【第1章無料】 電子書籍 第94弾 「自意識過剰」というコンプレックス~自意識過剰から心理的不自由になる~

はじめに

 「自意識過剰」というのは、誰でも無意識に感じていることではあるのですが、現実は人は他人には興味関心がないので、見られているというのは、勝手な錯覚なのです。この自意識過剰から、心理的な拘束を感じるようになり、心理的な不自由さを感じ、能力を伸ばせない人が多いのです。

 「自意識過剰」が錯覚だと知っていても、無意識に感じることであるので、無意識に他の人の目、周りの人の目を気にしてしまい、行動が妨げられてしまうことがあります。行動が妨げられることで、思うように成すことができなくなってしまっている人が多いのです。

 人目を気にするというのは、コンプレックスの一つでもあるのです。他の人の目を気にしているが故に、行動の制限ができてしまうのです。それでなくても、私たちは時間と空間の制限の中で生きているので、より制限が大きくなってしまうのです。行動が制限されてしまう背景には、「常識を守る」という教育が刷り込まれているのです。

 いつの時代でも「常識」というのがありますが、常識というのは最も古い考え方であり、常識の基準というのは、時代の変化に対応できない基準であるのです。過去の時代は、変化がゆっくりで小さかったので、常識を基準に生きていても何とかなった時代であったのですが、今の時代は変化が早くて大きいので、常識を基準をしていては、どんどん時代遅れになってしまいます。

 自意識過剰の人というのは、人目や世間体を気にしすぎてしまうので、それだけ実行するのが遅くなるし、実行しなくなってしまうのです。今の時代は、早いだけで合格であり、遅いだけで失格なのです。そのような煽られているような時代であるので、自意識過剰を感じている暇はないのです。

 他の人や周りの人がどうであるかではなく、「自分はこのように歩む」ということを、主体的に決めていかないと、できること、やれることが無くなってしまうのです。どんな人でも、自分のことだけで精一杯なので、良い意味で自分のことだけを考えていけばいいのです。

 本書は、「自意識過剰」というコンプレックスということで、自意識過剰を克服ではなく、活かす方法をお伝えします。コンプレックスを克服するというのは、簡単ではありません。場合によっては、克服するために一生かかってしまうこともあるのです。なので、克服ではなく、活かす方法をお伝えするのです。

 コンプレックスを活かすことができれば、コンプレックスがあることを強みにすることができるのです。どんな人でも、何らかのコンプレックスを持っています。人によっては強烈に表に出てくることもありますが、コンプレックスというのは恥でもないし、他の人、周りの人は大して気にしていないのです。

 あなたの自意識過剰のコンプレックスを活かしていくことで、今の時代に必要な価値を生み出していくことができ、価値の提供ができるようになります。

2019年2月 安田 悌

目次

はじめに

第1章 自意識過剰とは?
・「自分は見られている」というのは錯覚
・人の無意識は自分のことだけしか考えていない
・人は他人には興味関心が無いという真実
・自意識過剰で悩んでいる時間は無駄
・目立つのが大変な時代
・自意識過剰のプラス面とマイナス面

第2章 自意識過剰を感じやすい人の特徴
・最も世間体を気にするのが日本人
・法律よりも恥を気にする文化
・過去の恥を引きずっているのは自分だけ
・暇な人ほど自意識過剰を感じる
・人目を気にして能力を伸ばせない人が多い
・失敗はみっともなくない

第3章 自意識過剰の原因
・「みんなと同じでないといけない」という教育
・同じでないと不安を感じさせる教育
・基準がない常識を信じている

第4章 自意識過剰を活かす方法
・自意識過剰に気づく
・心理的な自立から自意識過剰を活かせる
・心理的不自由さは自分がつくっていることに気づく
・自分の心理状態を悟る方法
・勝手な自意識過剰から努力ができる
・コンプレックスは克服よりも活かすことを考える
・誰にも頼らない時期を意図的につくる

第5章 自己主張をしていく時代
・心理的自由とは?
・心理的自由から価値を生み出すことができる
・情報発信から自意識過剰に気づける
・嫌われる覚悟をする
・人目を気にせず自己責任を全うする
・自意識過剰が可能性を狭くする
・批判をチャンスと捉える思考

第6章 価値観の多様化時代
・孤独から得られるメリット
・人間関係の断捨離
・一人の時間を大切にする
・自意識過剰が行動の妨げになってはいけない

おわりに

 第1章 自意識過剰とは? 

自意識過剰は単なる思い込み。

思い込みは良くも悪くも力がある。

・「自分は見られている」というのは錯覚 

 多くの人は、「自分はみんなから見られている」と錯覚しています。では、逆にあなたが他の誰かを見ているでしょうか?誰かを集中して見ていることもないし、一人一人を見回していることもないのです。

 なので、誰にも見られていないし、もし見られていたとしても、一瞬しか見られていないのです。極度な自意識過剰を感じている人というのは、周りにいる全ての人から見られていると錯覚するのです。そして、見られていると感じているので、とても窮屈な生き方になってしまうのです。

 人の思い込み、錯覚というのは、ある意味、固くなっています。いくら誰にも見られていないと知ることができても、思い込んでしまうと、何の根拠もなく思い込んでしまうのです。そして、思い込みというのは、年齢を重ねていくことでより強化されていくのです。思い込みが強化されていくと、誰が何を言っても、頑なになってしまうのです。

 どんな人にでも固定観念があります。固定観念というのは、信じていることをより信じていくことをいうのです。なので、より頑なになっていくのです。固定観念は育ってきた環境、受けてきた教育が大きく影響されるのですが、その影響されたことを、より自分で強化してしまうこともあるのです。

 固定観念は理屈では壊せないのです。そして、固定観念を壊そうとすると、大きな恐怖を感じるようになるので、無意識に頑なに守ろうとするのです。「自分は見られている」という思い込みは錯覚であっても、理屈では壊すことができません。何か大きな衝撃的な出来事がなければ、固定観念、思い込みは壊せないのです。

 自意識過剰というのは、表面的なことだけではなく、深い境地で感じていることでもあるのです。人によって千差万別ですが、深い境地で自意識過剰を感じている人は、何をしていても、反射的に見られているように感じてしまうのです。傍から見たら、もの凄く窮屈に見えるのですが、その見られている境地に居心地の良さを感じている人もいます。

 ・人の無意識は自分のことだけしか考えていない 

 私たちは悲しいくらい、自分のことしか考えていないのです。他の誰かに関心がある場合も、自分を中心に関心があるのであって、相手のことは考えていないのです。例えば、好きな芸能人、有名人を見るときも、自分を中心として見ているのです。人の無意識というのは、どこまでも自分を中心に見ているということです。

 なぜ自分を中心としか見れないのかというと、成長していないからなのです。成長していないので視野が狭くなり、最も視野が狭い、自分を中心としか見れないのです。私たちが成長できなかったのは、成長ができるように育てられていないし、教育されていないからです。これは誰が悪いかではなく、先祖代々、続いてきた育て方であり、教育であったのです。

 子供の頃というのは、自分のことしか考えないのが正常なのです。自分のことだけを考えて、成長するにつれて、視野が広くなっていくのです。そして、より大きな目的を達成するために、自己責任を全うしようとするのです。そのような人になるためには、幼い頃からの積み重ねと成長ができる教育が必要なのです。

 自意識過剰というのも、自分を中心として感じていることなのです。自分は他の人を見ていないのに、自分だけが見られていると感じているのです。人の無意識というのは、ここまで自分中心であるということです。自分のことだけを考えるのは、悪いことではないのですが、理想は自分の成長のことを考えるのが理想なのです。

 ほとんどの人は、自分の成長のことは考えていないのです。今の現実に満足することしか考えていないので、非常に短期思考になっています。自分の成長をことを考えている人は、長期思考で目の前のことに取り組んでいるのです。そして、同じ自分のことを考えるにしても、成長することを考えている人は、成長の度合いによって、視野を広くすることができるようになります。

 視野というの教育によっても広くなるのですが、成長によって自然に広く感じることができるのです。教育されていない人の無意識というのは、狭い視野で、自分のことしか考えることができないのです。

 ・人は他人には興味関心が無いという真実

 人は意識をしないと、他の人に興味関心が持てないのです。ただ、意識をするというのは労力を使うので、長くは続かないのです。意識をしないで、他の人に興味関心を持てるようになれば、かなり悟っている人であり、達人のような人なのです。

 ほとんどの人は、悟っていないし、達人でもないので、基本的に他人には興味関心が無いのです。「もっと他の人に興味関心を持ちましょう」と教えている人であっても、他人には興味関心が無いので、意識することが必要なのです。この真実を知れば、全く見られていないという真実を知ることができるのです。

 人の無意識は見たいことしか見ないし、聞きたいことしか聞かないのです。なので、全く興味関心が無いことを意識できる人は少ないのです。他の誰かを批判したり、恨んだりしている人というのは、ある意味、興味関心があるということです。インターネットの世界では「炎上」が起こることがありますが、炎上というのはそれだけ多くの人が興味関心があるということです。

 人が根底で最も恐れているのは、批判されることではなく、恨まれることではなく、全く関心を持たれないことなのです。関心が無いというのは、存在を否定されているのと同じなので、関心を持たれないことを恐れているのです。ごく普通の人であれば、誰からも関心を持たれないということはありませんが、興味関心を持たれない恐怖は誰でも感じていることなのです。

 なので、自意識過剰がどれだけ思い込みであるのかが、分かるのです。わざわざ労力を使って、他の人に興味関心を持とうとする人は、ゼロではないにしても、ほとんどいません。悟りの境地、達人の境地に至ることができれば、自然に他人にも興味関心が持てるようになるのですが、その境地に至るには長い年月が必要なのです。

 カウンセラーとかは、仕事であり、職業であるので興味関心を持つことができるのです。人によっては、かなり無理をしている人もいるし、場合によっては、背負い込んでしまい、鬱や病気になってしまう人もいるのです。人の無意識は、どこまでも自分のことしか考えないし、他人には興味関心が無いというのが真実なのです。

 ・自意識過剰で悩んでいる時間は無駄 

 自意識過剰で身動きが取れなくなり、悩んでしまう人がいますが、その悩んでいる時間が最も無駄なのです。なぜなら、全く生産性がないからです。あまりにも人目を気にしすぎる人は、非常に窮屈になり、身動きが取れなくなり、悩む時間が多くなります。

 自意識過剰ゆえに、最初の第一歩を踏み出せない人もいるのです。一歩目が踏み出せなければ、当然、二歩目、三歩目と踏み出せるはずがないのです。自意識過剰に限らず、最も無駄な時間というのは、悩んでいる時間なのです。何かを始めることを決めたのであれば、即行動しなければ、流れてしまうのです。

 私たちの身近なことというのは、新しいことを始めるにしても、そう大きな支障はないのです。他の人の目を気にしてしまう人は、どう思われるのかを勝手に想像してしまうので、第一歩が踏む出せないで悩んでしまうのです。多くの人は、時間を無駄にしている感覚がないのですが、私たちにとって時間は最も貴重なのです。なぜなら、二度と取り戻すことができないからです。

 「時間を無駄にしない」という意識が必要なのです。時間を無駄にしない意識ができれば、悩んでいる時間が無駄であることを、自覚することができるようになります。そして、他の人の目を気にして、悩んでいることも無駄だと感じることができるのです。

 大抵の人の悩みというのは、人間関係なのです。自分一人だけであれば、悩むことはないのですが、他の人との関わりの中で悩みが大きくなるのです。世の中に、完全完璧の人はいないので、人間関係の悩みは絶えることはないのですが、どこかで完全完璧を求めてしまうのです。

 その完全完璧を他の人に求め、そして自分にも求めてしまうので、悩むことが多くなるのです。行動の第一歩が踏み出せない人というのは、最初から完全完璧を求めているので、踏み出すことができないのです。そして、悩むだけ悩んで時間を無駄にしてしまい、何一つ変えることができない状況を繰り返してしまうのです。

 「自分がどう見られているか」ということが、悩みの根底でもあるのです。その根底を知り、気づくことで、他の人の目を気にすることなく、行動の第一歩を踏み出すことができるようになります。

 ・目立つのが大変な時代 

 今は目立つのが最も大変な時代でもあるのです。時代の変化が激しいので、その変化に合わせるのが大変なので、心に余裕がないので、自分のことだけでも精一杯なのです。他の人に興味関心を持っている余裕がない人ばかりなのです。

 なので、目立つのが大変なのです。よっぽどのことをしないと、目立てないのです。過去に事例がないことや、珍しいことでなければ、目立つことができないのです。今までの時代は、「変わった人」がバッシングされるような時代であったのですが、今は変わった人になれないと、目立てないのです。

 目立つことが目的ではないのですが、簡単には目立てないということを知っておいてください。なので、「見られている」というのは、錯覚中の錯覚だということです。自意識過剰を感じて、身動きが取れないというのは、非常に勿体ないことなのです。自意識過剰でチャンスを失ってしまっている人もいるのです。

 時代が進めば進むほど、個人に焦点が置くようになるのですが、この傾向は個人の成長に、フォーカスされているということです。個人の成長にフォーカスされることで、個人の限界を感じるようになり、パートナーを求めるようになります。ある意味、個人の成長をやり直しているような時代でもあるのです。

 例えば、理想的な結婚というのは、お互いに成熟した状態で結婚することなのです。お互いに成熟していれば、色々な問題があったとしても、協力し合うことができるので、問題を解決することができるのです。これは結婚だけではなく、ビジネスパートナーでも同じで、お互いに成熟しているのであれば、「1+1=2」という結果ではなく、3にも、5にも、10にも、場合によっては100にもすることができます。

 なので、自分のことしか考えられないというのは、個人の成長にフォーカスされているので、よい傾向でもあるのです。自分の成長は自己責任なのです。他の誰かが成長させてくれるのではないので、自分で自分を成長させるしかないのです。どうせ、目立つのが大変な時代であるのであれば、極端なことにも挑戦しやすくなるということです。

 誰も見ていないのであれば、伸び伸びとした歩みができるようになり、そのような歩みから、時代に合った成長ができるようになります。

 ・自意識過剰のプラス面とマイナス面 

 どんなことでも、プラス面とマイナス面があります。「自意識過剰」「コンプレックス」というのも、マイナス面だけがあるのではなく、プラス面もあるのです。理想は上手く、プラスに使うことができ、マイナスに使わないことなのですが、その理想の使い方ができないのが、私たちの悩みでもあるのです。

 自意識過剰のプラス面は、「他の人から見られている」という思い込みから、努力ができるようになることです。緊張感があることで、その緊張感を活かすことができるのです。とくに一人で努力をするのが苦手な人は、見られているという思い込みがあると、緊張感の中で努力ができるようになります。

 もし、誰にも見られていない環境の中だと、一人で努力をするというのは簡単ではありません。今の時代でも山に籠って、誰とも接しない環境の中で、ひたすら修行をする人もいますが、いくら一人で修行を続けることができたとしても、精神が腐っていくのです。なぜなら、人の本性というのは、関係性の中で成長ができるからです。

 誰とも接しないという極端な環境であれば、自意識過剰を感じながら、緊張感を持っていた方がいいのです。実際には誰にも見られていなくても、見られている緊張感から努力ができるようになるからです。

 自意識過剰のマイナス面は、人目を気にするがあまり、身動きが取れなくなるということです。失敗することに対しての、恐怖が大きくなってしまうのです。なので、何も挑戦することができず、常に同じようなことばかりを繰り返してしまうのです。同じことを繰り返していては、当然、何の努力もできないので、成長ができなくなるのです。

 簡単に言えば、自意識過剰を感じることで、行動ができる、努力ができるようになるかならないかで、プラスになるか、マイナスになるかが決まるということです。大抵の人は、プラスよりもマイナスになりやすいのです。なぜなら、人の本能が絡んでくるからです。本能というのは、楽をする方向に向かおうとしているので、自意識過剰を感じることで行動ができなくなり、努力ができなくなるようになりやすいのです。


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