自分の小ささ

数年前コロナの影響を受けて父親が病院で隔離された。
ワクチンを打っていたにもかかわらず、免疫が激落ち。
尿路感染、血栓がそこら中に見つかり、ステント手術、肺部分を切除。
3年前は入退院を繰り返した。
週一回はゴルフ、車はバンバン飛ばす80代。
ワクチン→コロナ→手術のせいで、一気に老人化
鼻にチューブ、歩き方もままならなくなり、運転を止めてもらい、つまらない人生になってしまった。

そんな中親父の頑張りもあり、徐々に体力を回復、今だ癲癇の影響か手の動きとか変だが、ゴルフの練習をしたいからと車で練習場に週一連れていく事となった。
ゴルフが大好きな親父にとって、彼のテレトリーに戻れ友達たちと会える楽しみは想像以上。人気者の父の喜びは表情を見ればわかる。
自慢する事で自分が生き生きとなる。

そんな父親は、息子にも同じようにゴルフが好きであってほしいのだと感じる。自分が好きだから、息子も好きだろう。という単純な思いからだ。
週一で何度も行くうちに、それが当然の事になっているのだろう。
『行きたいのであれば、行ってもいいよ。』という流れに変わる。
しかし、時たま父は気分が悪くいけない週も出てくる。
無理に行く必要はない。
だって、自分はあまり興味なんだから。とは言えないが、
今朝、『買い物行く?』と聞くと
父親が『あぁ行く』という、
父親には相手に『やってあげている』『やってやっている』と押し付けっぽい言い方をする。そういうつもりはないのだと思うが、
たまにその押し付けが鼻につく。

玉を打っているときに、親父は、あぁだのこうだの、
いちいち一打一打『教え』を言ってくる。
自分は一生懸命学んでいるつもりはなく、自分なりに打っている感じ。
父親の付き合いだから。素直に感謝できない。
それが自分のおごりなのかもしれないが。

それが自分の小ささなのだろう。


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