【結果は委ねる】

日常的スピリチュアル、安田です。


結果というのは
コントロールができないので
委ねるしかないのです。

コントロールができないことを
委ねることができなければ

どうにもできない
プレッシャーを
感じてしまうのです。

結果というのは
霊的な協助によって
導かれるようになっています。

霊的な協助ができるように
努力することはできますが

努力ができたとしても
結果のコントロールは
できないのです。

結果というのは
具体的な実績を
出すだけではなく

導かれた環境も
結果なのです。

環境というのは
良くも悪くも
導かれているのです。

自分で意図的に変えた
環境であっても

導かれなければ
環境を変えることは
できないのです。

「人事を尽くして天命を待つ」
というように

待つということが
委ねるということです。

委ねるというのは
自分で結果を決めないで

「どっちでもいい」と
考えることをいいます。

結果が出てもいいし
出なくてもいいという
考えによって

委ねることが
できるようになります。

結果を委ねるというのは
自分で勝手に結果を
決めないということです。

結果を決めなければ
結果の上限が撤廃されるのです。

どのような結果が
準備されているのかは
分かりようがないので

自分で勝手に
決めてはいけないのです。

プラス面でも
マイナス面でも

結果を決めなければ
上限も、下限も無くなるのです。

上限が無くなるというのは
いくらでも可能性があるということです。

下限が無くなるというのは
思った以上にはマイナスには
ならないということです。

たとえ想定外のことが
起きたとしても
何とかなっていくのです。

私たちができることは
やることをやって
結果は委ねるということです。

ただ、やることをやらない
何の努力もしないで
結果を委ねることはできません。

努力をしていないという
負債を抱えたまま
委ねるというのは
できないのです。

歩み切って
投入しているのであれば

何の負債もなく
委ねることができるのです。

結果というのは
表面的なことだけで
与えられるのではないのです。

霊的な協助や
先祖の功労や
与えられた使命等の

多くの要素によって
結果が導かれるのです。

結果が導かれる要素は
調べようがないので
分析しようがないのです。

ただ自分なりに解釈しても
その解釈が合っているか
間違っているのかを
知る術はないのです。

何が言いたいのかというと
結果に対しての分析や解釈は
時間の無駄だということです。

これは結果が出なくても
同じなのです。

「どうして結果が出ないのだろう」と
悩むのは無駄だということです。

やり方が合っているのか
間違っているのかは
分かりようがないのです。

よっぽど時代に合わないことをしたり
かなりズレたことをしていなければ

何が正解なのかは
分かりようがないのです。

なので、今できることに
最善を尽くすことしか
できないのです。

何の負債もなく
最善を尽くしているのであれば
結果を委ねることができるのです。

結果を委ねることが
できない人に限って

努力をしていないし
最善を尽くしていないのです。

コントロールができないことを
委ねることができれば

目の前のことに
集中することができ
投入することが
できるようになります。


今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌

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