アメカジ野郎と髪型

 皆さんの周囲にいるアメカジ野郎の顔を思い浮かべてください。
その方の髪型はなんでしたか?坊主ですか?伸ばしただけのロングヘアですか?ボサボサではありませんか?

あれほど強迫的に服装に縛られるアメカジ野郎は、何故かほとんど髪型に気をつけません。間違いなく、ジーンズやスニーカーと同等に髪型に熱量を向けるアメカジ野郎はいません。アメカジ野郎はなぜここまで髪型に無頓着なのでしょうか?自分なりの考えを書いてみたいと思います。

まず、最も大きな要因としては「帽子」の存在があります。アメカジ野郎はとにかく帽子を被ります。外出ならコンビニでもゴミ出しでも必ず帽子を被ります。レストランや友人宅、学校など室内でも外したがらないのです。帽子はアメカジ野郎にとって無くては外出できない、無いと不安でしかたないもの、ライナスの毛布なのです。

アメカジ野郎にとっても帽子とは、防暑防寒の用途はとうに忘れられ、下着レベルで羞恥のバリアを張る道具なのです。なぜ、そのようなことになってしまうのでしょうか?

その原因の一つは、アメカジ野郎の自己肯定感の低さだと思います。歴史や蘊蓄、プレミアム等等に塗れたアメカジの衣類と違って、「髪型」とはアメカジ野郎の肉体から生まれアメカジ野郎の意思で整え維持するものです。以前もお話しましたが、アメカジ野郎は他人が価値があると認め名前をつけたものが大好きです。逆に、自分で考え価値を創造することができません。ですから、アメカジ野郎はかけがえのない自らの肉体である髪の毛や、それを自分の意思で考え自己決定して作る髪型に対して全く価値を感じられず、ブランドロゴや無意味な機能性を載せた帽子をたいへん有り難がるのです。自分の考えや価値観を大切にできないアメカジ野郎は、自分の肉体である髪の毛を自分の意志で決めた髪型をセットした自分より、他人の作った帽子を身に着けた自分のほうが格好良く思えるのでしょう。あまりにも寂しすぎます。

自分より他人の作ったものしか信用できない人生を繰り返す中で、アメカジ野郎は、髪型へのアンテナがどんどん弱くなり、自信が無くなります。やがて、髪型を見るよりジーンズを、スニーカーを、帽子を見てくれ!=自分を見ないでくれ!という悲しすぎる価値観が固定化していくと、むしろ髪型そのものが邪魔だとすら思うようになります。そうして、アメカジ野郎は帽子が被りやすい坊主にしてしまうか、せいぜい伸ばしただけのロングヘアを束ねるようになります。帽子中心の生活はそのまま、帽子を被っていない自分は本当の自分ではないという不安さに繋がります。

ところで、帽子をかぶることは本当にオシャレでしょうか?答えはノーです。人は人のことを帽子込みでは見ません。帽子選びのセンスは人間的な魅力と全く関係ありません。アパレルメーカーは、比較的季節感やサイズの制約がなく、売り込みやすい帽子を勧めます。しかし、人は人の顔を見てコミニュケーションをします。人は誰かの記憶の中で、帽子込みで生きることはありません。どれだけアメカジ野郎が帽子を被り続けて自分の素顔を隠し続けても、他者の記憶の中のアメカジ野郎は、一瞬見せた伸びかけの坊主やまとまりのないロングヘアなのです。

また、コスパの面、常識の面でも髪型に気をつけないのは優先順位がおかしくなっています。例えば、ジーンズは何万円出して買ってもタンスに入っていれば稼働率ゼロ、たまに履いてもいちいち他人のジーンズを分析する人はいない、履いている本人のアメカジ野郎も「ジーンズを汚したくない」と出来ることが減ってマイナスの経験をするだけです。(本当にメリットがないので、「気分がアガる」などという苦し紛れのでっちあげだけがフワフワと漂っています。懸命な人ならデメリットだらけのジーンズではなく他の方法で気分のアゲ方を知っていると思いますが、アメカジ野郎はジーンズ以外の気分のアゲ方を奪われています)しかし、髪型はきれいに整えることで清潔感や安心感を与えます。また、自己表現の方法としても、借り物の価値観で選ぶジーンズの比べ物にならないほど優れています。そして、タンスに仕舞えない髪型は常に稼働率100%です。なぜアメカジ野郎はここまでメリットの多い髪型への関与が低いのでしょうか。

恐らくは、ジーンズメーカーやスニーカーメーカーなど、アメカジ野郎が盲信している価値観提示装置は「髪型」は決して宣伝しないからです。髪型なんか売り込んでもメーカーに一円も入りませんので。しかし、アメカジ野郎は赤ちゃんにとってのママのようにメーカーを信じていますから、「メーカーが売り込まないなら髪型にはジーンズほど価値がないんだな」と呑気に信じています。恐ろしいことに、アメカジ野郎は真剣に「メーカーは自分をオシャレにしようとしてくれている」と信じているのです。

彼らは自らで考えること、表現することが難しいのでしょう。ジーンズやスニーカーは、誰かが勝手に決めてくれた価値で選べばいいだけですが、髪型は自分に合うものを選んだり美容師の方とコミニュケーションをとったりしながら考えて作り上げなければなりません。その作業が、アメカジ野郎には途方もなく苦しいものなのではないでしょうか。彼らは髪型一つとっても、「アメカジに合うか?」「合わなかったら終わりだ」という呪いにかけられています。服装中心の恐ろしい呪いです。自分が気に入るか、納得するかという価値観はとっくに消されてしまいました。自分で考えることの楽しみを知らないどころか、恐怖なのかもしれません。彼らがまず見るべきは鏡です。帽子もジーンズもスニーカーも脱ぎ捨てて髪型と自分の表情を見てほしいです。笑っていますか?幸せそうですか?

アメカジ野郎が本当に自分の肉体を愛し、大切にして幸せを手に入れることを願っています。

今回もお読みいただきありがとうございます。


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