黒雨

 校舎の最上階に事務室がある。正面に大きな窓があり、窓の彼方に黒いクレヨンで塗りつぶした子供の絵のようなビル街が広がっている。その上空に黒い雲が一面に垂れ込め、雲の腹から細い触手のような雲が何本も伸びて、遠く林立するビルの屋上近くまで下りてきている。

 一つのビルの屋上に立方体の建屋があり、その上に携帯電話の基地局アンテナが建てられている。アンテナの左右に蝿の翅のようなパラボラがある。パラボラは銀色に光っている。雨が降っているのか、フィルムの上の引っかき傷のような白い筋が現れては消える。 

 校舎の前にはグラウンドがあり、白いラインをひいた暗いグラウンドに女が一人、乳母車を押して、ラインを辿って歩いている。 

 突然の稲妻がビルの上のアンテナを直撃し、粉砕する。蝿の翅のような部分が吹き飛ばされ、大きく弧を描いて手前のグラウンドに落下する。落ちて来た蝿の翅に触れて、乳母車が潰される。
 

 墨のような雨がはげしく降り出し、グラウンドの地面はたちまち無数の画鋲を立てたようになる。潰れた乳母車の脇で、女は倒れたまま雨に打たれている。 

 産業医に連絡しようとしてデスクの上の電話機に手をかけるが、産業医の内線番号を思い出せない。パソコンの画面を開き、グループウェアで検索しようとするが、こんなときに限って動きが鈍く、目的の画面に移り変わらない。シャツの下を、ひとすじ、またひとすじと汗が伝い落ちる。 

 背後のカウンターに、作業服姿の木瘤のような感じの老人が立ち、緑色のプラスティックのキャップがついた円筒を示す。
 「これは何の部品かねえ」
 真っ黒な豪雨が窓ガラスを叩き、事務室の中は蒸し風呂のように暑い。
 「あんたねえ、外に怪我人がいるんだよ。そんなつまらんことは後にしてくれないかねえ」
 自分の声や態度が昂ぶってくるのを、外から眺めるようにはっきりと意識しながら、そのくせそれを抑制することができないということを、やはり外から眺めるように意識しながら、老人に向かってまくしたてた。
「言ったな」
 カウンターの向こうで老人が身構えた。

2013.3.30

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