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肺がんステージ4をどう克服していったのか?(序章)

2021年10月、私43歳、妻42歳、息子中学1年生、娘小学3年生のときだった。妻が肺がんのステージ4と診断された。癌は首の骨にも転移していて、日に日にその痛みは激しくなり、明らかに妻は弱っていっていた。

とにかく癌についての知識が私になかったので、ネットで調べるところから始まるのだが、「肺がん ステージ4」で調べると、「5年生存率 6%」という数字が冒頭にドーンと表示されて、絶望の淵に追いやられる。もちろん妻もそれをネットでみてしまい、何も癌について調べられなくなるので、癌の対策について調べて考えるのは私の役目になった。

まずは、「5年生存率 6%」というのを、どう捉えるかである。癌の治療法は日々新しい手法が開発されている中で、この数値はいつ更新されたんだ?と疑問にも思うのだが、それを調べて、さらに絶望を深めるのも嫌なので、「どうやったら、この6%に入れるのだ?この6%の人は何をやったのだ?結局、生きるか死ぬかの50:50(Fifty Fifty)だ」ということを考えることに専念することにした。

そしてその生き残った6%の人たちが何を実施したのかというところを調べることに専念したのだが、ネットを調べようが、本を買おうが、色々な有象無象の情報に溢れかえっており、なかなか本質的に有効そうな情報にたどり着けなかった。

これは、癌に関する情報に限らず、ネット業界そのものが、過渡期にさしかかっていて、私がこれまで働いてきたIT通販業界や、外食レビューサイトと同じで、それを利用して、金儲けをしようという多くの人々の思惑に、レビューや評価システムや検索結果が蝕まれていて、当初のフラットな情報インフラとしてのネットの立ち位置は、既に完全に崩壊しているのである。

また、実際に、癌について研究対象として書いている保守的な医師の方々のコメント(医師の方々が保守的なのではなく、日本の病院というシステムが保守的だからなのだが)や、癌という病気と闘っている人達の日々の生活の記述は多く見つかるのだが、癌に打ち勝ったという人達(つまり上記の統計数値が本当に正しいのであれば、6%の人達)が実際に、医学的に何を行い、そして医学的に証明されていないことを含めて何を行って打ち勝ったのかは、なかなか見つからなかった。

そのため、もしこの癌に打ち勝ったら、その時は、どうやって打ち勝ったかを、同じような悩みを持っている方々に、まずは共有していきたいと思ったし、ゆくゆくは、IT業界に携わってきた身として、あらゆる癌治療に関する情報がフラットに入手できる仕組みを、協力者を得ながら、作りたいと思ったものだった。

取り急ぎ結論だけ、早く入手されたい方もいらっしゃるかと思うので、記載すると、妻は「カルボプラチン、パクリタキセル、オプジーボ、ヤーボイ」の投薬治療を2021年の11月と12月に2回行った後(加えて、転移していていた首頸椎箇所へのサイバーナイフの放射線治療2回)、2022年以降は「オプジーボ、ヤーボイ」の投薬を3か月に1回続けている。結果、当初、一番悪かった時期で、SCC62.6、CEA98.1という高い数値だったものも、2022年2月現在、SCC0.8、CEA1.5と低い正常値を維持しつづけており、レントゲン・CT・MRIの検査で、腫瘍は見つからない状況であり、最初のカルボプラチンとパクリタキセルの投薬で抜けた髪も生えて、カツラ生活も終了となり、おかげさまで、妻は通常の生活を送ることができている。

喉元過ぎればなんとやらで、通常の生活に戻ると、結局、どうやって癌を克服できたのかを記すことさえ忘れてしまい、新しく飼ったペットのチワワとの写真をTweetするような生活になるし、またせっかく良くなったので、それを書くと、今の良い流れが変わってしまうのも嫌だなと思い、しばらく癌について、書こうと思えなかったのだが、そんなことだから、結局、癌に打ち勝った人がやったことが何かが掴みづらい世の中になってしまっているのかもしれない。

また、癌の話は、なんとなく友人や知り合いと気軽に話ができる内容でもなく、加えて、医学的に立証されていること以外も、実はやったんだよねなんて話をすると、胡散臭く思われそうなので、口に出せなくなるのである。

しかしながら、今の医学でも、「どうして癌になるか?」「どうして癌の人はなおったか?」「どうしてあの人の場合はなおって、この人の場合はなおらなかった?」「どうしてあの人はタバコめっちゃ吸ってるのに癌にならないのか?」などなど、結局、癌についてスッキリ理解できることは何一つないのである。素人ながらに思うのは、癌やアトピーは、遺伝や免疫も絡んで、とても複雑で、色々なものが絡み合っているがために、1対1の関係で説明して解決できることは何もないのではないだろうか?

だったらなおさら、多くの患者さんが実施していることを医学的なことから、医学的でないことまで含めて、データベース化して、一体、何が有効なのかを当事者達が自分でも考え、検証できることができる環境を作っていくことが本来必要なのではないだろうか。特に、医学や健康に関しては、プライバシーという問題を盾にされて、データを共有化することが遅れていると感じる。学閥、病院、専門分野、西洋医学と東洋医学といった組織の壁もとても分厚い。責任が伴うと困るので、責任のとれない情報は共有できないという問題も存在する。高齢化社会における高額医療費の問題もあるだろう。

でもやっぱり、複雑な問題であればあるほど、情報は集積して、整理していくことが必要なのではないだろうか?そうでないと、結局、ネットには、自分の利益しか考えない情報だけが、表面に現れ、問題をさらに複雑にさせてしまうだけである。

そんな課題意識から、まずは、自分達が癌というピンチをどのように乗り越えていったのか?どういう風に考えて、どういうアプローチをとったのか?また逆にどういうアプローチはとらなかったのか?子供たちは、その状況をどう乗り越えていったのか?などなどを、エピソード的に、このnoteでは、さらけ出していこうと思う。





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