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無題。

今から25年前。

絶賛“反抗期”中だった僕は、食卓を囲みながらふてくされていた。

詳しい理由なんて覚えてないけど、たぶん親と些細なことでケンカでもしたのだと思う。

今でこそ少しは聞き分けが良い大人になっていると思うけど、当時の僕は自他共に認める超頑固者で「一度決めたらテコでも動かないクソガキ」でお馴染みだった。(今でもたまに発動するけど)

どんなことを言われても俺はブスっとしてここに座っているんだぜ。さぁご機嫌をとってみろよ家族共。

実際にはそんな子供に対してご機嫌をとるような親でもなかったのだけど、とにかく僕は一言も声を発さず口を尖らせていた。

だけど、

そんな超頑固な僕が堪えきれずに、

本当に漫画みたいに

「…プッ!」

と吹き出してしまった。

居間のテレビに、足が極端に短いお相撲さんの格好をしてコミカルな動きを演じていた彼が映っていた。

そのコントがなんとも面白くて、絶対に笑ってはいけない家族への反抗の最中に吹き出してしまったのだ。

あのときの“敗北感”といったら。

家庭の雰囲気も和らぎ、無事親とも仲直りできたのでした。

これが小学5年生とかそのくらいで、そこからナイナイにハマって、ダウンタウンにハマって(時代と年齢のバランスのせいかここが逆でした)ーという僕のお笑い大好き人生が本格的にスタートしました。(もちろんとんねるずも通っています)

今思えば、日本のバラエティ界において、1本の特番としては恐らく史上最高に面白かったと言える(僕調べ)『めちゃイケ』のあの岡村オファーシリーズの第1作目であるSMAPのライブに乱入した岡村さんが、決められた振り付けを無視して暴走した際に披露したのは彼の「変なおじさんダンス」だった。

今の子達には「タウンワークやソフトバンクのCMのおじさん」でおなじみの松本人志は相方の浜田雅功と共に僕ら世代にとってはカリスマ中のカリスマで90年代には尖れるだけ尖っていたのだけど、そんな松本さんが著書で褒めた数少ない先輩芸人にも彼の名前はあった。

いつだって新しくて、それを何食わぬ顔で「定番」にしてしまって、こっそりと日本中を楽しませる。「楽しい」「面白い」を底上げしまくる。

文字通り「日本の宝」だと思います。

日本人で、この国のお笑いが好きな自分がけっこう好きです僕は。

その起点はやっぱり“志村けん”だったと思っています。

ケンちゃん、たくさんの笑顔をどうもありがとう。

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