【第1章無料】電子書籍 第102弾 自尊力を身につける方法~自信を感じるための土台になる力~

はじめに

 「自尊力」というのは、自信を感じるための土台となる力のことをいいます。自信というのは、根拠があるか、ないかはどうでもよくて、自然に感じられるかどうかなのです。いくら、理屈で自信を感じようとしても、感じることはできないのです。

 ほとんどの人は、自信を感じていないのです。自信があるフリをしている人は多いのですが、実際に自信を感じている人というのは、ごく一部の人だけなのです。ですが、ごく一部の人だけでも感じているということは、誰でも感じられるということなのです。なぜなら、人が感じられる能力には差がないからです。

 感じる世界、境地というのは理屈よりも強い境地なのです。なぜなら、人は論理の生き物ではなく、感情の生き物であるからです。いくら理屈で知っていることであっても、感情の力には敵わないので、理屈通りの行動ができなくなってしまうのです。理屈、結論というのは、誰でも知っていることなのですが、理屈通りに行動ができないので、葛藤が大きくなるのです。

 例えば、ダイエットを成功させる方法は簡単なのです。「食べる量を減らして運動をする」ということを実践すれば、一〇〇%の確率で成功します。この結論は、それ以上でもそれ以下でもないのですが、「食べたい、運動をしたくない」という感情の力に負けてしまうのです。これは単に、「意志が弱い、気合、根性が足りない」ということではなく、感情の力によって、理屈通り、結論通りの行動ができなくなっているということです。

 自信を喪失する大きな原因は、「知っているけどできない」ということです。知らないことができなくても、自信を失うことはありません。プロ野球選手のように野球ができなくても、プロサッカー選手のようにサッカーができなくても、自信を失うことはないのです。知っていて、できそうなことができていないことに自信を失うようになるのです。

 何が私たちの自信を喪失させているのでしょうか?行動ができる、できない結果として、自信を喪失するのですが、何がそうさせているのかが分からないと、いつまでも同じようなことを繰り返してしまうのです。自信を感じるための土台をつくるのが、本書の目的になるのですが、その土台が「自尊力」なのです。

 自尊力を身につければ、自然に自信を感じることができます。今の環境、状況、知識、技能に関係なく自信を感じることができ、その自信からの努力ができるようになります。自信というのは、何かを知っているか、何かができるかということで、感じるのではないのです。何も知らなくても、何もできなくても、感じられるのが自信なのです。

 自尊力を身につけて、自信を感じることができれば、今までと同じような歩みをしていたとしても、全く違う次元、違う基準で歩むことができるのです。人は自信を感じている人に惹かれるようになるので、自信を感じることで、周りにも良い影響を自然に与えることができ、より自信を感じられるようになる、という好循環をつくることができるようになります。

 自尊力は根柢の強みになり、その強みからより多くの人に価値の提供ができるようになります。

2019年5月 安田 悌

目次

はじめに

第1章 自尊力とは?
・自分を尊敬する力
・自信を感じるための土台になる力
・ありのままの自分を受け入れる力
・自己承認力

第2章 自尊力が必要な理由
・気合、根性、理屈だけでは動けない時代
・なぜ自信が感じられないのか?
・自尊心がないと他の人の足を引っ張る
・自尊力があれば環境に左右されない

第3章 自尊力で勇気が感じられる
・本当の勇気とは?
・一〇〇人中一〇〇人が反対しても前に進める勇気
・自信とは自分で勝手に感じること
・今はできなくても、必ずできるようになることを信じる

第4章 自尊力の身につけ方
・自信が無いことを受け入れる
・自分の成長だけに集中する
・自尊力を身につけることを意識する
・瞑想の習慣を身につける方法
・コンプレックスを活かす思考
・成功体験よりも失敗体験から学べる
・他人に興味関心を持たない方法
・マイペースを守る
・自己重要感という欲求
・過去を振り返る人は嫌われる

第5章 自尊力の育て方
・自信を無駄にアピールしない
・自信が無い人ほどプライドが高い
・抜本的な教育改革
・感じる力の最強さ
・全ての人を横一列で見る

第6章 本来あるべき姿を意識する
・未来の可能性だけを信じる
・時代の流れに合わせることで成長ができる
・本当の自分を探す時代

おわりに

【著者プロフィール】

【他の著書】

 第1章 自尊力とは? 

自尊力とは、ありのままの自分を知り、受け入れる力である。

自分を受け入れることで、自己承認ができる。

・自分を尊敬する力 

 他人から尊敬されるというのは、簡単ではありません。とくに、遠い人から尊敬されることはあっても、ごく身近な人から尊敬されるというのは、より簡単ではないのです。近くなればなるほど、色々なことが見えてくるので、尊敬されることが簡単ではなくなるのです。

 最も自分に近いのが、自分自身なのです。他の人には分からないことでも、自分自身は何から何まで知っているので、より自分を尊敬するというのは、簡単ではないのです。自分の弱さ、癖、課題、問題と上げれば上げるほど、醜い部分が見えてくるので、とても尊敬できるとは思えないのです。

 「自尊力」というのは、「自分を尊敬する力」のことをいいます。尊敬というのは、何かができるからするのではなく、存在そのものを尊敬するという境地なのです。ごく普通の人の「尊敬感」というのは、自分にはできないことができる人を尊敬するのですが、本来の尊敬感というのは、何ができるか、できないかはどうでもいいことなのです。

 自分で自分を尊敬できないことを原動力にして、より努力ができるようになるのですが、努力をして、知識、技能を身につけたとしても、ごく一部の知識、技能しか身につけることができないので、常に不足を感じざるを得ないのです。どんな人でも、不足をしているのです。どんなに尊敬されている人でも、完全完璧でないのです。尊敬の基準が完全完璧の基準であれば、誰も尊敬される基準ではないということです。

 より努力をするには、不足感が必要なのですが、「不足があるから尊敬しない」ということではありません。不足がある、ありのままの自分を尊敬することが「自尊力」なのです。現実的に、他の人、周りの人から尊敬されるというのは簡単ではないので、自分で自分を尊敬することが必要なのです。なぜなら、自尊力が全ての土台になっていくからです。

 別の表現で言えば、「セルフイメージ」ということでもあるのですが、セルフイメージよりも根柢の力が、自尊力ということです。ありのままの自分、何も知らなくて、何もできないような自分を尊敬することが、自尊力なのです。人の究極の心理で求めているのは、この自尊力であるのです。よく「自尊心が傷ついた」と言われることがありますが、人の心の傷というのは、外からの刺激によってだけではなく、自尊力の度合いによって、浅く傷つく人もいれば、深く傷つく人もいるのです。なので、自尊力を育て、強化させることができれば、メンタルの根底を強化させることができるようになります。

・自信を感じるための土台になる力

 自信というのは、感じる境地なのです。いくら理屈で「もっと自信を持たないといけない」と、自分で自分を諭しても自信を感じることはできないのです。まして、他の人から「もっと自信を持ったらいい」と励まされても、自信を感じることはできないのです。自信が無い人を、無理に励まそうとすると、より自信を感じられなくなってしまうのです。

 いつの時代でも、「自信があるか、ないか」というのが、問われてきたのですが、本当の意味での自信の定義というのが、分かるようで分からなかったのです。自信というのは、「自分を信じる」ということなのですが、自分を信じているのか、いないのかすらよく分からない人が多いのです。そして、自信と結果というのが、イコール(=)だと思っている人が多いので、結果が出る確信がないことには、自信を持つことができないのです。

 どんなに自信があるスポーツ選手でも、完全完璧なプレーはできないし、全ての勝負に勝つことはできません。野球であれば、一〇回中三回打てれば、良く評価されるのです。現実の私たちの勝負というのは、一勝九敗、もしくは一勝九九敗になることもあります。野球の勝率では、全く話になりませんが、現実の私たちに求められている勝率は、一割、一厘の勝率なのです。

 何が言いたいのかというと、九敗、九九敗しても、自信を感じることはできるということです。一回、二回の失敗で、自信を無くすというのは、全く話にならないのです。自尊力がある人は、何回失敗しても、自信を感じているのです。傍から見たら、理解ができないのですが、本人が感じている境地なので、誰にも理解しようがないのです。

 人が感じている境地というのは、他の人には理解ができないのです。自尊力というのは、自信を感じるための土台になっている力であるので、より深い境地なので、理解ができないのです。自尊力がある人というのは、一〇〇人中一〇〇人が、「絶対、無理」と確信していても、自信を感じているのです。

 他の人、周りの人から見たら、単に意地を張っているようにしか見えないことでも、本人の中では自信を感じているのです。人は意地だけでは、貫き通すことはできません。他の人、周りの人の影響を受けてしまい、意地だけでは必ずめげてしまうのです。自尊力がある人は、感じている境地なので、本人としても、どうにもできない境地で自信を感じているのです。

 ・ありのままの自分を受け入れる力 

 ありのままの自分というのは、他の人には分からないのですが、自分では知っているのです。ありのままの自分が理想的であれば、自然に受け入れることができるのですが、現実は理想的どころか、非常に醜いし、怪物のようですし、足りなさ、未熟さを感じざるを得ないのです。そして、コンプレックスの塊でもあるので、無意識に自分を受け入れることを拒否してしまうのです。

 ほとんどの人は、ありのままの自分と向き合えないのです。なぜなら、非常に醜いことを知っていて、感じているからです。自分と向き合えないので、自分を受け入れることができないのです。まして、ありのままの醜い自分と向き合うのは、地獄のようなので耐えられないのです。自分と向き合う時間というのが、瞑想の時間なのですが、ほとんどの人は瞑想を続けることができないのです。

 ありのままの自分を受け入れることができないので、無意識に無駄な情報を入れている人が多いのです。テレビに依存している人というのは、自分と向き合うことができないのです。あるいは、常に誰かと接していないと不安に感じる人も、自分と向き合うことができないのです。この心理的な依存から、抜け出せない人が多いのです。

 自尊力というのは、ありのままの自分と向き合える力、受け入れる力でもあるのです。人が考えていること、感じていることは似たり寄ったりなのです。なぜなら、現実の環境にはそう大きな差はないからです。環境に差がないというのは、今の時代は情報に差がないということです。とくに、先進国の人は、何らかの形で情報を入れているので、表面的な差というのは、ほとんどありません。

 同じような情報を入れて、知っているので、考えていること、感じていることは似たり寄ったりだということなのです。ですが、結果に大きな差ができてしまうのは、ありのままの自分と向き合うこと、受け入れることができているかの差によって、結果の差ができるのです。全く同じ情報に触れても、捉え方は千差万別なのですが、捉え方の差が結果の差になることがあります。

 ありのままの自分と向き合い、受け入れることができる人は、物事をありのままに見ることができるのです。そして、ありのままに見る視点から、工夫をしたり、活かしたりすることができるので、同じような情報に触れても、違う結果を出すことができるのです。ありのままの自分を受け入れるには、瞑想の習慣が必要なのです。

 成功者と言われる人は、大抵は瞑想を習慣化しています。中には、瞑想をしているようには見えない人もいますが、無意識に自分と向き合い、ありのままの自分を受け入れているので、物事をありのままに見ることができるのです。そして、ごく普通の人とは違う結果を出すことができるのです。ありのままの自分を受け入れる力を身につけることが、自尊力を身につけるということなのです。

・自己承認力 

 自己承認力というのは、自分で自分を認めることをいいます。他の人、周りの人がどうであれ、自分で自分を認めることができれば、自尊力を身につけることができるのです。自分の何を認めるのか?存在そのものを認めるということです。何ができるか、できないかに関係なく、存在を認めることが自己承認力なのです。

 過去の時代は、生きていくだけで精一杯だったので、「とにかく働け!」という時代であったのです。生きていくためには、たとえ自分を犠牲にしたとしても、とにかく働くしかない時代であったのです。時代が変わり、モノが豊かになることで、ゆとりができ、より快適さを求めるようになり、安心安定を得ることが目的になる時代に変化していきました。

 人の欲求というのは、不足していることに欲求を感じるようになるので、時代の変化によって、欲求も変化していくのです。今の時代は、生きれるのが当たり前、快適さが当たり前になっているので、モノだけでは満たされない時代なのです。今の時代に求められているのは、「承認欲求」なのです。つまり、自分の存在そのものを認められることが求められている時代なのです。

 とくに「さとり世代(一九八五年以降生まれ)」と言われる人たちは、食べれるのが当たり前、モノがあるのが当たり前の世代なので、生まれた時から外的に満たされていたので、内的に満たされることを求めている世代なのです。過去の時代の人の価値観、考え方では「さとり世代」を理解することはできないのです。

 さとり世代は、存在そのものを認めてあげれば、なんでもやるような世代なのです。逆に存在を否定すれば、どんなにメリットがあることでもやらないような世代なのです。過去の時代を長く生きた人から見たら、「気合が足りない、根性がない」ように見えるのですが、世代の違いを理解しようとしなければ、全く理解ができないのです。

 さとり世代に限らず、今の時代の環境の中で求められているのは、自分の存在そのものなのです。現実は、人は他人には興味関心がないので、他の人から認められるということは、ほとんどないのです。皆が自分のこと認めてほしいと願っているので、誰も認められることがないのです。なので、「自己承認力」が必要なのです。自己承認力を身につけることで、自然に他の人を認める余裕ができるのです。自然に他の人の存在を認めることができれば、人間関係の中で有利に立つことができるようになります。


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