だから、最終電車に飛び乗った
今日これを書かないと、一生書かないかもしれないと思ったので急いで書きます。
仲村宗悟さん、アーティストデビュー二周年おめでとうございます!
二年と三か月前のことにはなりますが、どうしても書き残しておきたいことがあるので、このタイミングで失礼します。
それではさっそく、2019年の七月へGO!
※以下、当時の感情をまとめていたメモを書き直した文章になります。
根気よく読んでね。
7月28日
仲村宗悟さんがアーティストデビューを発表した。
最初見たときはおめでとうと嬉しいとすごいがぐるぐるぐるぐるして、なんかそわそわしてしまって。
とりあえず金欠のくせにアイスを買った。
バスキンロビンス。ちょっと高いけど落ち着いた。
夢って叶うんだなあ。
アイスを食べながらそわそわの正体を見つけた。
ありきたりな言葉で恐縮だが、
「夢は見るものではなく叶えるもの」
なんて、耳にしていたものの、なんかこう、そんなわけないと思ってた。
当時高校二年生、毎日のように進路について言われ、考えていた自分にはあまりにも眩しいニュースだった。
仲村宗悟…夢叶えたんだ。
すご。
7月30日
とあるツイートが目に入る。
モザイクナイト…ラジオか。生放送で、深夜1時〜5時(長いなぁ)。
とはいえ夏休みだった私は、迷いなくこのラジオを聞いていた。
どうしても、アーティストデビュー発表後の話を聞きたかった。
この日、宗悟さんがどんな話をするのか、知りたかったのである。
モザイクナイト火曜日は声優の長弘翔子さんと仲村宗悟さんが幕張のラジオ局、bayFMで放送していた番組(現在はパーソナリティと時間帯変わってます)。
コーナーやテーマメールも充実しているが、その中に『真夜中のテレフォンコール』というコーナーが目に留まった。
名前の通り、生電話のコーナーである。深夜三時半というミッドナイトに始まるこのコーナーは、眠れないリスナーにパーソナリティが逆電し、その理由を聞くというもの。
今思えば、初めて聞く番組にこんなメールを送るなんていい度胸してんな、と思う。
終わらない夏課題、決まらない進路、寝られない理由なんていくらでもあった。
「私が誰にも言えない、私の夢の話を聞いてください。」
クサい文言で、改めて見ると恥ずかしい。
それでも、その時は最後の砦にすがる思いで「真夜中のテレフォンコール」宛にこのメールを送った。
…とはいえ、眠いなあ。
逆電のコーナーも終わり、ああ読まれなかったかと残念半分少しホッとして目覚ましに風呂に入ることにした。
深夜?4時前に風呂から上がり、朝だなあと数分間のタグを遡っていると
「寝ちゃったのかな?」
「留守電…?」
というツイートが目に入る。
いやまさかとホームボタンを押す。
見覚えのない通知のバッジ。滅多に使わない電話への通知…
非通知から電話が来ていた。
3時54分…今は59分。
数秒前に見たツイートの矛先は自分だと確信した。
そして申し訳なさが襲ってくる。
すぐさまダメ元ではあるが謝罪メールを送った。
「お電話ごめんなさい!眠気が限界でお風呂に入って目覚ましをしようと離脱していました。戻ってきました。本当にごめんなさい!!!!」
謝罪メールである(原文パパ)(親違い)。
数分後、テーマメールの合間に読んでいただけた。すると仲村さんは
「僕は、話したかったぞ」
と返してくれた。
私のメールを見て、話したかったと言ってくれたのか。
それだけで胸がいっぱいになった。
そのあとはなんだかドキドキしっぱなしで、そのまま朝を迎えた。
8月6日
今週も、もちろん火曜はやってくる。
ナガショーさんと仲村さんのモザイクナイトの日。
この日もあいにく課題が終わらないもんで(そりゃそう)、また一緒に夜更かしをしようと意気込んでいた。
この一週間、とにかくいろんなことがあった。
というか先週の放送翌日(電話もらった数時間後)、遅起きかました私は父親と大喧嘩になり「大学行くな」「行く」などという言い争いをLINE含め一日中繰り広げていた。
この大学云々の話も、父親に
「お前は絵描く才能はあるんだから、わざわざ苦手な(頑張ることもできない)勉強やって大学行く必要ない」
って言われて、
「そんなん、絵でお金稼げるってわかってたらとっくに勉強やめて絵描いてるわ!!そんな才能はない、ないから苦手な勉強してるんやろ!?」
って返す、ぐちゃぐちゃな言い合いをしてたから、延々進路、進路、進路。
親にこんなことを言われたのは初めてだったし、言うのも初めてだった。
絵描きあるあるでよく聞く
「絵うまっ!漫画家なれるよ~とかよく言われるけど、別になりたくない(笑)」
に当てはまらない人生を過ごしてきた。
物心ついた時からお絵描きが大好きで、「将来の夢:漫画家」の歴史もしっかりたどってきた。
願わくは、大好きな絵でお金を稼ぎたいというのが本心だった。
でもまあ、なれんやろうなあ、とうすうす感じるのが人生ってもんで(?)
自然とまあ、大学行って、なんとなくどっか就職して、そういう人生なんやろうなあ、と思ってた。それが合ってる。
そんなこんなで、多分人生で一番憂鬱な一週間だった。
すがる先は、ここしかなかった。あの時の「話したかった」に賭けるしかなかったから。
だからまた、「夢の話を聞いてください」と送った。
鳴った。スマホが鳴った。画面は非通知。時間は大体3時半。コーナーも始まってる。
やばい、まさか来るとは、いやまずは出なきゃ
(この間ワンコール)
(あとで聞き返したらめちゃくちゃ出るの早かった)
「モザイクナイト火曜日の長弘翔子と!」
「仲村宗悟です、こんばんは!」
驚くほど呼吸が整わず、声も震えているもんだから2回ほど深呼吸タイムを設けられた。
一週間前の留守電の謝罪をし、
「課題があるので寝られません」
と告げた。
「高校二年生ってことは、三年生に上がって、大学とか専門学校とか社会人になるとか、いろいろあるけど、
どうゆう道に…夢とかあんの?」
宗悟さんの問いかけに対して、今までつっかえてた『夢』が驚くくらいするっと出てきた。
「学校で、進路とか、大学とか、すごいたくさん聞かれるんです」
「なんかいつもまだ決めたいとか、なんとなく都会に出て一人暮らししたいとか答えてたんですけど、ほんとはやりたいことたくさんあって」
「今まで誰にも言ったことがなくて、今初めて言いました」
長々と話し出す私に、でも言ってくれたんだね、とナガショーさんは優しく返してくれた。
そして自分自身が進路を決めた時の話をしてくれた。
「大学に行ってよかったって思ってる」
「趣味の範囲で出来ることもあるし、それを考える時間も出来る」
「時間があるってことは素晴らしいことなんだよ。社会人になったらそんな時間もなくなるから」
大学に行くことが諦めじゃないんだなって、少し肩の力が抜けた。
いい話をしてもらえた。大学に行ってから考えてもいいんだ。
メールしてよかった、ひとまず私はまだ、スタートラインに立てる。
そのまま「ありがとうございました」と返し、電話が終わる流れになると思った。
多分この言葉は、この数ターン前の会話の中で私が
「(夢に対して)なりたい自分と、それを否定する自分がいて、目指すよりは、ちゃんと大学に行って、いわゆる普通の仕事に就いて、そっちのほうが自分に合ってる気がして」
と言ったことに対する返しだと思う。
少し間が空いてから、宗悟さんが言った。
「あの…できないとかそういうことを、そうだなぁ、
やれなかった時の免罪符にしてない?」
胸の奥が、なんか分からないけど、ぎゅっ、てなった。
わたしは初めてモザイクナイトにメールを送ってからの1週間、ずっと考えていたことがある。
「あの時電話に出ていて、夢の話をして、そしてなんて言われたかったんだろう」
私は分からなかった。
「諦めるな」とも「諦めろ」とも言われたいわけじゃなかった。
応援されたいから?それともただ夢を誰かに言いたかっただけ?
あの日深夜に送ったメールの答えは出てこなかった。
出てこなかった、のに
「やれなかった時の免罪符にしてない?」
完全に図星だった。だから、胸の奥がぎゅっ、とした。
「絵を描く仕事をしたい」
そう思っていることが、ずっと恥ずかしいと思っていた。
夢に向かって何かすることができなかった、なれなかった時が怖いから。
このためだけに、一生懸命になる勇気が私にはなかった。
だから、私は自分を否定して、自分を守ってた。
それを完全に見抜かれた…気がした。
「この世に絶対できる、絶対なれるは【絶対】存在しない」
「挑戦しないことは一番かっこ悪い」
「逃げるなよ、自分から逃げるな」
宗悟さんはそう言葉を繋げた。
正直、こんなことを言われるとは思っていなかった。
もっと言うと、私の中の「仲村宗悟」は、こんなイメージではなかった。
私の知ってる宗悟さんは、キラキラしてて、面白くて、みんなを笑顔にして、いつも楽しく歌ったり踊ったりしてる。
いつも前向きで、そのキラキラを周りにもプレゼントしてくれるような、そんな人。
多分もっと、優しい言葉を伝える人なんだろう、と思っていた。
でもそれはほんの一部のイメージでしかなかった。
もちろん私なんかよりずっと大人で、たくさん生きていて、つらいことも苦しいこともたくさんたくさん経験してきていて。
あー、私が想像してるより、ずっとずっとすごい人なんだ。
今、電話の向こうにいるのは、いつも私が見ていた舞台の上でキラキラ輝きながら笑顔を届ける仲村宗悟とは違う。
すっぴんに限りなく近い、きっとそんな感じ。
たった10分のやり取りだったけど、私が受け取るにはもったいない言葉をたくさんもらった。
メールを送ってよかった、と心から思った。
涙でぐちゃぐちゃになりながら、私は答えを絞り出した。
「逃げません」
もう胸がいっぱいで、このひとことを返すのが精一杯で、でも全てだった。
「また何かあったらメールください。何もなくてもメールくださいね」
その電話の先には何でもない仲村宗悟がいたんだ。
電話が切れて一息ついたら、涙が止まらなかった。
・・・
これが私のモザイクナイトとの出会いと仲村宗悟の話でした。
4000字超えました。読める文章になっていたでしょうか。
ずっと何かしらの形に残しておきたかった話なので、書けて良かったです。
この電話から三か月後にリリースされた「Here comes The SUN」はもちろん購入しました。
ゆらゆらの二番の歌詞、
「どうせ自分なんかって 挑戦から逃げ出して
傷つかないように守ってた
でもそれでいいのかな? このまま終われるのかな?
まだ早い 終わるには何も成し遂げてないだろう」
初めて聴いた時、あの時の言葉とリンクして、またびちゃびちゃに泣いたのを覚えてます。
結局私は、大学進学することに決めたんです。
でもこれは逃げじゃなくて、これも夢だったから、自分でそうしようと決めました。
「夢をたくさん持とうぜ。
夢をたくさん持つことは悪いことじゃない、
夢を変えることは悪いことじゃないよ。
俺だってたくさんあるぜ、夢。
小さいのから大きいのまで」
これも電話した時に言ってもらった言葉です。
将来的に見たら小さい夢だけど、地元を出て一人暮らしをすることはずっと憧れだったので、あんぱん的にはオールオッケー!な現状です。
HOT LIMIT。
あと、やっぱり東京ってすごい。
いろんな人がいて、いろんなものがあって、いろんな考えがそこら中に散らばってて。
まだなじめてないけど、自分自身を知るにはうってつけの場所だと感じてます。
マジいろんな人いて超楽しい。刺激的。
友達はほぼいないけど。
ちなみに、絵でご飯食べれるようになることはまだ諦めてません笑
ただ私は自分の好きな絵を好きなタイミングで描くことが好きなので、その好きな絵がなんかうまいこと行ってお小遣いになればいいな~位の夢です。
今の目標は大学生の間に漫画描くこと。ちまちま妄想してます。
そんな小さな夢を持ちながら、引っ越し当日を迎えました。
なりたい自分がそこにいると信じて、
私は最終電車に飛び乗った。
(引っ越しが車だったとかは置いといて!)
チューバ吹きの休日
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