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元の病室へ(頚椎腫瘍 10)

 結局、回復室にいた4日間はベッドから起き上がることができず、寝たままストレッチャーで元の病室に運ばれた。
 中井先生から他の先生方に、私を急いで起こさなくてもいいという指示が出ていたようだ。
 何日も寝たきりでいると筋肉が落ちて歩けなくなってしまうから、術後の患者はなるべく早く起こして歩かせるのだが、私はまだ若い(!)ので、それほど心配しなくて良いということらしかった。

 私が回復室にいる間に、SさんやKさんや茅ヶ崎夫人は順調に回復し、リハビリと称して外歩きをするようになっていた。
 Kさんは家からご主人を呼んで一緒に北の丸公園を散策し、散っている紅葉を拾ってきて、
「秋を見せてあげるね。ほら、きれいな色でしょう?」
 と言って、みんなに見せてくれた。

 茅ヶ崎夫人は昼食後、Sさんと仲良く連れ立って外出したが、帰りがいやに遅かった。
 3時間ばかりして帰ってくると、2人で声をひそめて「おいしかったね」と言い合っている。
「えー、なに食べてきたの?」
 と、食が細いくせに食いしん坊の私は、耳聡く聞き付けて追求した。
 なかなか白状しなかった2人だが、病院の近所のなんとかいうイタリア料理店で、スパゲッティを食べてきたと言う。お昼ご飯を食べて出かけたのに、よくまあ入るものだ。

 この2人は次の日も散歩に出かけ、「今日はラーメンを食べた」などと言っていた。
 病院の近くには山種美術館もあり、中に入って絵を見てきたとも言った。
「アンヌさんも歩けるようになったら一緒に行こう」
 茅ヶ崎夫人に誘われて楽しみにしていたが、私は1週間以上もベッドから起きられず、その後は歩行器がなくてはどこにも行かれなかった。
 歩行器がはずれたのは退院直前だったし、茅ヶ崎夫人は首の後で腰の手術も受けたので、ついに一緒に散歩には行かれずじまいだった。

 Kさんは私が元の病室に戻った翌日に退院し、そのまた翌日にはSさんが退院していった。

 まだ回復室にいるとき、ネットフレンドのせーらからお花が届いた。パステルカラーのバラやガーベラのアレンジメント。
「大好きなアンヌへ」というメッセージカードがとても嬉しかった。

 元の病室に戻ってから、やはりネットフレンドのミムラさんからもきれいなお花が届いた。
 ミムラさんは入院前にも、優雅なカップ咲きのピンクのミニバラを贈ってくれた。

 せーらとは1度会ったことがあるだけだし、ミムラさんとはこの時点では一面識もなかったけれど、2人ともネットを通して私の好みをよく知っていた。

 同じ趣味を共有して長い付き合いの友人たちも、病院宛に手紙やお見舞いを送ってくれた。

 みーさんからは入院グッズの詰め合わせ……柔らかくて軽い腹巻き、オレンジの香りがするマッサージローション、本物の金を溶かした清涼飲料水などなど。
 添えられた手紙を読んだら、みーさんが心をこめて選んでくれたことがわかって胸が熱くなった。

 恭子さんは京都の下鴨神社のお守りと、「病気お見舞い最適品」のキャッチコピーのついた、現代の笑い話を集めた本。
 笑いは免疫力をアップさせるからと送ってくれた、恭子さんの心遣いが嬉しかった。

 それから、いつもながらの美しい文字で、思いやりにあふれた手紙にお金を同封してくれたらんさん。

 たびたびの手紙やハガキの他、お粥でもスープでも口当たりが良くなるようにと、秀衡塗(ひでひらぬり)の木のスプーンを送ってくれた明美さん。
 このスプーンは同室の人たちに羨ましがられた。

 当時みーさん以外は1度も会ったことがなかったけれど、20年来の大事な友人たちだった。


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