩むことで
集中することができ
投入することができます。

頑張る意識ではなく
努力をする意識で歩むことで
時代の波動に合わせることが
できるのです。

建設時代の波動に
合わせていくことで
希望と可能性を感じることができ

時代の恩恵を
感じることができます。


今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌

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