【第1章無料】 電子書籍 第49弾 前倒しの技術~先延ばしの習慣を断ち、前倒しの習慣を身につける方法~

はじめに

 人は習慣の生き物であるので、習慣になっていることは無意識に行動してしまいます。良い習慣で、向上する習慣であれば何の問題もないのですが、悪い習慣、何の生産性も無い習慣が根付いてしまうと、どんなに頑張ろうとしても、習慣の力に引っ張られてしまいます。

 習慣というのは無意識なので、自覚がないのです。自覚があれば、改善をすることができますが、それでも今までの習慣を変えるというのは、簡単なことではありません。ただ、簡単ではなくても変えることはできるのです。根付いた習慣を全く変えることができないとしたら、諦めるしかないのですが、習慣は変えることができるのです。

 私たちの根付いた習慣の中で、最も厄介なのが「先延ばしの習慣」なのです。今できることを、後に先延ばしし、今日できることを明日に先延ばしし、今週できることを来週に先延ばしし、今月できることを来月に先延ばしし、今年できることを来年に先延ばししてしまう習慣が根付いています。

 この習慣、癖を自覚し、改善をしないと、いくらでも先延ばしにしてしまい、何も行動ができないまま、年月だけが過ぎてしまいます。まさに「明日やろうは、馬鹿野郎!」ということです。これは他の人がどうであるかではなく、自分(あなた)がどうであるかということです。

 多くの人は、

「成功したい」
「自分を変えたい」
「今の状況を改善したい」

と思っています。

 ただ、思っていても、何の行動もしないし、始めないので何も変えることができないのです。何のアクションも起こさないで、偶然何かが変わるということは滅多にはないのです。たまに偶然の導きで変わることもありますが、偶然というのはそう長くは続かないのです。

 成功、変革、改善というのは偶然ではできません。意図的な行動や努力によってしかできないのです。そして、成功する人も、変革する人も、改善をする人も共通しているのは「行動が早い」ということです。行動を先延ばしにするのではなく、前倒しするような感覚で歩んでいるのです。

 本書は「前倒しの技術」ということで、前倒しの習慣の身につけ方をお伝えします。今まで、頭では分かっていても、つい先延ばしにしてしまい行動ができなかった人や、行動が続けられなくて、夢や目標を実現できなかった人は多くいます。

 前倒しというのは、持って生まれた才能ではなく、後天的に身につけられるスキルであり、技能なのです。前倒しの習慣を身につけることができれば、大量行動ができるようになり、大量行動から夢や目標を実現させることができるようになります。

2018年1月 安田 悌

目次

はじめに
第1章 先延ばしにしてしまう心理的な原因
・時間の流れに対しての危機感がない
・「時間は与えられている」という自覚がない
・自分の人生を真剣に生きていない

第2章 先延ばしの癖を自覚する
・本能を自覚する
・先延ばしのデメリットを感じる
・誠実さを守る

第3章 前倒しのメリット
・時間の余裕ができる
・大量行動ができる
・プロ並みの技能が身につく

第4章 前倒しの習慣を身につける方法
・「今の瞬間」を意識する
・やることを明確にする
・紙に書く習慣を身につける
・ダラダラ生きない
・本心基準を高める習慣
・ゴールの日付を決める

第5章 今の瞬間は最初で最後
・今日死ぬ確率がある
・今の瞬間しか行動はできない
・現状維持はできない

第6章 奇跡を求めない
・行動しなければ何も起こらない
・待つ時代ではなく攻める時代
・スピード時代に合わせる

おわりに

第1章 先延ばしにしてしまう心理的な原因 

先延ばしの心理的な原因を知らないと、改善できない。

いつか、どこかで先延ばしの習慣を切らないと、いつまでも前に進めない。 

・時間の流れに対しての危機感がない

 時間というのは、時々刻々と休むことなく進んでいます。時間は止まることなく流れていくのですが、この流れに対しての危機感を持っている人は少ないのです。時間が流れるというのは、当たり前のことであって、自然なことであるので、危機感を感じにくいのですが、この当たり前のこと、自然なことを認識しないと時間を簡単に流してしまうのです。

 究極を言えば、全ての時間が貴重であるので、1分1秒たりとも無駄にはできないのですが、全ての時間に気を張っていたら身が持たないのです。ただ、「時間は無限ではない」という認識が必要です。有限なので「限りが有る」ということを知るべきなのです。

 「1日24時間」というのは、万民に共通しています。どんなに大富豪であっても、どんなにどん底の貧困層であっても、時間の長さだけは同じなのです。時間の貴重性というのは、どんなに語っても語り尽くせないのですが、その貴重性を感じている人は、ごくわずかな人だけなのです。

 なので、時間を無駄にする人が多いのですが、時間を無駄にするというのは人生を無駄にしているのと同じなのです。すなわち、「時間=人生」そのものであるということです。大げさに聞こえるかもしれませんが、大げさにしないと時間の貴重性を認識することができないのです。

 中には「暇つぶし」をするような、無駄な生き方をしている人もいますが、無駄に生きている人は、生きていても魂が死んでいるようなものなのです。どんな人でも、長生きをしたいとは思っているのですが、ただ長生きをすればいいということではないのです。

 人生の中でどのような歩みをして、どのようなことを提供してきたかに人生の価値があり、価値を提供することで、自分を成長させることができるということです。今は時代の恩恵で寿命が延びてはいるのですが、私たちの人生というのは「時間圏内」なのです。この時間圏内の中で、どのような価値が提供できるかなのですが、時間の流れを認識しないと、何をやるにしても先延ばしにしてしまうのです。

 時間は休みことなく流れていくので、時間の流れを意識して、危機感を持つことができれば、流される歩みではなく、着実に積み上げていくことができる歩みができるようになります。

・「時間は与えられている」という自覚がない 

 時間というのは「生命そのもの」といっても、過言ではありません。今日生きているというのは、時間が与えられているということなのです。宗教的な表現で言えば「生かされている」ということなので、感謝しても感謝し切れないというのが、私たちの人生であるのです。

 私たちの生命というのは、全てをコントロールすることはできません。生まれてくる順番というのは決まっていても、死ぬ順番というのは決まっていないのです。若いから死なないという保障はないし、歳を取っているから死が早いということでもないのです。平均寿命が長くはなっていますが、どんな人でも「死ぬ確率」があるということです。

 なので、時間というのは与えられているのです。たとえ、与えられているという自覚がなかったとしても、今日生きているということは、生命が与えられていて、時間が与えられているということなのです。

 与えられている時間というのは、永遠ではありません。いつまでも続くということはないのです。いつか、必ず終わりがあるということなのです。時間の終わりがあるということが自覚できないと、平気で先延ばししてしまうのです。極論を言えば、今できることを今やらなければできなくなることもあるし、今日できることを今日やらなければ、明日にはできなくなることもあるのです。

 人が死ぬ寸前に後悔することがあるとしたら、失敗したことではなく、やらなかったことを後悔するのです。失敗をしたということは、少なくても行動をしたということなので、失敗に対しての恥ずかしさは残ったとしても、後悔することはないのです。全く何も後悔しないような人生を歩めれば、究極の理想になるのですが、現実の私たちにはそのような人生を歩むことは、まず無理なことです。

 ただ、究極の理想までにはいかないにしても、なるべく後悔を小さくしていきたいのです。後悔を最小限にするためには、1日1日を大切にしながら、1日を後悔しないように歩むことで、後悔が小さくなるのです。与えらえている時間も生命も有限なので、いつか必ず終わりがきます。その終わりというのは、いつなのかは分からないのです。なので、与えられている時間を大切にしながら、自分の人生をしっかり歩む必要があるのです。

・自分の人生を真剣に生きていない 

 「自分の人生を真剣に生きる」というと、堅苦しいような印象がありますが、人が生きる目的というのは成長するためであるので、真剣に生きるべきなのです。というと、「楽しいことも必要だ」と思われる人もいると思いますが、真剣に生きている人には楽しいことが必要なのですが、真剣に生きていない人には真剣さが必要なのです。

 真剣に生きるというのは、成長をするために生きるということです。身体の成長というのは20歳前後で止まるようになるのですが、精神的な成長というのは生きている限り、成長し続けるのです。

 成長するためには、負荷が必要なのです。楽をしていたり、楽しんでいるだけでは成長はできません。どんな人でも自分なりには頑張っているのですが、自分なりの頑張りというのは、基準がいくらでも下がっていくのです。なぜなら、人の本能は「手を抜きたい」「楽をしたい」「サボりたい」と思っていて、面倒なことはやりたくないからです。

 真剣に生きるためには、努力が必要なのです。努力というのは、昨日より今日、今日より明日と日々進化成長していくことなのです。努力というのは、本能に逆らうことでもあるので、真剣さが必要なのです。真剣になっている人というのは、外との敵ではなく、自分の中の敵と闘っていて、本能を越えようと努力しているのです。

 はっきり言って、生きていくというのは楽ではないのです。まして、自分を成長させるための歩みというのは、常に本能との闘いでもあるので、楽ができないのです。ただ自分の人生は自分しか歩めないし、自分の成長は自分しかさせることができないので、真剣にならないといけないのです。

 先延ばしにする人は、真剣には考えていません。いつも「やろうと思っている」と言っているだけで、何も行動を始めないし、続けないのです。真剣さというのは、最初から持つことはできないのですが、ごく小さな行動を続けていく中で育てることができます。ただ、ごく小さな行動であったとしても、先延ばしにしていては、最初の第一歩をいつまでも踏み出すことができないので、いつまでも前に進むことができないのです。

 私たちは他の人の人生に責任を持つ必要はありません。たとえ身近な人であっても、身内であっても責任を持つ必要はないし、持つことはできないのです。でも、自分の人生には責任を持つべきです。自分の成長は、他の誰かが代わりにやってくれることはないので、自分で責任を持たないといけないのです。なので、自分の人生に真剣になるべきなのです。


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