【上手くいくことよりも使命を優先する】

日常的スピリチュアル、安田です。


物事が上手くいくこと
導かれることは
誰でも願っていることなのですが

上手くいくこと
導かれることよりも
使命を優先するべきなのです。

使命というのは
建設だけではありません。

穴埋めをする使命も
あるということです。

穴埋めと言っても
現実的には分からないので

ただ忍耐をしながら
努力を続けていくしかないのです。

努力をしても
最善を尽くしても

上手くいかない
導かれないことがあります。

霊的に敏感な人は
何かが邪魔をしていて
突破できない何かがあると
感じることができるのですが

現実的には
把握することは
できないのです。

使命の観点から見たら
上手くいくかどうか
導かれるかどうか

願いが叶うかどうかは
どうでもいいことなのです。

特に個人次元のことというのは
視野が非常に狭いので
どうでもいいことなのです。

より大きな目的のために
歩んでいくのが
全体目的なのですが

全体目的を実現するために
穴埋めを担当する人もいます。

建設を担当したくても
否応なしに、穴埋めを
担当することもあるのです。

誰かが穴埋めをしなければ
建設する人の使命を
全うすることができなくなります。

私たちは
集合的無意識で
つながっているので

全体目的を実現するために
使命を分担させられています。

穴埋めの使命が
与えられても
腐ってはいけないし

建設の使命が与えられても
傲慢になってはいけないのです。

穴埋めの使命が与えられても
建設していく意識で歩むことが
必要なのです。

建設であるか
穴埋めであるかは
結果でしか判断できないのです。

結果を出せば
認められるし
称賛されるのですが

結果が出せなければ
どんなに基準高く
努力をしても

認められることはないし
場合によっては
怒られることもあります。

努力をしないで
結果が出せないというのは
誰でも納得がいくのですが

努力をしても
結果が出せない
ということもあります。

この理不尽さというのは
どうにもできないのですが

使命が大きい人は
それだけ忍耐することが
多くなるのです。

誰かが建設を担当すれば
誰かが穴埋めを担当するのです。

大抵は、建設する人に
注目してしまうのですが

穴埋めをする人にも
関心を持つことも
必要なのです。

穴埋めをする人が
穴埋めを放棄したら

建設することが
できなくなるのです。

建設する人も
穴埋めをする人も

使命の全うという観点からでは
同じだということです。

建設の使命が与えられるか
穴埋めの使命が与えられるかは
自分ではどうすることもできません。

全体目的を
実現するためなので

目的に見合った
使命が与えられるのです。

現実的にできることが
努力をすることであり
続けることだけなのです。

学ぶこと
実行すること
瞑想、運動という

基本的な努力を
続けていくことで
使命を全うすることが
できるのです。

使命は時と場合によって
変化していきます。

穴埋めをする時期もあれば
建設をする時期もあります。

どんな時期であっても
最善を尽くすことは
止めてはいけないのです。

穴埋めをする時期は
ひたすら穴埋めをして

建設する時期は
結果に満足しないで
徹底的に結果を伸ばしていく
使命があるのです。

上手くいくこと
導かれること
結果が出ることは

自分ではコントロールが
できないことなのです。

使命を全うすることに
フォーカスすることで

最善を尽くす努力を
続けることができます。


今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌

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