記憶というもの

先日母親が読書用のルーペがなくなったという
誰かが取った。いつもの口調。
認知症の母には亡くなった事/物に対し
すべて他人のせいとなる。

新しいのを買ってほしいといわれ、
アマゾンで直径10cmのが翌日に到着
昼過ぎに母親の部屋に行くと昼寝中
ソファーで寝る母親の前のテーブルにそっとルーペを置く
数時間後、母親が自分のところにきてお礼を
部屋に戻ると母親はルーペを見つけられない。

また自分のところにきて新しいのを買ってほしいという。
新しいものを買う前に母親の部屋を探す。
こういうこともあろうかと部屋に母親の許可を得てカメラを置いてある。
録画してあるものを見ると、『置いてあったところにない。』という言葉は
『新しいのはあるけど、最初のルーペが無い。』という言葉に代わる。
新しいルーペは言っていたところとは違うところに保管する姿が
録画で分かった。

自分の言っていた事のつじつまが合わなくなると、
他の話へと入れ違う。正当性がなくなると、脳が勝手に違うロジックを持ち出すのである。これは意識的なのか?脳が勝手にそう動くのか?
決して間違えていることを認めない。

母親の70を過ぎている妹も記憶がよくなるなるのだが、人のせいにはしない。『意識をしておかないとすぐに忘れてしまう。』という叔母。
認知症の母親は自分が忘れるという事を認めない。
ボケと認知症の差である。

記憶というものは自分で書き換えることができる。
過去に起きた事が最近であるかのように昔の話をする。
途中経過が飛んでしまうのである。
認知症という自分自身が何か都合で消してしまうんだろう




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