たんかれ憶測note/やさしさ、弱さ、らしさと評するもの
いくつかの物語の内の一つが結末を向かえようとしてる。ようだ。
朦朧としながらも脳みその奥で判定開始を知らせるゴングを聞くことが出来るか、それともMPを使い果たす前にHPが尽きて、その場にぶっ倒れるのが先か、そんなところか。
脈絡もなくRPG要素を挟まずにはいられないような性分としては、ホント向いてないと自嘲しつつも、懲りずに思っていることを少し書き残しておく。
もちろん自ら踏み込んで事実関係を解き明かしたり、率先して答え合わせをする気は更々ない。
ただ、拗らせた✝ビーター✝風に言えば、仮に判定に縺れ込むようなことがあれば、この物語は答え合わせが出来てしまう気もしている。
*noteは気ままに編集/削除する。
はじめに
先に少しネタばらししておくと、
判定に縺れ込まれた場合の保険として、バカ笛を吹き鳴らしつつ、相手方の信用を執拗に毀損することで、何度も無毒化を試みているあたりは、
存外と小ぃせえー奴なんだなぁwと思っている。
やさしさと評するもの
この、借金玉氏がやさしさと評するものは、氏が書き綴る日常や回顧、或いは物語の核を成すことが少なくない。
しかし借金玉氏のやさしさと評するものは、世間一般で評されるやさしさに比べ、やさしさの成分比率は極端に低い。と感じる。
それは、何も寛解には向かうことは無いであろうことへの確信めいた他者への自己投影が根底にあり、
やさしくなかったから言わなかった訳でも、
やさしくなかったから出禁にしなかった訳でもなく、
ただいつものように、何事も無かったかのように傍にいることしか出来なかった己の無力さ、弱さ、謂わば強くあれなかったことの告解で占められている。
自分はそう読み取ってしまうからだ。
それは高潔で、酷く悲しく、やさしい。
なんて、改まって書き晒すのは気恥ずかしくもあるのだけれど、この借金玉式オリジナルブレンドに強く惹かれるファンもいることだろう。
自分もその一人だ。
作る時に見る料理レシピ成らぬ、読むと実際やってみようと思える料理レシピnoteも面白く読んでいるのだけれどもね。
ファンの一人としては、この借金玉式ブレンドをいずれ作家としての型の一つとして、いずれは更に借金玉節へと昇華させて欲しいと思っている。
思っているのよ。
閑話
他者から聞く別の他者の人物評なんてものは、まったくアテにならないものだ。
それは、あからさまであったり、或いは巧妙に隠匿されていたり、程度の違いはあれど、利害や関係性が絡んでいることが少なくないからだ。
それに人は人を見てその態度を変える。悲しいことだけれど。それは仕方がない。
そんなことはわかっている。
それでも、このnoteを書こうと思い立ち、時間を抉じ開け、思ったことを実際に書き、アップする。自分はきっと怒っているのだろう。
ただ、拙くも推敲を試みる度にラブレターに思えて来るのは、なんとも恥ずかしい。(ラブレター?を公開?自分は一体何をやっているのやら)
でも、続ける。
自分はきっと怒っているんだ。
人には人それぞれの事情がある
借金玉氏はイメージキャラにクズリを好んで使っている。
クズリと言っても自分には馴染みはないので、ちょっと調べてみた。
~ クズリ ~
イラストやアイコンでは熊にも見えるが、実は食肉目のイタチ科。北極圏や亜北極地帯が生息地でカムチャッカ半島にもいるらしい。
哺乳類、鳥類、果実などを食べるが、大型の獲物を襲う時は高所からの奇襲が得意で、飼育下ではホッキョクグマを殺傷した記録があるらしい。
「世界一怖い物知らずの動物」としてギネスにも登録されているそうだ。
学名のMellivora は「ハチミツ大好きっ子」だ。
大丈夫。大体そんな感じで合ってるはずだ。
勇猛さとタフさを併せ持つ猛獣は、確かに借金玉氏のイメージに被るものがあると感じる。
ただ、それが借金玉氏らしさか?と問われても自分はそう思えない。
人には人それぞれの事情がある。
ビービーとうるさい小鳥を捕食する時も、
言ってもいないことで群がってくる小動物共を蹴散らす時でも、
赤い犬に座りションベンさせてしまうことがあっても、
一般論と逃げを打ちつつ、煽動を自重しないアフリカスイギュウに何度となくブチ切れても、
誰かにオスカー像を括りつけられたチワワが迷い込んで来た時でも、
木の上で独り、悪巧みしている時も、
美味しくハチミツを頂く時であっても、
たとえ毒蛇に噛まれた時でも、
理不尽なまでにボロボロに擦り減らされながらも。
このクズリ、人それぞれが抱えているであろう個々の事情には、おいそれと立ち入ることをしない。それは他の要素が霞むほど、驚くほどに徹底してフェアでやさしい。
自分の嫌がることは他人に決してしない。
この至ってシンプルなやさしさは、借金玉氏が生まれ持っていたものかも知れないが、その原石は後天的に砥ぎ澄まさざるを得ず、精錬し続けたやさしさだと思える。それほどまでに純度が高く、気高いと感じるからだ。
それは借金玉氏がやさしさと評するものとも一致している。
但し、理論上、例外は発生し得る。
例えば、借金玉氏自身が抱える事情を恣意的に何度も踏み躙った場合だ。
まぁ、人物評なんてものは、まったくアテにならないものだけどね。
らしさ
借金玉氏がやさしさと評するものは、氏が書き綴る日常や回顧、或いは物語の核を成すことが少なくない。同様に、借金玉氏がやさしさと評するものは、借金玉氏自身のパーソナリティーの核にもなっていると思っている。
では、 借金玉氏らしさとは何か?
それは擦り減らされながらも、それでもなんとか守り通してきた、永久不可侵のやさしさ。
このやさしさこそが借金玉氏らしさだと、自分はハッキリと言ってやる。
これは、借金玉氏が借金玉氏で在り続けようとしていると自分が確信している限りにおいて、借金玉氏の起こすアクションをどこか安心して観ていられる理由でもある。
だからさ?思うように、やりたいように、やりたいことをやれるだけやれば良いのさ。
誰にも邪魔させず。そして願わくばやり遂げられることを。
それでも借金玉氏は、また誰かの事情に気兼ねしてしまうのかも知れないけれど。
ここいらで憶測を
貴方がそうだったように
貴方がいつもそうしてきたように
貴方がそうせざるを得なかったように
貴方がそれでも、どこかそうありたいと思い続けているのと同じように
貴方のファン達には、やさしさが足らない。
そして、その中にいて異端かも知れない自分は憶測する。
借金玉さんさ?借金玉さんは、きっと最初から判定狙いだったんだよね。
そんじゃ、各自持ち場へ。解散!