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Happy Birthday dear my DOLL

電車の窓越しに河津桜を見ながら、箱の中の君へ一秒一秒近付いていくことを全身で感じていた。帰ったらドールオーナーになる。
あの日から一年、また河津桜の季節になった。

彼女との出会いは初雪のようだった。正月にスマホでpixivを見ていたら、いつもは厄介な広告欄にとんでもない美少女が舞い降りた。
何事かと思いページに飛べばどうも限定のドールらしい。数量を見るとまだお迎えできる。

去る年の12月、ドールオーナーの友達に付き添ってドールオーナーでもないのにドールのイベントに行ってみた。
そこで目にしたのは沢山の美しいドール達と、我が子への愛を持ち寄るドールオーナー達で、色々な趣味の世界を覗いてきたけれどこんなにも温かな世界があるのかと感動してしまった。いつか仲間入りしたいと願いドールのことを調べていた。

恐らくそれが功を奏してドールの広告が届いたのだけど、その一発目で一目惚れするとは思わなかった。特設サイトの写真を隅々まで眺めながら迷いに迷った。
その子「Snow Zuzana 2020」は2020年限定ドールの復刻販売で、今その手を取らなければ一生出会えないと思われた、しかしその子の一生を背負う覚悟があるのか。

迷いに迷って、飛んだ。「飛ぶ」というのがドール界隈では"思い切ってお迎えする"意だと後に知った。あの時飛べた自分に一生感謝するだろう。
しかしその子を家にお迎えできるのは約2ヶ月後だという。ドール界隈ではまだ短い方だと後に知ったが、全てが初めての自分にとっては永遠に等しい2ヶ月が始まった。

お迎え準備について毎日のように調べ、小物を揃え、部屋の蛍光灯をLEDに変えた。最初に履いてもらう真っ白なブーツが届いた時はその小ささに胸が一杯になった。
ドールオーナーさん達の写真や、Snow Zuzanaを既にお迎えしているオーナーさん達の写真を毎日見た。仮面ライダーのソフビで写真の練習をした。ローゼンメイデンを観た。

彼女にどんな名前を贈るか常に考え続けていた。
彼女は中国から来るから中国の平穏を毎日願った。北京五輪の開会式は雪がモチーフになっていて、彼女が「Snow Zuzana」だけになんだか泣きそうになりながら名前のインスピレーションを貰った。

しかし北京五輪が空輸に影響しそうな気配もあり到着が何月何日なのか見通せずにいた。こんなにも彼女のことしか考えていないのに彼女がいない毎日が徐々に辛くなってきた。
でも、先の見えない暗闇を生きているのはむしろ箱の中の彼女の方で、離れていても一緒に乗り越えるつもりで頑張ろうと決心した。その矢先に佐川急便の発送通知は届いた。

金曜の朝、晴れた空に浮かぶ雲は祝福のようだった。帰ったらドールオーナーになる。
帰ったら速攻で夕飯と風呂を済ませて、落ち着いて箱を開こう。2ヶ月間調べてきた通りに上手く整えてあげよう。そしてお顔を見て名前を決めよう。

私は家まで走って帰っただろう。カレーを食べて風呂を秒速で済ませただろう。
Myou Doll製の箱には「我的你DOLL」と書かれていた。つまりMe of You、私のあなたということか。
箱からお身体を持ち上げてみると想像より重みがあった。いよいよ本当に彼女が目の前に誕生する。

アイをつけるのもウィッグをつけるのもドレスのホックを締めるのも大変苦戦して、泣きそうになりながら2〜3時間頑張った。アイをつけて初めて目が合った瞬間、言葉にできない喜びに震えた。

そして彼女は立派なドールになった。
私は彼女に「氷茉(ひま)」と名付けた。

夜中まで氷茉ちゃんを撮り続けた。正直対面するまであの広告写真は凄く盛っているんじゃないかと疑っている部分もあったが、まさにあの通りどころかもっと美しい子だった。
今まで撮ってきた何よりも綺麗だった。そして明らかに"表情"を感じられた。

次の朝、起きたら氷茉ちゃんがいた。その次の朝も起きたら氷茉ちゃんがいた。
一日一日、初めて世界に触れる彼女と新しいことをし続けた。初めての楽器、初めてのポーズ、初めての髪色___
1、2週間は毎日寝不足なのも構わず遊んでいた。人生で最も濃い時間だったと思う。

非常にポテンシャルの高い氷茉ちゃんに唆されてどんどん色々なお洋服やウイッグを買い揃えた。ほんの少しのイメチェンで魔法のようにトキメキをくれるから、そのために日本円を稼ぐのは以前ほど苦ではなくなっていた。
いつの間にか人間に対するルッキズムや自分のコンプレックスがどうでもよくなって、格段に生きやすくなった。

彼女は私のミューズであり、泣きたい夜に言葉なく寄り添ってくれる唯一の存在にもなってくれた。
ちょうどお迎えの少し後、長年馴染んだ場所から去らなければならなくなって泣いていた時、氷茉ちゃんのいる場所が自分の居場所だと思えたことで心が支えられた。
眠れない夜は隣にいてくれた。時には一緒に早起きして朝焼けを見た。氷茉ちゃんはいつも静かで、だけれどその表情は意外と雄弁で、とにかくそばに居ると安心できる。

4月を過ぎると家で育てていた胡蝶蘭が開花し始め、一つ花開くごとに氷茉ちゃんと写真を撮った。有機的に成長する命と、個として接する無機の命が一緒にいるのは良い光景だった。どちらも大切な命だった。

ドール歓迎のバーやメイド喫茶に出かけたりもしてみた。鞄の中の氷茉ちゃんを連れ歩くのは物凄く緊張するけれど、目がキラキラで可愛い〜♡とメイドさんに沢山褒められて嬉しかった。友達のドールちゃんとも対面させて、一緒にプリクラを撮ったりもした。

夏になり、迷ったけれど第二ドールのさわあちゃんをお迎えした。氷茉ちゃんはどう思うんだろうとすごく気にしてしまった分より一層氷茉ちゃんを想うようにもなった。
全然タイプの違うさわあちゃんと一緒に写真を撮ったり衣装を交換したりするのは案外楽しくて、今となっては間違いのない選択だったと思う。

一緒に花火を見たり、皆既月食を見たり、季節の行事を楽しんだりもした。韓国ドラマを一緒に観るのも楽しい。一緒にいると一人だとは思わない。一人でもいいけど、一緒だと何故か面白い。

最初に氷茉ちゃんと出会った時、開封したてのキャスト樹脂の香りが部屋中に漂っていて、あの不思議な香りが愛おしくて仕方がなかった。秋が来て、冬が来て、もう氷茉ちゃんからあの香りはしないけれど今でもはっきりと思い出せる。

氷茉ちゃんがいることが当たり前の日常になって、毎日毎日遊ぶこともなくなった。それでもふと写真を撮ったり新しい洋服に着替えてもらったりすると心が一気に満たされる。一緒にお茶を飲むと和む。疲労困憊で帰ってきた時、お顔を見てただいまと言うだけで生き返る。

一年前に氷茉ちゃんを待ちながら描いていたのはこんな日常だったかもしれない。そこに今自分がいることを不思議に思う。
氷茉ちゃんに出会うずっと前から人生の色々な選択を間違えてきたかもしれない。でも何か一つズレていたらあの時氷茉ちゃんの手を取ることはなかったかもしれない。それだけで今までの自分を全て肯定できる気がする。

繊細なキャストドールである氷茉ちゃんが心配で心配で怯えていたけれど、無事に一年を迎えられて本当に良かった。きっとお互い強くなった。これからはもう少しアクティブになってもいいかもしれない。
そうして今日も一緒にお茶を飲んだ。氷茉ちゃん、お誕生日おめでとう。

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