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IBMマルチステーション5550

 BASICの講習会に最後まで出た人たちには、次にオフィス用パソコンの講習会が用意されていた。

 場所は新橋駅から外堀通りを虎ノ門方面に進み、内幸町の交差点を右に曲がって、すぐの四つ角を左に入ったところのビルの1階だった。
 裏通りだがガラス張りの明るい教室に、発売されたばかりのIBMマルチステーション5550がずらっと並んでいた。台数ははっきり覚えていない。

 IBMマルチステーション5550(以下、5550と記載)は、WindowsではなくDOS(Disk Operating System)(ドスと読む)上で動くものだった。

 電源を入れるとDOSが読み込まれる。
 画面上にプロンプトが表示されたらコマンドを打っていく……のだが、5550ではコマンドを打つ必要がないように、メニューが作られていたように思う。後にNEC9801で私もDOSのメニューを作ったことがある。

 5550は日本語ワープロと表計算ソフトの2つが使えるようになっていて、使いたい方のプログラムが入ったフロッピーディスクをセットして、プログラムを読み込ませる。

 フロッピーは5インチで、薄いプラスチックのカバーで保護されていた。

 ワープロは文節変換ができ、文節の右端から更に右にカーソルを移動すると、文節の区切りを示す制御記号が表示された。
 文字の下にカーソルがあるときは制御記号は隠れて見えない。

 表計算ソフトは「マルチプラン」という名前で、「表計算ソフト」という呼称はまだなく、「簡易言語」と言っていた。

 使い方はエクセルと同じだが、1枚のスプレッドシートの大きさはもっとずっと小さく、横は255行、縦は88列しかなかった。
 行番号も列番号も数字で、行番号はR1, R2, R3……R255、列番号はC1,  C2, C3……C88、シートの左上のセルの座標(位置)はR1C1となる。
 最初にこのセルの座標の読み方を教わった。

 次に、簡単な売上表を作成して、単価に個数を掛ける場合の計算式の作り方や、合計を出す場合の関数の使い方を習った。
 計算式をセルの相対座標で作れば、1行目の計算式を下の行にもコピーして使えるとか、いつも同じセルを参照して計算するときにはセルの絶対座標を使うとか、用語と共に式の作り方を教わった。

 少し慣れたら、1月から12月までの売上表を同じスタイルで12シート作り、1年分の売り上げを計算させる「串刺し演算」などというものもあった。

 他にも計算結果をグラフにするとか、グラフに模様を付けるといったこともできた。
 マルチプランにはカラーは使えなかったので、模様は白黒で、細かいドットや大きなドットや斜線や横線、縦線で模様がデザインされていた。
 カラーが使えないのは、プリンターがカラーに対応していないこともあったと思う。

 ここからは余談になるが、この内幸町の辺りは外堀通りの方は車も多く賑やかだったが、反対の方向に行くと日比谷公園があり、その手前を左に曲がると霞ヶ関の官庁街になる。
 道路は道幅が広く、普段は車が通らない。
 おそらく何かあったときはたくさん車が通るので、道幅があんなに広いのだろうが、私が歩くときは車も人もいなくていつも閑散としていた。
 気持ちの良いところで、私は好きだった。

 歩いていると、どこからかスイカに似た甘い香りが漂ってきた。
 そこは農林水産省の前で、建物と柵の間に隙間なく背の低い植え込みがあり、その中に白い小さな釣鐘型の花をたくさんつけたアセビ(馬酔木)があった。
 アセビはこんな香りがするのかと、そのとき初めて知った。
 それ以来、アセビは好きな花になった。

 もともと私は釣鐘型の花が好きで、青い花に次いで白い花が好きだ。
 虎の門病院を退院した後で引っ越した先のマンションは1階で、私の部屋の前には狭い庭があった。
 その庭にアセビがあった。

 春になって花が咲いたらアセビだとわかったので、私は嬉しくて、庭に出てそばまで見にいった。
 狭い庭は草ぼうぼうで、私の前に住んでいた人が池を作っていたらしく、真ん中は砂利ばかりゴロゴロしていて草もろくに生えていなかった。

 その砂利の向こうに、雑草におおわれるようにしてアセビがあった。
 周りの草を少し刈って、アセビが息をつけるようにしてやった。

 ところが、4月の初めに、アセビの向こうにイチョウの木があるのだが、その枝を払いに作業員がやってきた。
 イチョウは毎年枝を詰められているらしく、さほど枝を張っていなかったが、それでも時期が来れば新芽を出すので、管理人が枝払いを頼んだのだと思う。

 昼間、私が仕事に行っていて留守の間に来たので、帰ってきてアセビの枝が無残に折れ曲がり、花がメチャメチャになっているのを見つけてショックを受けた。

 イチョウの枝を払うために、花をつけたアセビがあるのもお構いなしに、その辺りを踏みつけていったのだろう。
 切った枝は、アセビの上に落とされたに違いない。

 あのマンションにいる間、毎年同じ憂き目にあった。
 作業員は平日の昼間、私の留守に来るが、私にはいつイチョウの枝を払いに来るかという連絡はなかった。
 庭もアセビも私のものではなかったから。

 アセビというと、あの庭の可哀想なアセビと、霞ヶ関の農林水産省の前に漂っていたスイカのような甘い香りと、IBMの教室でマルチステーション5550の講習を受けたことが、セットになって甦える。


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