眼鏡

大山は神奈川県伊勢原、厚木、秦野の三市にまたがる標高1200メートル超の山であり、日本三百名山の一つに数えられている。私は大山を訪れたことはないが、神奈川県内に住んでいた祖母が大山に関してこんなことを言っていたのを覚えている。
「あの人は目が良い人で、夜中に大山の木の枝に引っかかっている眼鏡でも見分けることができた」
祖母の言葉に、周りの大人たちは籠った笑い声をたてた。
私は、誰もいない夜の深山の木の枝に、眼鏡がひとつ引っかかっている情景を思い浮かべてうそ寒いような気持ちになった。それは月あかりを反射して銀色に光ったりするだろうか。あるいは枝葉の陰に隠れて光も発せず誰にも気づかれることがないのではないか。いつ、なぜ、どのような事情で、それは木の枝に引っかかったのか。そして、眼鏡の持ち主は誰で、その人はどうなったのか。祖母の話を思い出すたびに、私はそんなことをかんがえた。

ずっと後年になって、祖母の法事の後に、集まった親類が僧侶を囲んで茶を飲みながら会話する時間があった。その際に、叔母が戦争中の話をした。戦争末期になると、松根油を燃料代わりにして飛行機を飛ばしていた。厚木の飛行場から飛び立った特攻機も松根油を燃料としていたため遠距離を飛ぶことができない。しかし出撃機の帰投は許されていない。そのため多くの特攻機は大山に突っ込んで自爆せざるを得なかった、というのだ。
当時の一般市民の軍部や政府に対する不信感が、このような一種の都市伝説を生み出したのではないかと思う一方で、祖母が話していた大山の木の枝に引っかかった眼鏡とは、飛行眼鏡のことだったのではないかとも思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?