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何者にもなれない

セクハラを受け続けて
「私は『誰の何者にもなれない』」
と悩んだ。
何者にもなれない事への存在意義が全く分からず、生きる価値すらも分からず苦しかった。


でも、飛び越えて分かったことは私は
『妻であり母親である絶対的存在意義がある』
ということ。

社会に出て『介護福祉士です』と言ったところで、これ以上でも以下でもない。
介護福祉士ではあるが、誰かの何者にはなり得ない。私の代わりはごまんといてなんとでもなる。他人の何者かになろうとしたとて土台無理な話だ。

母親業は偉大だ。
とは思わないが、私に与えられた仕事は子供に愛情を注ぎ続けるということ。
この大切かつ重要な任務を遂行しないと、仕事で躍進することは不可能だ。

だから仕事と家事と育児を両立なんて無理だ。
多分誰もできてない。
できてる風をSNSで上げて装ってるだけだ。

出来なかった家事の数を数えても仕方ない。
何もせずとも得たことはあるはずである。
子供がいくつ笑ったか、子供をいくつ褒めたのか、しっかり子供と向き合えば、荒波がきてものまれず波に乗れると思う。
と信じてる。


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