現実主義の若者

『炎上覚悟で言います!
年収一千万以下の人は社会のクズです。』とぼやいているガキがいた。

そいつはイケメンで、確かに金はネットを介して稼いでいるのであろう。
今はSNSの時代だ。
それはわかっている。
どうやって炎上覚悟で、話題性を叩きだし好感を持ってくれる数パーセントの人たちから金を巻き上げるか。

そんなプアーな時代というか、そういう枠組みの人たちが確立されている。
自分の仕事に意義を持ち、社会に貢献できている。という仕事をしていて
役割を得ている。そんな価値観で仕事をしている人たちはどのくらいこの
現代にいるのであろうか。

私は好きな事をして、とは言ったら語弊があるかもしれないが
過去にはクレームクレームで500玉ぐらいの円盤禿が後頭部下に
出来た事があるが、何かしらないが海外の影響を若いころに受けて
世界を股に掛けた仕事がしたいと、貿易業の学びを得て海外に出た。

親が事業をしていた為、お金稼ぎをしたい。
お金が大好き。というハングリー精神が全くなく、自分を向上したい。
親を超えたいというのが潜在意識的にあったのかもしれない。
頑固一徹の親父を常に反面教師にしてきたが、
その親父の一言が心に残っている。
『頑張れば、お金はついてくる。』

なので、給料の交渉は最近までしたことはない。
何人かの占師に『あなたはお金に困らない人生。』と言われた。
その通り、1年間のバックパッカー合計20万円で中南米を回った。
武道や日本語を教えながら、それでもお金が欲しいと思った事はなかった。
困った事もない。
常に必要なだけのお金はあった気がする。
というよりは、持ち金に対する以上の欲がなかったのかもしれない。

お金は欲しい。
宝くじは買っている。
楽はしたい。
人よりも良く見られたい。

そんな欲は常にある。
しかし、理性や学びたいという意識が先に立つせいか、
貪欲になれない。人生に偶然はなく、その冒頭でいった若者も
今やっている事が彼の人生において必要な学びがあるからなんだろう。
しかし、価値観が相当ズレているため、近い将来物当たる壁は高い。

自分は普通の日本の社会人よりは仕事を変えている回数であったり、
仕事を持っていない時期がだいぶある。それはその時に必要な時であった。
それを無意識に行っていたからこそ、幸せの階層であったり、喜びの階層であったり、学びの階層が上がってきている気がする。
周りがこうだから、こうした方がいい。
周りにどうみられるからそうした方がいい。とか
そんな価値観今、これからの日本にはそぐわない。
個性が重要視されるし、それと同時に日本人の和の精神を忘れてもいけない。

日本という国は昔から特殊であって、他のアジアからは特質している価値がある。言い方を変えれば日本が存在しなければ、アジア全体は植民地化していた可能性だって高い。
もしかしたら、本当にキリストが生涯を終えた場所なのかもしれないし、
神々が宿っている土地なのかもしれない。

日本の若者にはもっと深いところで生きてほしい。
とは言いつつも、極端なアップダウンを経験した人間の方が
恐らく学びは(頭が良ければ)大きいのだろうが。。。

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