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- 優劣 -

「人間に優劣をつけるものではない」
「芸術に順位をつけてはいけない」

そんな言葉を耳にしたことがあります

とても共感します

音楽の大会に出場したときは、
「なんで順位なんてつけられるんだろう」という疑問がありました

そもそも"優劣"という言葉自体も、
非常に強い言葉に感じられます

ただ最近の私は、

「優劣は"つける"ものではなく、
 元々物事に"備わっている"のではないのか」

と考えます

ある丼屋さんでは、
『ガツガツ掻きこむ人』と『ゆっくり味わう人』がいます。
同じ図書館でも
『勉強がしたい人』と『涼みに来ている人』がいます。

これは"違い"です

ではこの"違い"を、
それぞれフィルター越しに観察するとどうなるでしょう

丼屋さんがフードファイトの会場だったら、
『ガツガツ掻きこむ人』が賞賛されるでしょう
真夏に外で忙しく作業をしていたら、
図書館でただ『涼んでいる人』を羨むでしょう

「優劣とは、
 極端な側面から見た”違い(差)”である」

私はそう考えます

全く同一のものでない限り、
優劣は常に存在し得るのです

となると、
"どのような見方をするか"に結果が依存します

これがかなり厄介で、
とても曖昧で流動的です

何かを評価したいとき
価値観を提示したいとき
理解を求めているとき

誰が、どのタイミングで…

無限に派生していきます

ということは、
同じものを対象としても、
優劣の判断が異なるのは当然と言えるでしょう

"違い"は必ず存在します

他人に定められた優劣で、
一喜一憂したりしない

その代わり、
輪郭のはっきりとした個性を持っていたい

そう強く願う
今日この頃でございます



最後までお読みいただきありがとうございます
お身体冷やさぬようご自愛ください

アンチヒロ


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