【全てを知っているという勘違いの危険性】

日常的スピリチュアル、安田です。

私たちがどんなに学んでも
知っていることはごく一部の
ことだけなのです。

現実的に全てのことを
学ぶことができないので
全てのことを知ることはできません。

なので
どんなに学んだとしても
常に学ぶ姿勢が必要ですし

教えるときも
ごく一部のことを
教えていることを
忘れないでください。

「これだけを知っていれば
 全てが上手くいく」
という教えはありません。

なので
常に学び続けていくことが
必要なのであり

今は生涯現役時代なので
生涯学習が必要なのです。

知っていることは
教えることができるのですが
知ったがぶりをしてはいけないのです。

誰も全てのことを
知っていることを
望んではいないので

知らないことがあっても
何の問題もありません。

というより
知っていることよりも
知らないことの方が
圧倒的に多いのです。

今の時代の学びというのは
必要性を感じることを
学べばいいのです。

人それぞれで
必要性を感じることが違うので
何を学ぶのかは
自分で決めるしかないのです。

自分で決めることで
偏りが生じるのですが
その偏りによって
必要なことが見えてくるのです。

「これだけは知らないといけない」
という教えはありません。

自分で必要性を感じること
しっくり来ることを学ぶことで
自分の軸が決まるのです。

必要性というのは
その時その時で変わるし
成長することで
変わっていくのです。

今必要に感じていることを
学んでいくことで
次の段階が見えてくるのです。

必要性を感じていることでないと
学び続けることができなくなります。

勉強嫌いな人は
義務、強制的に
学んできたので

学ぶことに対しての
トラウマができているのです。

学ぶ努力ができなければ
実行することに
つながっていかないのです。

実行ができない人は
学びが足りないのです。

徹底的に学べば
徹底的に実行することが
できるようになるのです。

そして、学んだことを
教えていくことで
知識を定着させることができます。

常に学んでいる人は
常に教えることができるのです。

そして、学べば学ぶほど
知っていることが
ごく一部であることを
悟ることができるのです。

中途半端に知っている人ほど
知ったがぶりをするのです。

全てのことを知らなくても
知っていることを教え
できていることを
教えていけばいいのです。

できていることを
教えていくことで
できるように導くことが
できるのです。

自分ができていないことを
教えるというのは評論家なのです。

評論家というのは
教えていることと
現実の歩みを
割り切っています。

自分ができていないことを
教えていくので
中身がないのです。

過去の時代は
情報が少なかったので

ちょっとでも知っていることが多ければ
評論家でも成り立っていたのですが
今の時代では通用しないのです。

なぜなら
本質の時代であり
本物しか通用しない
時代であるからです。

できていることを
教えるとなると
何もできていることが
ないように感じてしまうのですが

ごく小さなことでも
できていればいいのです。

小さなことでも
続けられていれば
できているということです。

知っているだけのことを
教えるよりも
できているをこと
教えていくことで

歩みの基準を上げることができ
できることを増やすことができます。

全てのことを知らなくても
できていることを
教えていくことで

無理な知ったがぶりを
しなくて済むのです。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌

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