幸せの定義
人は思考を停止してしまう。
当たり前だと、
考えても無駄だと、
すぐに答えが出ないと考える事を止めてしまう。
人はなぜ生まれ死ぬのか?
自分は何故生まれてきたのか?
恐らくすぐには答えは出ない。
いや、一生出ないかもしれない。
しかし、こんな素朴な疑問をずっと深堀する事が
人生で答えを見つける事なのかもしれない。
自分の父親は86歳になる。
数年前に年寄りがメディアの影響で単なる風邪にもかかわらず
ワクを打たないといけない。という思考になり、何度も説得したにも
関わらず、親父は注射を二度も打ってしまった。
それから半年もたたないうちにコロナになり
免疫低下による尿路感染、コロナは数日で治ったにもかかわらず
スパイクプロテインが影響する免疫不足ににより、持病であった部分が悪化
また、血栓がいろんなところにでき、合計その年4₋5回の入退院を繰り返す。
せん妄等、びっくりするするような症状が出て、
今度こそ死ぬのでは?なんて思っていた父親。
その反面、一緒にいた母親は体力も弱いはずなのにワクを打っていないせいか、病気は全くしない。
老人がアクセルをブレーキと間違えて踏んでしまい、人を殺してしまう事件が後を絶たないが、80になったら、免許を返納すると言いながら、親父は82をこえていた。住宅地でも車をぶっ飛ばす。
100キロ超えない日はない位飛ばす。
助手席に座っていたら、絶対に片手はどこかをつかんでいないと怖い。
前の車と至近距離をなかなか取らなく、一つ間違えたら煽り運転とも勘違いされるような運転の仕方であるから、口が酸っぱくなるほど距離を開けるように忠告していた。
その答えが、『大丈夫だよ。俺はすぐ止まれる』とアホな事しか言えない。
普通子供ができたら、運転は温和になるものだ。
人の命の重さがわかるはず。
しかし、せっかちであったり、車間距離が取れない人間に免許を与えるべきでなない。車は殺人鬼になりえるからである。
だから振り返ると今回コロナになって、ワクのお陰で週一回ゴルフを回っていた父親がいきなり老人化してしまい、鼻からチューブの状態になり、今はゆっくりとリハビリし、ちょっと歩けば心臓を抑えるぐらいの体力になったのは免許を取り上げるいいきっかけとなった。
人は意固地になると大切なものが見えなくなる。
自分が自分がと自己中になると周りの人が離れていく。
しかし、自分は息子で弱まった父親はだいぶ頑固さが消えて、
しまいに母親の心配を昔の父親であれば考えられないほどしており、
色んな道理を説明しても、なかなか理解を示さない父親だが
これが自分の役割なのかもしれない。
頑固な父親がいる事で、自分がどう子どもたちと接するべきなのか?
考えさせられる。母親に対して無関心で仕事やゴルフ、付合いが中心
自分の自慢話ばかりをする父親。人の批判で自分をよく見せる事で
満足する父親。しかし、自分の孫にお金を残そうとする。
恐らく素直になれないのが父親なんだろう。
母親は父親とデートしたり、映画を観に行ったりしたかったんだろう。
昔呟いていた不安がまだ心に残る。
いやだったら、分かれればいい。
なんて、出会いというのはそんな単純な話ではない。
何んで人は出会うのか?それを深読みすればするほど、一期一会の意味が解る。特に家族というものは単に集まったわけではない。
偶然という事を信じてしまったら、恐らく人生を深読みする事すら無駄に思えるであろうが、すべてが必然と考えられるような経験をする事で、
貴方の人生はより深い意味を持つ事となる。
思考がそう変わることで、すべてが意味を成し、
愛が感じられるのであろう。