見出し画像

スガシカオ『SugarlessⅢ』の歌詞の良さを熱量にまかせて語る

2021年12月22日にスガシカオの新しいアルバムが発売された。

うちにはCDを聴けるコンポはないのだが

小学生の頃からのコレクションの一環としてCDを買いに出かけた。

おまけのクリアファイルのデザインが一番よかったので

HMVで買おうと思って日比谷に行ったのだが、

なんと値段の高い特装版しかなかった。

他店舗の在庫を調べてもらったら、

渋谷に1枚あるが1枚しかないということは予約済み商品かもしれない、

あとは池袋か立川に若干あるが都内はそれだけと言われてしまった。

スガシカオの知名度なら発売日に行けば買えると思っていたが、

世は令和、CDは予約必須のものとなっていたのだった。

そんなわけで池袋で無事に購入し、

CDを開封することなくAppleのミュージックでアルバムを聴いた。

最近はボカロやAdoばかり聴いていて、

スガシカオを聴くのは久しぶりだったのだが、やはりどの曲も大好きだった。

特に、Little Glee Monsterに提供した「ヒカルカケラ」の歌詞が良く、

その魅力について夫に熱く語った。

それだけでは気持ちが収まらなかったので、noteに書くことにした。

前置きが長くなったが、ここからはアルバムの1曲目から

自分が好きなフレーズや、「短歌っぽいな」と思ったことなどを書いていく。

歌詞の全ては載せられないので、気になったら調べて、曲も聴いてほしい。

トワイライト★トワイライト

引越しの「荷造りが終わった部屋」で

「君」といた日々を思い返すという内容の歌詞。

この歌の中で私の好きなフレーズはこれ。

荷造りが終わった部屋は もうカラッポで
空き缶の中でジュッと タバコの消える音

段ボールの中に灰皿は入れてしまったのだけど、

荷造り作業が終わったから一服したくて

作業中に飲んでいた缶を灰皿にしているという描写だ。

その他の部分はわりと抽象的な言葉が多いのだが

このフレーズでグッと現実に引き戻してくれる。

歌詞全体を通した物語は、

一番Aメロで「ぼくら あの日で止まったままかな」と言っていたのが、

二番サビで「行き先などなくても ストーリーは続いてく」

(幸福行きのワインで)「空になったグラスでも いつかまた満たされる」と

完全にポジティブな感情ではないものの、未来のことを思えるようになる。

そして三番のBメロで「君がくれたヘッドフォンは 置いていこうかな」と

「君」といた日々の記憶にも一区切りつけようとしている。

引越しの荷造りをするなかで、自分の感情が移り変わっていって

未来に向かって目を向けられるようになるという物語は

分かりやすいものであり、短歌の尺度で考えてしまうと

ありがちとも取れてしまうかもしれない。

しかし、これは歌詞であり、短歌の濃度で言葉を紡ぎ、

意外な展開を用意するとエグみが強くなりすぎる。

売れっ子ミュージシャンには共感と一種の分かりやすさというのも大事である。


10月のバースデー

高熱でうなされて起きて、

今日が元恋人の誕生日であることを思い出すという内容の歌。

これは一番のサビの出だし2行が好き。

そうだ 今日はもしかして君のバースデー
忘れないでよって よく言われたっけ

日頃、この歌の主人公は誕生日や記念日なんかを忘れがちで

かつての恋人の「君」には、「忘れないでよ」と釘を刺されていた。

そして時は流れ、恋人とは別れ、「君」の誕生日なんて忘れていたはずなのに

高熱という状況でいつもなら考えもしないようなことをふと思い出す。

たった2行でかつての主人公の行いと、高熱という特殊な状況のなかでの

今の自分というものが伝わってくる。

二番のサビも良い。

今日は本当だったら 仕事のあと
懐かしい奴らと会えるはずだった
ずっとめくっていないカレンダーを
みんなでめくっては 笑うはずだった

元恋人の誕生日を思い出したその日は奇遇にも

昔馴染みの友達との飲み会の約束をしていた日だった。

昔のことを笑いながら楽しくお酒を飲むはずだったのに

高熱のせいで飲み会にも行けず、

一人で「君」のことを考えて切ないようなやるせないような気持ちになっている。

なんの報いでこんな目に遭っているんだ?という心の声が聞こえてきそう。

会っていなかった時間をバカ笑いしながら取り戻すことを

「ずっとめくっていないカレンダーをみんなでめく」るという表現が

個性的でありながら、分かりやすく

曲のモチーフである「バースデー」と響いている。


Music Train〜春の魔術師〜

FM802×TSUTAYA ACCESS!キャンペーンのために書き下ろされた曲。

音楽を列車に見立てて、音楽には一人の人間の「世界の色や景色」を

変えてしまう魔法があると歌っている。

明るくキラキラとした言葉を多用していて、

キャンペーン提供曲です!!というのが分かりやすく出過ぎていて

正直あまり好きではない。

ただ、

真夜中のラジオで聴いた
その歌に心臓つかまれた

のような体験は私もあるし、音楽好きには沁みる歌詞だと思う。

また、

汚れたぬいぐるみでも
きっと君にとってかけがえないもの

というところで、私は初めて聴いたスガシカオのアルバムである

『PARADE』の存在を思い出した。

このCDは父親が買って、車でよくかけていた。

それを聴いているうちに私はスガシカオを好きになり、

ちゃっかり自分のCDとして私の部屋のCDの棚に入れていた。

このCDの歌詞カードはコーヒーのシミとかついているし、

もうボロッボロなのだがたぶん死ぬまで捨てない。


もういいよ

かつて傷つき、今もその傷跡が治らない。

でも、「もういいよ」、そうした傷があるのは確かなのだけど

「明日が 少しでも前を向けるように 

生きたいんだ ただそれだけなんだ」と歌う。

スガシカオも大人になったな(私は何様)と思う一曲である。

歌詞の全てが辛くて、泣ける。

それは心の 途中に刺さったまんま
ぼく以外の人は誰も
覚えてもいないでしょう

自分の辛かった記憶や今でも残っているしこりって

自分がこだわっているだけなんだよなぁ、と本当に思う。

あの時 ぼくには許せなかったけど
もういいよ 消せはしないけれど
明日が 少しでも前を向けるように
生きたいんだ ただそれだけなんだ

辛かった気持ちも、許せなかった過去も、

それに今でもこだわってしまう自分も全てを認める

それは諦めであり優しさである。

中学生の時から精神の薬を飲み、大人になってからは閉鎖病棟に

3度入院してきた過去をもつ私は最近やっと落ち着いてきた。

今年の夏くらいまでは、どうにか働かないといけないと思っていた。

でも、あまりに空白の多い私の履歴書では、面接の前に落とされてしまう。

そんなことを何度か繰り返しているうちに、

お金を貰わなくてもボランティアで社会と繋がっていれば良いかなという

気持ちになってきた。

ボランティアの面接で精神障害のことを話したら

「活動していくなかで得意なこと、苦手だったことがあれば教えてください」と

とても気にかけてくれた。

数回、活動に参加したが今のところ困ることはないし、

ボランティア先の皆さんにも「いてくれて助かった」と言ってもらえる。

家でご飯を作って夫に食べさせて、

短歌を作って、たまにボランティアに行く生活は悪くない。

明日という日が 光に満ちてさ
平等に 降り注いで欲しい
ぼくにも君にも 父さんや母さんにも
平等に ただそれだけでいい

昔のスガシカオの歌に出てくる「父」「母」は

歌の主人公と仲が悪かった。

『FAMILY』収録の「日曜日の午後」での母親の描写は以下の通り。

今日 母親がかってきた
赤くて大きなブラインドは
午後の日射しをさえぎって
部屋中を赤くぬりつぶした

『Clover』収録の「In My Life」には父親と母親が出てくるが

いずれも酷い描写がされている。

母親は今日も持て余してる
ワイドショーではきっと生臭いニュース
父親は今日も抱え込んでる

シングル『19才』のカップリングの「ホームにて」では

昨日 父親のインクの臭いがする手で
殴られたあとが グズグズと痛むのです

といった具合に殴られている。

こうした家族像が変化してきたのは、2016年からだと思う。

『THE LAST』収録「ふるえる手」では、

いつもふるえていた
アル中の父さんの手
ぼくが決意をした日
”やれるだけやってみろ”って
その手が背中を押した

とある。

二番では父親のことを「かっこ悪い」と言いながら、「真っ直ぐ」と書いている。

2020年には「ヤグルトさんの唄」という曲を発表した。

「ヤグルトさん」というのはスガシカオの実母の愛称である。

この歌の中では

父さんと三人の小さなアパート
みんなで買い物した土曜日
なんという愛おしい日々

とまで書いている。

この「ふるえる手」からの「ヤグルトさんの唄」からの

「もういいよ」という流れが、人間の成熟というものを感じさせて

長年のファンとして感動してしまう。

熱くなり過ぎたので、そろそろ次の曲へ。


JOKER

性病を題材にした歌。

スガシカオ自身は性病にかかったことがないので

周りの性病にかかったことのあるスタッフに取材して

歌詞を深めたとメルマガに書いてあった。

題材だけ聞くとびっくりするかもしれないが、

その情報なく歌詞を読むとたいして性病感はない。

トランプで何かを暗喩しているけど

よくわからないなぁという人が多いと思う。

今までSMプレイを扱った「イジメテミタイ」や「いいなり」、

彼女の代役を求める「かわりになってよ」とそのメドレーの「性的敗北」、

テレフォンセックスの「38分15秒」、

ぬかるんだ下半身から安いスパゲッティーみたいな

臭いがするという「Call My Name」、

日暮里のラブホテルの「青春のホルマリン漬け」など

こんな歌あげればキリがないので

「問題作」「メディアやSNSに書けない」「真相はメルマガだけ」と言われても

何を今更という気持ちでいっぱいである。

これは歌詞が良いというより、メロディーとサウンドが踊れるので

はやくライブで聴きたいという感想だ。


雨ノチ晴レ

タイトルがあまりにも分かりやす過ぎて

どうかなと思ってしまうのだが、歌詞は良い。

勇気とは 誰かに誇るものではなく
自分の弱さと戦うための心の武器

出だしの一行なのだが、カッコイイ定義である。

その後も「希望」や「心」、「涙」なんかを定義づけしていく歌詞なのだが

「命」の定義が私は好きだ。

命とは 理由も意味もなく生まれて
いろんな理由や意味を見つけて消えていく

この歌は2017年に配信された曲なのだが、

これくらいの時まだ私は「何のために生まれたのか」みたいなことを

考えてしまう年頃だったのだが、

この曲を聴いて「ああそうか生まれたことに意味なんてないんだ。

でもそれはネガティブなことではなくて、どう生きるかってことなんだ」

と視界が開けた。

そしてこの歌はこのように締めくくる。

なんでもない明日にも 挫折や不安が そっと潜んでいて
ほんのちょっとのおまじないで それはウソみたいに光に変わる

スガシカオは「明日は良い日に違いない」なんて言わない。

言っても「明日が 少しでも前を向けるように 生きたいんだ」くらい。

特段何もないはずだった明日に

予期しない不幸が訪れることがあることだってわかっている。

でも、そんな不幸だって気持ちの持ちようや考え方で

人生の道標となる大事な出来事になる。

私で言えば、中学校不登校や会社員歴2週間、3度の閉鎖病棟入院は

他の人が見たら人生の失敗に見えるだろう。

でも当の本人にとっては、「まあ当時は辛いこともあったけど

結果的には他人に優しくなれたり、社会問題に目が向くようになったり、

短歌のネタになったりしているから別に良いかな」くらいにしか思っていない。

人間誰しも年を重ねて、人生経験を積めば

この歌のような心境になるのではないかと思う。


ハッピーストライク

スガシカオの歌の主人公は繊細なダメ人間ばかりである。

特にこの歌はダメさの極みであるのだが、

それが人間らしくて共感してしまうし、

ある意味で自分の心に対してすごく誠実である。

こういうスガシカオの歌の主人公像に

思春期の私は救われていた。

ハッピーエンドのパーティーがしたい
Happy Strike Happy Strike
ハッピーエンドに抱きしめられたい
Happy Strike Happy Strike
あの涙のせいで あの涙のせいで
あの涙のせいだ あの涙のせいだ

「ハッピーエンドに抱きしめられたい」ってどんだけ他人任せなの、

自分の幸せは自分で掴み取れと思ってしまう。

さらには、それができないのは「あの涙のせいだ」と他人のせいにする。

なんかいつでもダメな自分の姿ばっかり見つけて
それを誰かに許して欲しがったり

君に許して欲しいならまだわかるが

「誰か」と言っているところも主体性がなくてダメすぎる。


ヒカルカケラ

Little Glee Monsterに提供した曲。

「7つも上の 大人のあなた」に心を寄せる女の子の歌である。

この歌のすごいところは2つある。

まずは、アイドルに歌わせるとは思えない程の

スガシカオ節全開の歌詞であるところ。

あなたのことを考えると胸が痛いというところまではわかるが

さらにこのように続ける。

あなたの胸に同じ痛みが
私のことを思う痛みが
あなたを 苦しめていればいいのに

スガシカオの歌にはたまに女目線の歌があるのだが、

その主人公は皆メンヘラである。

この歌も『THE LAST』収録

「あなたひとりだけ 幸せになることは 許されないのよ」の

女主人公と言っていることは同じである。

手を伸ばす そこにずっと あなたがいてくれるなら
少しくらい 誰か傷つけても 仕方ないよね

10代の可愛い女の子が歌っているから無邪気な残酷さくらいに収まっているが

冷静になると相当ひどいことを言っている。

この歌のすごいところの2つ目は、具体物の出し方が上手すぎるところである。

どこまでも青い今日の空や
少しだけ冷たくなった風
伝えたい あなたに今この気持ちを
すごくおいしいシフォンケーキや
昨日みつけた素敵な言葉
送りたい 私のカケラひとつでも

「どこまでも青い今日の空」と「少しだけ冷たくなった風」という

当たり障りのないものを出してきてからの

「すごくおいしいシフォンケーキ」は圧巻である。

「すごくおいしい」の舌足らずな幼い表現と

「シフォンケーキ」の具体的すぎる例示のギャップが

いかにも10代って感じがして完璧。

物のチョイスが短歌っぽいところも好きだった。

さらに4つ目に「昨日みつけた素敵な言葉」を持ってくるのも上手い。

例示の仕方が起承転結になっていて、

これが一番大事で伝えたいんだろうなということが伝わる。

心の防弾チョッキ

失恋を完全にギャグに振り切って書いている一曲。

おれだって ティーンネージャーじゃないんだし
別れの受け身くらい まあまあできるけど
信じてなんかいないけど
30年に1度の 女難の星まわりらしい
おれだって 恋愛中級者だし
心の防弾チョッキは ちゃんと着てたのに
この痛みってなんだ?
検索してすぐおしえてくれよ Siri
おれだって 失恋道じゃ黒帯だし
別れの際くらい 華麗に散りたい
いちいち 夜中丑三つ時 ワラの人形なんか
作ってるそんな時代じゃない

いちいち大袈裟で、どこかズレているような表現が続く。

このギャグっぽく書こうとしているところが

かえって痛々しく、失恋がこたえていることが伝わってくる。


ぼくの街に遊びにきてよ

大人になった今割とうまくやれていて、良くも悪くもない日々だけど、

生まれ育った街で少年だった頃のことを思い返すとなんだか胸が痛む。

そんな「ぼくの街に遊びにきてよ」と誘いかける歌。

「遊びにきてよ」というわりに、一番のサビでは街の良さを言えていない。

大きな河には 錆びた橋

全く行きたくならない。しかし、

ひとつひとつ思い出があるんだ
君にも見せたい いつか

と続ける。

たしかに、私も生まれ育った田舎町に夫を連れて行って、

「ここが住んでたアパート」

「ここが通ってた小学校と不登校してた中学校」などと

案内してまわったことがある。

つまらないものでも自分を育ててくれたものを

大切な人に話したくなる気持ちはとてもわかる。

ぼくの街に遊びにきてよ
神社の灯りが 綺麗なんだ
君が好きな夕暮れ時にね
願いが叶うよ きっと

最後は神秘的な情景の中で

「君」への愛が溢れている。


Real Face

Progress


以上の2曲は超有名な曲で、私が語るまでもないかなと思うのと、

だいぶ疲れてきたのとで割愛する。


『SugarlessⅢ』を買ったことでスガシカオ熱が再燃して、

古いアルバムもまた聴いてみたら

自分の10代の頃の記憶も蘇ったりしてとても良かった。

アルバム1枚分の感想を書くのは結構エネルギーが要るのだが、

その労力以上に「語りたい」「みんなに聴いて欲しい」気持ちがあるので

時間と体力がある日には、他のアルバムについても記事にしていきたい。

長い文章だったのに最後まで読んでくれてありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?